慶應義塾大学総合政策学部4年
藤田和奈(ふじたかづな)
編集部からの紹介
中学高校時代、米国へ短期留学した藤田さん。その経験から語学や異文化に興味をもち、大学に入学後、長期留学の夢を実現しました。高校生・大学生に読んでもらいたい留学体験記です。是非、ご覧ください!(UJA編集部 赤木紀之)
はじめに
私は様々な人からの支えがあって今に至る22年間の人生を送くることができています。私のことを応援し、支えてくださっている方への恩返しの意味も込め、今回UJA Gazetteへの寄稿を通じて、留学に興味のある方々へ私の留学体験を提供させていただきます。日本で生まれ育ち、単身アメリカに飛び、自分なりに試行錯誤しながらも挑戦した私の留学体験記をお読みいただければ幸いです。
中学高校時代の経験
私は今回の留学以前に、少しだけ海外経験がありました。東京都在住なのですが、区の海外派遣事業で中学生と高校生の時にそれぞれ10日間ずつアメリカ合衆国サンフランシスコに行きました。どちらも「文化交流をしよう」という趣旨です。区とサンフランシスコ近郊の街が姉妹協定を結んでおり、区が費用を全額負担して下さり、参加者は渡米してホームステイを経験できるというものです。中学の時にお世話になったホストファミリーとホストフレンドが本当に親切で温かい人で、私の海外経験は非常に良いものになりました。一方、高校の時のステイ先は経済面や家族の性格など、中学の時に感じたアメリカの印象とはまた異なるものでした。このことから、アメリカに存在する様々な格差に興味を持つようになりました。
トビタテ!留学Japanへの申請
中学高校の留学は短期でしたが、長期留学は今回が初めてでした。大学入学時、周りの友人や先輩など、関わりのある人の多くが帰国子女や留学経験者でしたので、私自身も長期的な留学がしたいと思うようになりました。留学を決心したのは2020年1月頃、文部科学省主催のトビタテ!留学JAPAN 13期の募集を知ったのがきっかけです。入学後、英語資格試験を一切受験していなかったので、交換留学は厳しいかなと感じていたタイミングでのトビタテとの出会いでした。 トビタテの申請を行い、大学での校内審査を突破し、次は面接というタイミングで新型コロナウイルス感染症の拡大を理由に採用手続きが中止されました。しかし留学への憧れは無くなることもなく、悶々とした日々を過ごしていました。
月日は流れ、2020年11月27日、トビタテ14期の募集が開始されました。当時大学2年だった私は就職活動のことを考え、大学3年時にいく留学がラストチャンスだと、再度申し込みを決意しました。そこから留学先の選定、留学エージェントとの連絡、トビタテに提出する資料作成に追われる日々が2021年1月まで続き、留学先をカリフォルニア大学デービス校(UC Davis)に決めました。理由は2つあります。
1つ目は、中高での海外派遣事業先から近いところが安心だと感じたためです。特に中学の時にお世話になったホストファミリーとは連絡を取り合っていました。いざという時に信頼できる人が近くにいることは、私や家族にとって大きな安心材料でした。
2つ目は、私の英語スコア(IELTS academic)で出願できる中で、世界ランキング最上位の大学だったからです。トビタテでは「世界トップレベル大学コース」「多様性人材コース」「新興国コース」「理系、複合・融合系人材コース」の4つのコースがあり、それぞれの定員があります。私が調べた時は、多様性人材コースの倍率が一番高く、世界トップレベル大学コースは倍率が比較的低かったです。なお、私は理系学生ではないため理系コースは選択肢にありませんでした。また、新興国への興味よりもアメリカへの憧れや自身の勉学に興味があったため、新興国コースも考えませんでした。以上の理由から世界トップレベルコースに申請しました。このコースに応募するには留学先の大学が、世界大学ランキングの上位100位以内であることが求められましたが、UC Davisは世界ランク63位(2021年)と要件を満たしていました。
トビタテ14期の全体の倍率は応募者1014人、採用444人の約2.3倍でした。理系コースは約1.8倍、新興国コースは約1.6倍、世界トップレベル大学コースは約1.5倍、多様性人材コースは約5.2倍でした。
ご参考までに、私のトビタテを応募した際に記載した留学の目的は、アメリカでメディア学を学び日本のテレビ離れを食い止めるというものでした(本音の部分では多様性に触れることと語学力の向上でした)。
日本出国 〜コロナver〜
いよいよUC Davisに留学です。期間は、2021年9月から2022年6月の10か月でした。
留学開始時は、まだまだコロナが猛威を奮っていたため、出発前の1ヶ月間は、1年弱会えなくなる友人に会いたい気持ちを堪え、特別な用がない限りは外出しないことを心がけました。飛行機に乗るために出国72時間前の陰性証明が必要でした。英語の陰性証明が必要なため、政府指定のクリニックでPCR検査し陰性証明を発行してもらいました。3万円と非常に高額でしたが、トビタテの「渡航前準備金」を利用できました。
そしてついに日本を出国しアメリカに到着。カリフォルニア州では入国後の隔離はありませんでした。アメリカでは州によってコロナに対する方針が異なっていたため、他では隔離があったかもしれません。同じ時期の日本では、日本入国後に3日間の隔離が必要でした。
無事に入国した後はDavisに移動し、キャンパスから自転車で5〜10分程度のところに位置するアパートに入居しました。アメリカ人3人とインド人の大学院留学生1人とキッチン・リビングを共有する形でしたが、部屋は1人部屋を契約することができたため、水回りを含め、プライベートを確保できました。
留学先で経験したこと -みんな違って当たり前-
この留学の目的は、語学力の向上と多様性溢れる環境に身を置いて多様性とは何かを知ることでした。
留学以前の語学力は、IELTS6.0で決して高いとは言えませんでした。普通に日本の英語教育を受けただけでは、読み書きとリスニング(試験用の音声)はできても、話せない状態でした。
友人と日常会話を楽しめるくらい英語を話せるようになりたいと思っていたため、留学当初はとにかくハウスメイトやヨーロッパからの留学生の輪に飛び込みました。そこで気づいたことは、「皆が何を話しているのかわからない」ことでした。話すスピードやスラング、省略など普段聞き慣れていた手本の音声とかけ離れていたため、全く理解できませんでした。諦めずに一緒に居続けていると、徐々に耳が慣れ、話していることを理解できるようになりました。
しかし試練の壁は続きます。何を話しているかわかるようになったら、今度は自分も何か話したくなります。けれども言葉が出てこない。頭で文を組み立てている間に会話が次の話題に移ってしまう。耳はその場にいるだけで慣れてくれましたが、口は動かさなければ慣れないことを痛感しました。そこで、①授業ごとに友人を作る、②教授やTAのOffice hourに行って話す、③ディスカッションクラスで意見を言ってみる、④日記を英語で書く、こういったことを通して、英文を組み立てる練習と話す機会を増やしました。その結果、帰国子女やネイティブの足元には及ばないものの、集中すれば会話を楽しめる程度まで英語を話せるようになりました。
多様性に関しては、私は小中高を公立学校で過ごした、いわゆる「単一コミュニティ」出身です。そのため常に驚きの連続でした。日本語は言葉以外の意味に重きを置くハイコンテクストの言語ですが、英語やドイツ語(留学生はドイツ人が多かった)はローコンテクストのため「ド直球」に意見を発信します。
当初はストレートすぎると感じ、慣れない日々でした。アパートでもきちんと言わなければ、使った食器や鍋類を洗わない、洗濯機が終わっているのに永遠にどかさない、ゴミを片付けない、など度々でした。たった数人のことなのでこれをアメリカ人の特性と言う気はありませんし、日本人でも同じような人はもちろんいると思います。しかし、私にとっては初めての経験だったため「いろんな人がいる」と言う意味で多様性を感じた気がします。
また、アメリカは移民の国、人種のサラダボウルと呼ばれるほど様々なバックグラウンドを持つ人が多いです。特にカリフォルニアはヒスパニック系やアジア系の人が多く、「みんな違って当たり前」という雰囲気を感じました。バックグラウンドが違えば価値思想も違う。しかしそれをただ聞き流すのではなく、積極的に議論してお互いの意見を聞き入れ、尊重している姿を多々見受けました。日本で暮らす多くの人々は外見が似通っています。似通って見えたとしても、それぞれ違う環境で生まれ育ち、様々な考えを持っているはずです。私がアメリカの大学で見た「違うことに対し、疑問を感じたらそれを聞き、互いに話し、その上で受容尊重する」という姿勢は、日本も見習うべき姿だと学びました。
留学中は、日々の生活に加えたくさん旅行をすることができました。
11月末のサンクスギビングにはロサンゼルスに行きました。12月の冬休みにはユタ州を南北に横断するロードトリップを行い、ブライスキャニオン国立公園、ザイオン国立公園、グランドキャニオン、フーヴァーダムを経て、目的地であるラスベガスに向かいました。
国立公園巡りは非常に印象的でした。ブライスキャニオンでは6時間かけ、幾つもの雪山を歩き続けました。最後の数山を越える時には日も暮れ始めたのに終わりが見えず、半泣きになるほど大変でした。しかしハイキング中に見た絶景や、過酷に思えるほどの壮大な自然を感じ、辛さもありましたが感動が大きく上回ったハイキングでした。
ザイオンでのハイキングは、過去に死者が数十人出ているAngel’s landingというコースに挑戦し、何度も命の危険を感じながらも達成しました。頂上で見たあの広大で特徴的な景色は一生忘れないと思います。さすが日本の何十倍もの面積を誇るアメリカ。大自然のスケールも規格外で、「この世界にはまだまだ私の知らないことがたくさんある」ことを教えてくれました。
そしてラスベガスを観光した後はそのままニューヨークに移動し年越しをしました。
おわりに -何かを始めるのに遅いことは決してない-
私は今回の留学を通じて、語学力や勉学はもちろん、違いを受け入れ尊重する「受容力」や、自分から行動を起こす「積極性」、人と「話す」という点で大きく成長できたと確信しています。幸いにも留学ならではの大きなトラブルは一切なく、平穏な生活を送ることができました。
留学以前には気づくことのなかったアメリカ社会に存在する格差(経済的格差や人種的格差など)と私自身の英語勉強に関して伸び悩む時期や友人から英語力が伸びていないと言われてしまった経験などソフト面で苦しみ、悩むことの多い10ヶ月でしたが、現地でできた友人に恵まれ最後まで走り切ることができました。
この体験記をどのような方々が読んでくださるかわかりませんが、中高生であれば「心配だし怖いかもしれないが、勇気を持って飛び込んでみればその先には未知の世界が広がっていて、自分の可能性を大きく広げられるものになる」、大学生以上であれば、「何かを始めるのに遅いことは決してない」ということをお伝えしたいです。今後は残りの大学生活と就職活動、企業就職を予定しておりますが、この留学は今後の私の人生の糧になっていくことだと思います。質問等あればお気軽に下記の連絡先に遠慮なくご連絡ください。
謝辞
今回このような貴重な機会を提供してくださった赤木教授に深謝いたします。
また、トビタテ!留学JAPANの関係者の方には、奨学金のみでなく、より良い留学になるように、様々な経験ができるように、と手厚い事前/事後研修をしていただきました。ここに深謝の意を表します。
著者略歴
藤田和奈(ふじたかづな)
2019年東京都立三田高等学校卒。2019年慶應義塾大学総合政策学部入学。中高時代の短期留学経験から、語学や海外の文化に興味を持つ。現在、同大学4年生在学。 連絡先 kazuna1230 [at] keio.jp