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第3回なぜアフリカでのエンパワーメントなのか?~現地住民との対話を通し見えてきたもの~

更新日:2022年11月19日

国際開発のすゝめ シリーズ1 グローバル社会課題をいかに克服するか

株式会社Darajapan

角田 弥央

“現地住民によるエンパワーメント”の実現を目指し、タンザニアで孤軍奮闘している角田弥央です。第3回の最終回は、アフリカ諸国のどんな社会課題にアプローチしているのか、これからのグローバルな時代にどんな視点や活動が必要になるのか、現在取り組んでいる事業を通してお話したいと思います。

タンザニアでの取り組み


現在、タンザニア最大の都市ダルエスサラームに拠点を置き、現地のビジネスパートナーと共に事業を軌道に乗せようと奔走中です。


特に力を入れているのは、バイオマスブリケット事業です。タンザニアでは、薪や木炭を調理で使用した時に出る煙で健康被害を受ける人が少なくありません。また、薪を得るために女性や子供達は何時間もかけて歩く必要があります。森林伐採への影響も大きい薪や木炭の代替燃料として、有害な煙を出しにくい新しい燃料を開発しています。食料廃棄物などを原料とするため、衛生環境の向上にも繋がる事業です。


(写真1) 現地で一般的に使われている木炭。既存製品と煙の成分や量を比較しながら代替の調理用燃料を開発する。

現地の人々が取り組みやすいよう、現地で手に入る材料を用いる、手作業工程から始めるなどして、徐々に機械化していくことを意識しています。ココナッツの皮やイモ類のキャッサバといった使わない部分を集め、粉砕し、赤土や水で固めて乾燥させますが、有害物質を出しにくく、燃費の良い最適な原料の組み合わせを見つけるため、現地のエンジニアや固形有機廃棄物の専門家とともに、試行錯誤を続けています。今後は、テストマーケティングを進めていく予定です(写真1)。



バイオマスブリケット事業以外では、現地でカフェをオープンし、農家から取り寄せた野菜や果物などを使ったスムージーやオリジナル商品を販売しています。また、農家と協力して付加価値の高い商品を開発していく農業・養鶏ビジネスも少しずつ進めています。まだ従業員は少ないですが、目標の1つである雇用を作り出せたことには手ごたえを感じています。



人間の可能性を広げる方向性へ


タンザニアで起業をした理由をよく聞かれるのですが、目の前で起きた事象から考え抜き、気付いたら導かれたように事業をスタートしていたように思います。

2019年大学卒業後、先ずは社会勉強も兼ねて人材系の大手ベンチャー企業に就職しました(これまでの経緯は連載の第1回第2回を参照)。外国人エンジニアや研究者の日本企業への就転職などを仲介する仕事で、法人営業などの経験を積みました。特に、「経営者思考」「ビジネスパーソンとしての基礎」を1年目から実践できる環境で、自分が学生のころから必要だと感じていた、雇用の創出にも繋がるやりがいのある仕事でした。 この頃は起業したいとは思っていませんでしたが、卒業目前で経験したタンザニアでの短期インターンシップを経て、「私にも何か現地で出来るかもしれない」「衛生環境を改善していくために現場で動きたい」という想いはずっと抱きながら働いていました。 「アフリカは貧しくて、支援を求めている」と一方的に思っていましたが、ビジネスパートナーとオンラインで事業計画の策定や他団体との連携といった対話を地道に進めていく中で、「彼らは支援ではなく対等なパートナーを求めているんだ」という、現在の活動の軸となる考えに辿り着きました。 特に、日本で出会ったアフリカ出身の留学生の多くは、自国を飛び出し、紛争や極度の貧困問題に直面した原体験を糧に、「自分たちで自国を変えてやるんだ」という熱意にあふれ、社会課題を解決するためにはどうしたら良いかを日々考えていました。そんな彼らと自分に共通した部分があることに気付き、日に日に「アフリカという大地で、彼らの目線に寄り添い、共に社会課題解決のため活動していきたい」という想いが強くなっていきました。

様々なタイミングが重なり、準備を進めてきた中で仲間たちと共に起業することを決意し、2020年1月に退職。決意を新たにタンザニアへ渡航しようとしていた3月、新型コロナウイルスが世界中に蔓延しはじめ、進めていた計画が一気に崩れ落ちました。現地進出への足掛かりとなる準備だけは進めなくてはならないと、日本法人Darajapanを2020年11月に日本で設立、3カ月後にタンザニアに移住し、数か月後には現地法人も立ち上げました。 



一人ひとりが当たり前の生活を送れる環境を整えるために


そもそも、私がタンザニアで活動する原動力はどこから来るのか?を自身で考えると2つの軸に分かれると考えています。


1つ目は、「現地の人々が生きる上で必要な最低限の生活インフラがある、健康状態を保てる環境を創ること」です。


薬学を修め、新興国へ赴き、病院・薬局・保健センター・製薬会社での経験から(第2回参照)、医療の本質とは“病気になった人を治す”だけではなく、“人として最低限必要な生活を送れる環境を提供する”ことであり、それができれば病気になる人々が少なくなり、より生活水準が高まるのではないか、とこのような仮説に至りました。

(写真2)郊外の道路の様子。雨季に大雨が降ると数日間は大きな水溜まりが道を塞ぐ。

特に、安全な水を確保できないことは様々な人的弊害をもたらします。不衛生で汚れた水を使うことしかできずに下痢症を発症し、毎日多くの子どもたちが命を落としています。泥や細菌、動物の糞尿が混ざっているため、飲料水として使うことは危険です。また、水はけの良くない地域では、水溜まりや溜池がマラリア媒介蚊の発生に繋がります(写真2)。



日本で生活をしていると、衛生環境が良い場所で当たり前に生活できますが、アフリカでは、まだまだ不衛生な環境・未整備な生活インフラが多いのが現状なのです(写真3)。このように、現地の公衆衛生の改善に向け、薬剤師の私にもできることがある、と日々行動しながら考え続けています。

(写真3)ごみ収集場所の一画。回収車が定期的に来ない地域ではごみが投棄されたまま放置されてしまう。

2つ目は、「低中所得者層といわれる人々に収入源となる雇用機会を創出していくこと」です。


様々な社会問題が複雑に絡んでいるアフリカですが、1つの大きな要因に「教育機会の不足」が取り上げられると思います。私自身もこの点には同感ですが、「急激な人口増加に伴い、若者に対する就労機会が圧倒的に少ない」「働くためのスキルや技能を学ぶ機会が少ない」という人材育成への機会喪失も同時に解消していく必要がある、という仮説を立てています。


活動拠点の村で生活を共にしていると、教育を受けられない子供達のお母さんに教育について話を聞く機会がありますが、「勉強をしたとしても何の役に立つのかわからない。どんな仕事があれば私たちが生活できるだけの収入源を得られるのか、子供達の将来を上手く描けない」という声をよく耳にします。その地域に子供達のロールモデルとなるような大人たちをもっと増やしていかなければならない、そのためには就労の機会と、働くためにスキルを磨く場を提供しなくてはならない、と強く感じています。

(写真4)ストリートボーイズのメンバーでサッカーチームを形成し、社会人リーグに出場する機会を提供。働く先でのスキルや規律を学ぶ人材育成を同時に実施。

様々なNGO団体がアフリカ諸国で支援活動していますが、活動そのものに依存してしまっている現地住民が見受けられます。私たち“外国人”が主体となって動くのではなく、“現地住民”がどうしたら自分たちの生活がよりよくなるのか、自分で考えて活動していく、それを私たちはあくまでサポートする立場でいなくては持続可能な事業にはならない、と考えています(写真4)。



最大の課題は貧困・格差からの脱却

タンザニアを含む、サブサハラ地域で1番の課題と考えているのは貧富の格差、貧困の連鎖です。貧困の定義はひとつではなく、例えば、必要最低限の生活水準が満たされない「絶対的貧困」と、ある特定社会の集団の標準に比べて貧しい状態の「相対的貧困」があります。


特に、国連開発計画(UNDP)が出している、健康・教育・生活水準を指標化した「多次元貧困指数」は、人々が健康かどうか、きれいな水を利用できるかどうか、学校に通えているかどうか、といった地域や民族による構成要素の内訳を把握することができるとして、貧困を詳細に描き出す指標として使われています(UNDP:2019年グローバル多次元貧困指数調査より)。


貧困を削減する取り組みは世界中で実施されており、2000年から2015年の間には、15カ国で8億210万人が極度の貧困から抜け出しましたが、未だに世界人口の10%の人々は、国際貧困ラインである1日1.9ドル未満で暮らしています(世界銀行:1年を振り返って14の図表で見る2019年レポートより)。


更に、貧困の連鎖はとても複雑で、さまざまな要因が混じりあっています。特にサブサハラ地域では、収入がない家庭の子供は教育を受けられず、技術や知識を身に着ける機会を失うことで、低賃金で不当な職場環境でしか働くことができません。さらに収入が少なく、栄養の知識が無いことが原因で、健康的な食事が摂れず病気になりやすく、適切な医療サービスを受けることができません。不健康な状態では仕事もできず、行政サービスや情報へのアクセスも難しくなります。こうして社会から取り残されてしまい、貧困の悪循環に陥ってしまうのです。



特に現地にいて感じるのは、どんなに良い教育を受けても働き先が豊富にあるわけではなく、子供やその親が教育を受けることでより良い未来を描けるイメージが湧きにくい、上の世代にそのような国民的ロールモデルが圧倒的に少ない、ということです。


国や行政による社会福祉サービスが不十分であることからも、現地の人々にとっては「国が、行政が守ってくれる」といった希望がないように思います。これから手がけていく事業は、まず小規模で始めていき、現地の社会課題を解決できるエビデンスを蓄積した上で、行政へ働きかけていく必要があります。



貧困格差の是正には、サブサハラ地域の低所得者層が取り残されないような仕組み創りを、様々なステークホルダーと協業しながら試行錯誤していく必要があります。そして、インターネットを含めたテクノロジーの発展により、今までにない産業構造の変化が見られます。テクノロジーとは無縁に見えますが、現在アフリカ諸国ではアントレプレナーシップを持った人材とテクノロジーの活用が、多くの社会課題を解決する一助となっています。


「1人ひとりが周りの人を労わって助け合う」「国際的な機関と協力して現地の貧富の格差・貧困の連鎖を改善していく」という慣習と、「現地の人々が生活を豊かにしてくれるテクノロジーだと感じたら直ぐに取り入れていく柔軟性」が圧倒的にアフリカでは根付いている、と現場にいると感じます。少しずつではありますが、格差・連鎖は解消していける希望が見え、面白いイノベーションが現地では起きているのです。



支援だけに頼らずに現地の声を聞いて活動していくためには


起業から約1年が経過した現在の状況を「10回挑戦したら9回失敗する」というスタンスで、まずは“やってみる”ことを心がけています。現地の農家さんから食材を仕入れるカフェを2021年8月から始めていますが、元々カフェをやろうと考えてもいませんでした。


(写真5)現地の農家さんが使えなくなった木々を集め、建築物に再利用する様子

現地でストリートボーイズと呼ばれる若者と接点を持ち始めてから、「家計を支えるためにまずはその日の生活を養える収入源が欲しい」「スキルが無くてもある程度働ける居場所が欲しい」といった声を聞いたことで、手軽に始められるカフェを始めようと思い立ちました。また、農家さんと対話できる機会もでき、話を聞いていくと「農地はいくらでもあるが、事業を始めるための資金がない」「自給自足できる規模でしか農業を始められない」といった声を得たことで、作物の選定を共にしながらビジネスとして機能する仕組み創りと資金提供をし、売上を還元してもらう農業・養鶏ビジネスを始めています(写真5-6)。


私が事業を手がけていく根底には、「支援に頼るのではなく、現地の人々が主体性を持ち、経済的・社会的に自立していく後押しをする」という想いがあります。言葉でいうのは簡単ですが、実際に事業として体現できている団体はまだまだ少ないです。


(写真6)土地を整備しながら建築している養鶏場の様子

バイオマスブリケット事業を含め、製造技術者や物資を運ぶドライバーなど、各事業工程において仕事を生み出すことに重きを置き、現地の人々が事業を回しながら、支援なしに自立していくことで、貧困から抜け出す環境を整備したいと考えています。廃棄される食料残渣などを原料に石鹸やエッセンシャルオイルを現地の人々と製造方法を考えながら共同で開発し、将来的には輸出を視野にいれ商品化するなどして事業の一つにしたいと考えています。



現地の医療水準は高いとは言いがたい状況です。医師や看護師、薬剤師の資格を持つ人でも実習不足、知識不足を感じることもあり、いずれは医療従事者の育成にも力を入れたいと考えています。

医療アクセスを改善するため、今年3月頃にNPO法人Be&Co Japanを立ち上げる予定もあります。日本で廃棄される自転車をタンザニアに運び、医療従事者やフィールドワーカー、患者に訪問診療や通院の足として使ってもらう予定です。

健康増進を目的とした予防医療への意識を向上させるワークショップ等も同時並行で開催していきます。



今後は、しばらくタンザニアに生活の拠点を置く予定です。現地住民のエンパワーメントとは、彼らが主体となって活躍の機会を拡大していく、彼らが本来持っている潜在能力を引き出していくことを指しますが、これは現地で暮らし、生活を共にしないと見えてきません。


私は、自ら事業を手がけるタンザニア人と現地で出会い、彼と結婚しました。タンザニアは様々な人種・文化・宗教が交わる移民国家であり、夫とその家族も皆ムスリムです(写真7)。現地の人から見ると、私はあくまで1人の“外国人”です。事業を進めていく中で、相場より高い価格で取り引きされたり、雇った人に売上金を着服されたり、そんなトラブルは日常茶飯事です。

(写真7)イスラムのラマダンの様子。1日の断食が終わった後、家族・親戚が揃ってご馳走を振る舞う

信頼できる人をどう見つけるかが、ビジネスのカギですが、慣れない土地では何事もなく生活する環境を整えるのも難しいのが現状です。そんな中、文化の違いに日々衝撃を受けながらも、心身面だけでなく、ビジネス面、生活面で現地の家族が大きな支えになっています。



私は常に彼らの声に耳を傾け、寄り添い、文化の違いを学びながら、現地のエンパワーメントを掲げて活動していき、何年かかるかは分かりませんが、少しでも自身の活動が現地の誰かの役に立ち、大きな社会インパクトを出していけるよう精進していきたいと思います。



謝辞


記事の連載にあたり、UJAの皆様方にこのような機会を頂きましたこと深く感謝いたします。3回の連載の構成と内容精査を担ってくださった森岡和仁先生、記事の編集をしてくださった土肥栄祐先生には細部に渡る指導を頂きました。ここに感謝の意を表します。



著者略歴

角田 弥央 。株式会社Darajapn代表取締役/NPO Be&Co Japan 代表理事。明治薬科大学卒業。計35か国の大学・病院・薬局・製薬会社を視察した後、タンザニア国営貿易会社にて衛生環境調査に従事。帰国後、株式会社ネオキャリア海外事業部を経てタンザニアへ移り、現地住民のエンパワーメントと衛生環境改善のための事業を立ち上げ、現在に至る。

これまでの経緯(国際開発のすゝめ シリーズ1 グローバル社会課題をいかに克服するか)

第1回 (UJA Gazette 6号) 第2回 (UJA Gazette 7号)  角田さんのキャリアパスに興味がある方 (UJA Noteへ移動します)


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