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日本の一臨床医から米国の一研究者へ

テネシー大学ヘルスサイエンスセンター腎臓内科

住田 圭一


はじめに


米国テネシー大学ヘルスサイエンスセンター(University of Tennessee Health Science Center: UTHSC)腎臓内科で研究教員として勤務しております住田圭一と申します。

この度、UJA編集WGのVice Chairである土肥栄祐先生(現:国立精神神経医療研究センター 神経研究所 疾病第三部 室長)から、UJA Gazette誌に『留学のすすめ』というテーマで寄稿する機会をいただきましたので、自身の研究留学経験について紹介させていただきたいと思います。 “研究留学”というと、大学院生やポスドクとして留学し、主に基礎研究に従事することをイメージされる方が多いかと思いますが、私の場合は少し(大きく?)違い、主に臨床研究に従事することを目的とした“臨床研究留学”を行いました。



米国での臨床研究留学と公衆衛生学修士号の取得


私は2005年に広島大学医学部を卒業後、一臨床医として日本国内の一般病院に勤めていました。臨床医として日々患者さんの診療に携わる中で、ふとした疑問(“クリニカル・クエスチョン”)がしばしば生じる一方、その中には未だ正解(“科学的根拠”あるいは“エビデンス”)が存在しないものも少なからずあることに気付かされました。


例えば、脳心血管病の危険因子である高血圧は降圧治療が推奨されていますが、慢性腎臓病を合併した高齢者では、どの程度に血圧を管理するのが良いのか、未だ十分なエビデンスが存在しないのが事実です。そのような中、日常診療で生じた“クリニカル・クエスチョン”を学術的なアプローチによって検証する臨床研究の分野に興味を持ちはじめました。ただ、当時(約10年前)は日本国内で臨床研究を系統的に学習し、実践できる機会が限られていたことや、漠然とした海外留学への憧れもあり、臨床研究の盛んなアメリカで疫学や統計学を学びたいと考えるようになりました。


そんな中、医師11年目を前にして2年間の海外留学の機会を得ることができたため、2015年4月から2017年3月まで米国テネシー州メンフィスにあるUTHSC腎臓内科のCsaba P. Kovesdy教授の研究室に、客員研究員として留学することとなりました。


留学を志した当初は、ジョンズホプキンス公衆衛生大学院(Johns Hopkins Bloomberg School of Public Health: JHSPH)での公衆衛生修士号(Master of Public Health: MPH)取得を目指していたのですが、幸運にもJHSPHの松下邦洋先生のご厚意でKovesdy先生をご紹介いただけることとなり、UTHSCに留学することができました。


松下邦洋先生は、JHSPH疫学講座の教授として臨床疫学研究の第一線でご活躍されている先生で、約10年前に招請講演で来日された際に学会場で初めてお会いして(私が突然一方的にご挨拶に伺って)以来、大変お世話になっています。なお、留学直前にJHSPHへ入学することもできたため、2年間の留学中にJHSPHのオンラインMPHコースを受講することとなりました。



1. UTHSCでの臨床研究

写真1. メンフィスのリバーフロントから望むミシシッピ川。メンフィスを象徴する、テネシー州とアーカンソー州をつなぐ通称“M bridge”(左奥)とバスプロショップが入ったピラミッド(右奥)。

UTHSCは、米国テネシー州西端に位置する同州最大都市(州都はナッシュビル)であるメンフィスにそのキャンパスを構えており、現在は医、歯、薬学部を含む6学部から構成されています。


メンフィスと聞いてすぐにその場所や土地柄が頭に浮かぶ日本人は少ないと思われますが、小泉純一郎元首相がブッシュ元大統領とともに訪問した故エルビス・プレスリー邸宅(Graceland)がある都市、というと少し親近感を持っていただけるかもしれません。


メンフィスの治安は決して良いとはいえませんが、ブルース発祥の地としても知られており、どこか陽気でのんびりとした雰囲気が漂っています。人口の6割以上を黒人が占め、地元の人々は“サザンアクセント”と呼ばれるアメリカ南部特有の訛りのある英語を話します(その聞き取りには、今でも苦労しています)。



私が留学した当時、UTHSC腎臓内科のKovesdy先生の研究グループには、3名の研究スタッフと、私を含めた留学生2名が在籍しており、時折、生物統計学の専門家や腎臓内科のスタッフやフェローなども研究にかかわっていました。


臨床研究も基礎研究も、研究の立案(デザイン)や得られた結果の論文化などといった作業は同様かと思いますが、臨床研究が基礎研究とその性質上大きく異なる点は、研究で扱う対象がいわゆる“検体”ではなく、実臨床で得られた“診療データ”、という点にあるかと思います。さらにその解析に必要な技術が、基礎的な実験手技ではなく、統計解析ソフトを用いた解析技術である点も異なります。


臨床研究では、ある特定の集団(コホート)から得られた診療データを利用した研究を“コホート研究”と呼びますが、アメリカではこのコホート研究行うためのコホートが数多く存在しています。そしてその中には、何万~何百万人の集団を対象としたコホートも多く含まれ、アメリカに根付いた臨床研究風土を反映しているように思います。


私のボスであったKovesdy先生も、コホート研究から多くの素晴らしい研究成果を発表されており、実臨床に直結したエビデンスの創生に貢献されていました。なかでも、米国退役軍人病院の診療データを利用した腎臓内科領域の大規模コホート研究ではその分野の第一人者といっても過言ではなく、数万人から数百万人のコホート研究を実施されていました。


写真2. UTHSC

私自身は、留学中に主に2つの大規模コホート研究に携わっており、日本国内でも成人の約8人に1人が有するとされる慢性腎臓病の、新規発症に関連する危険因子の同定などを目的とした研究を立案、実行しておりました。統計解析なども主に個人で行うため苦労する部分もありましたが、Kovesdy先生との週1回のミーティングや月2回開催されるリサーチカンファレンスの機会に、有益なフィードバックをいただくことで自身の研究プロジェクトを進めていくことができました。論文やrebuttal letterの書き方なども、共著者からの添削やコメントを通じて、多くを学べたと感じています。それらのおかげで、留学期間中に10論文を筆頭著者として報告することができ、国際学会での口頭発表する機会も得られました。


一方で、腎臓内科医としての知識のアップデートのために、毎週開催される腎臓内科の朝カンファレンス(ミニレクチャーや腎病理カンファレンスなど)にも積極的に参加していました。研究から一歩離れて、米国の腎臓内科の先生方と臨床的なディスカッションを通じて交流を持てたことは、一臨床医として大変有意義で、何よりとても楽しかったです。


2. JHSPHでのMPH取得


私が留学中にもう1つの目的としておりました、JHSPHのMPHコースについても少し紹介させていただきたいと思います。JHSPHは、米国メリーランド州ボルチモアにある、1916年に創設された世界最古の公衆衛生大学院です。全米の数ある公衆衛生大学院の中で、Best Master’s in Public Healthの第1位に毎年ランク付けされており、世界各国から優秀かつモチベーションの高い学生が集まってきます。


JHSPHのMPHコースは大きくわけて2つのコースがあり、1つは実地(ボルチモアのキャンパス)で受講するフルタイムMPH(11ヵ月間で修了)、もう1つはインターネットを用い、遠隔地からの受講が可能なオンラインMPH(2~3年間で修了)です。私は留学中、UTHSCでの研究のためメンフィスに住んでいたこともあり、オンラインMPHコースを受講しました。卒業必須単位は合計80単位と他の公衆衛生大学院と比べ多くはありますが、履修可能な科目は多岐に渡り、必須科目である疫学、生物統計学、環境衛生学、社会・行動科学、健康教育学、医療政策に加え、生化学、分子微生物学・免疫学、国際保健など、幅広い分野の科目が選択可能でした。


私が特に興味を持って受講したコースは、疫学と生物統計学の2コースでした。疫学では、臨床研究のデザイン、バイアスや交絡因子への対応、さらに論文の批判的吟味など、疫学に関する幅広い内容を学ぶことができ、一方の生物統計学では、具体的な統計解析の方法や、STATAという統計ソフトを用いたハンズオンセミナーなどを通じて、実在する臨床データの基本的な解析手法を習得することができました。これらの知識は、UTHSCで実際に臨床疫学研究を行う上でも大いに役に立ったように感じています。


写真3. JHSPHでの講義風景(学生によるグループワークの成果発表)

なお、卒業に必須の80単位中16単位は実地での受講が義務付けられていたため、私は留学中に数回ボルチモアのJHSPHキャンパスへも足を運びました。メンフィスという米国のやや内陸に住んでいた私としては、東海岸のボルチモアでの短期滞在は、海魚も含め色々と新鮮で、良い気分転換になりました。JHSPHは実践的な教育スタイルが特徴とされており、MPHコースでも、1つの研究プロジェクトを通した論文作成や口頭発表による単位取得が卒業に必須とされています。そのような中、上述の松下邦洋先生にJHPSHでの指導教官として直接丁寧なご指導をいただけたことは、臨床疫学研究を続けていく私にとって非常に大きな糧となりました。



おわりに


以上、簡単ではありますが私の留学経験について紹介させていただきました。あまり多くは述べませんでしたが、休暇にメンフィスのバーベキューや地ビール、上司の自宅でのパーティー、周辺の街への小旅行などを楽しんだ留学生活であったことは、言うまでもありません。振り返るとあっという間の2年間ではありましたが、留学中の全ての経験が貴重な財産になったと感じています。


私は、縁あってUTHSC腎臓内科の一員となる機会を与えていただいたことから、2018年11月から再びメンフィスの地で一研究者として研究生活を開始しました。幸い2020年夏に米国国立衛生研究所(National Institute of Health: NIH)からのR01グラントを獲得できたため、現在は大規模コホート研究に加え、PIとして自身の研究プロジェクト(血液透析患者における血中マイクロバイオームに関する研究)を進めています。研究室の規模はそれほど大きくありませんが、風通しの良い研究環境で、診療データベースを利用した臨床疫学研究や血液サンプルを利用したトランスレーショナル研究に携わってみたいという方がおられましたら、お気軽にご連絡下さい。メンフィスは西海岸や東海岸の大都市に比べ、生活費(特に家賃)が格段に安いというのは、1つのメリットかもしれません。



謝辞


執筆の機会を与えてくださった私の中学・高校・大学の同級生でもある土肥栄祐君と、留学にあたってお世話になりました全ての方々に、この場を借りて改めて感謝申し上げます。そして何より、留学中から現在に至るまで常にサポートをしてくれている妻と子供に心から感謝しています。この留学記がこれから留学を志す方々の一助となり、皆様の留学生活が有意義で楽しいものとなるようお祈り申し上げます。


著者略歴


2005年広島大学医学部医学科卒。2005-2018年国家公務員共済組合連合会虎の門病院(初期・後期臨床研修医および腎臓・リウマチ専門医として勤務)。2017年米国ジョンズ・ホプキンス大学公衆衛生大学院修了(公衆衛生学修士号取得)。2018年筑波大学大学院人間総合科学研究科疾患制御医学専攻博士課程修了。2018年よりテネシー大学ヘルスサイエンスセンター腎臓内科准教授。

E-mail: ksumida [at] uthsc.edu


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