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留学前のお悩み相談と、海外研究生活の助言/新鞍陽平

更新日:2021年3月2日

執筆者 :新鞍陽平

情報時期:2018年9月~2021年1月(現在も滞在中)

留学先 :南京大学モデル動物研究所

身分  :Principal Investigator

連絡先 :niikura@nicemice.cn

doi  :10.34536/finding_our_way_006


先日の2020年の日本分子生物学会の年会で“留学のすゝめ”というフォーラムが開かれた。こういうフォーラムの演者には、普通は業績に長けた海外一流研究機関などで現在も活躍されている研究者の方々が招待されるものだ。しかし、今回私も、“中国での留学・研究”をテーマに、何かの間違いでフォーラムに演者として招待されることになった。フォーラムの最後に、これから初めて留学されるような若い年代の方々から、演者全員に質問が渡った。以下の3つの質問内容はそのときの質問の再現である。ちなみに、フォーラムの際には、私は質問1にだけ口頭で回答した。そのときの答えも“いろいろ試してみて、あとは深く考えずよく寝るように”というような結論であったと思う。故に、以下に書く内容も、テキトーな中年研究者がテキトーなことを書いているだけだと、話半分に考えていただきたい。


気がつけば50歳手前になり、老眼で実験をしていると、近視の眼鏡をいちいち外さないとチューブのラベルも見えない。昔、日本に住んでいた頃知った著名人などが次々と亡くなり、日本のニュースを見ても日本自体が“外国”のようにも感じる。自分の敬語の使い方も怪しくなってきた。


ふと思えば、今後外国で引退を迎えるのか?日本で引退後に帰国したとしても、果たして生きていけるのか?など、最近の自分の悩みが、これから日本から出国される方と“逆バージョン”になっていることに気がついた。たまに、日本のテレビ番組などで、日本に住む外国人の特集などを見て、その生活の苦労がなんとなく伝わってくる。また逆に、“この人には日本に仕事あるのに、なんで自分に無いんだろう?”というようなことも思う。笑点の三遊亭好楽さんのように、“暇だ”と言いながら、ちゃっかり日本で仕事し続けられる人が羨ましい限りである。


本来ならば、“中国での留学・研究”をテーマに、もう少し書くべきところなのだが、それについてはこのサイトを見ていただきたい:https://spc.jst.go.jp/experiences/studylife/studylife_2002.html

また、前述の“留学のすゝめ”のフォーラムでは、自分の中国での研究苦労話を含めて、かなり悪い印象のことを語った感がある。しかし、実際は、私がそこで悪口を言ったこと以外は、実は中国での研究生活は比較的いいことばかりだと思っていただきたい。今、さらりと気づかれないように書いたが、実はこれが一番重要な一文である。


中国での研究留学あるいは、ラボ独立はごく普通に受け入れられてゆく時代は、近くやって来るか、もう来ている(特にラボ独立)。最近日本のメディアなどによる、在中国日本人研究者が中国の軍事研究に関わっているとか、破格の待遇で迎えられているなどという記事が目立つようになってきた。もちろん、それらの内容は、現場にいる我々からすれば、事実とは違うものである(以下に記載する)。いかにも、在中国日本人研究者に直接インタビューして書かれたような記事も多数あるが、そのような事実も私は聞いたことがなく、在中国日本人研究者として純粋に研究をしている身として非常に遺憾である。在中国日本人研究者らは、あくまで基礎研究を行っているのであり、特別待遇でもなんでもない、むしろ欧米日本よりも低賃金(中央値で、教授レベルで、手取り500−600万円代程度)、低研究費(中央値でアメリカのスタートアップの半額程度)、しかしながら有意に安い物価によって、なんとか周囲に助けられながらやっていっている。物価の安さは特筆すべきで、私のいる南京の物価は、ざっくりいって日本の50−70%程度である。近所の床屋などは3百日本円程度であるが、短髪なら出来栄えは、日本の3−4千円の床屋に遜色無い。私自身は現地の教授と同等のPIのポジションにいるが、感覚として、日本の准教授やアメリカの若いPIぐらいの収入・貯金・生活レベルかと思う。中国産電化製品などは、安価なものほど壊れるまでの期間が短いなど、もちろん高価な日本製にはかなわないが、それほどの目立った遜色があるわけでは無い。逆に日本の工業製品の地位が危ぶまれた時は、それは事実上、日本というモノづくりの国の最期ではないかとも思う。私は、日本の地方の中小企業などで働く技術者の方々の世界最高レベルの技術・品質に普段から感銘を受けている。しかし、日本国内で彼らが受けている待遇の低さには驚かされる。他の先進諸国などに比べても驚くほど低い。そして同様のことが基礎研究をしている研究者にも言えると思う。もちろん、自分の研究について普段からあまり研究外部の人に理解を求めない、社会との関わりを避ける研究者・技術者にも問題はあると思う。


話を中国のことに戻すと、中国の病院の混雑がひどかったり、日本で認可されている薬品の処方に許可が下りないなど、そういう不便さを解消するには、確かに時間はまだかかるだろう。


当然、中国でも業績によって研究者間にも待遇に差があり、そこは他の国々の事情となんら変わりはない。グラントの審査も厳選なので、甘くはないのは、中国も然りである。そうして、学術研究における徐々に国際的な信用や競争力を、これからも伸ばしてゆこうとしているのである。そもそも、日本の政治のシステムや文化の趣向が欧米志向であるところもあるが、政府間での政治上の問題と、学術研究における問題をかなり強引に混同させた日本での記事が近年では目立つ。良くも悪くも、日本でのニュースは政治的にはひどく欧米主義(ズバリ、安保のアメリカより)なのだ。米国で活躍をしている日本人研究者について“破格の待遇で、アメリカの軍事に加担している”などと批判を書いた日本の記事を読んだことがあるだろうか? 以下、本題に移りたい。


(質問1)英語などの外国語での人間関係の築き方が、いまいちつかめません。言葉の問題もさることながら、仕事のDiscussionなどにおいて注意すべき点などはありますか?


テレビか何かで、タレントの美輪明宏さん言っておられた。


私はもう今のマネージャーと何年以上の付き合いになるが、その人がどこに住んでいるのかも知らないし、家族がいるのかとか、プライベートな話は一度もしたことがない。それでも、仕事だけは上手くこなして来られた。逆にそれだったから、良かったのかと思う。人付き合いは、親しき仲にも礼儀あり、付かず離れずの腹六分ぐらいがちょうどいいと、私は思っています。


私は、この発言をテレビで見て妙に納得したのだが、皆さんはどう思われるだろうか?人間関係において、“こうでなければいけない”というようなことは、私は個人的には無いと思っている。しかし、そうは思っていない人も現実には多い。(その認識のズレのおかげで、過去にトラブったことが多いのかもしれないが。)


日本分子生物学会の留学テーマのフォーラムに来られる方なら、仕事の英語でのDiscussionでも9割型の内容は理解できるし、手続き上のミスなども起こり得ないという方がほとんどかもしれない(過去の私は違ったが。場合によっては現在も)。しかしそれでも、海外で生活するのが初めての10―20代の方なら、“外国人と、本当にこんな話していて大丈夫か”という不安はつきものかもしれない。しかし、数ヶ月も経てば、確かに文化的な違いもあるかもしれないが、“個人差”の方がはるかに大きいということに気がつくのではないか?日本人は細かいことに気がつくが、非日本人はそうではないとか、“傾向としては”あるかもしれない。しかし、ステレオタイプな考えがいつでも当てはまるわけではない。米国や中国のような、標本数Nが大きくなればなるほど、極端な例のサンプルの総数は増えてくるので、日本では信じられない光景を目にはする。信じられないことを言ってくる上司や同僚も日本にいるときより増えてくるかもしれない。しかし、その極端な例が、その国の全てをあらわしているかというと、そういうわけでは決してない。


私のように研究分野が実験科学であればなおさらだが、結局先のことはやってみないとよくわからない。そこで、私自身、これはある日突然そう思うようになったのか、徐々に思うようになったのかわからないが、Discussionなどの結論をあまり深刻に考えなくなった。どうせ、真剣・深刻に話をして、美しいお話で終わったところで、実験結果は全部覆されるかもしれないのである。無理しない程度に体を動かし、現場をよく知ることの方が大切に思える。


ただし、Discussionが無駄と言っているのでは無い。何気なく話していると、意外なことに気がついたり、そういうことはよくあるので、むしろそういうカジュアルなトークをこまめに行うことが、実は重要だ。期待していなかったが、案外に役に立った例も多くある。自分で計画がうまく立てられない人にとっても、事前に確認・相談するのは非常にいいことだ。しかし、日本で頑張っておられる方も同じ心境であると思うが、くれぐれも他人には多くを期待しないことだ。期待すれば、幻滅の方が大きいことは間違いない。頼ったつもりの大御所的人物が、大きな間違いだったというようなこともしょっちゅうなのである。結局は、そういうところも自力で乗り切れる力をつけてゆくのが目的で、皆さん海外に行かれるのだと、私は思う。他人に期待はせず、それでも助けてくれた人にはちゃんと感謝しよう。


(助言1)最低限のヘルプは必要。でも海外で、他人に(現地の日本人も含め)期待するのはやめよう。人生はGive and Give and Give。そうして、現場で必死に結果を出しきった人だけが、正当に評価されるべき。そのためのDiscussionであれば、なんでもありだと私は思う。


(質問2)近日中に海外からのオファーを受けるべく、オンラインでインタビューを受けることになっています。何かアドバイスはありますか?


筆記試験に限らず、インタビュー・面接に関しては、私自身には過去にろくな経験がない。私自身が、明らかな試験負け組なのだ。だから、この回答者として、自分は最も向かない。ただ、私の多くの失敗経験にもとづいて、以下に書いてみた。


どこかのマニュアル的な、通り一遍なことを書けば、ともかく準備をするとしか言いようがない。(1)プレゼンが必要ならば、時間通りにそれなりに何度も練習する。(2)曖昧さを排除し、具体的な数字をあげて、簡潔に伝える。図は大きく、文字は少なく。(3)聞かれる質問を予想しておいて、シャドウウィングする。頭の中の言語は全て英語である。(4)自分からの質問も準備しておく。(5)最後はうまく熱意を伝える。などなどである。それなりに野心のある方なら、実際にうまくできるかどうかは別として、周知のことではないかと思う。また、それなりに、頑張ったところで、結局は何か微妙な差(面接官の好き嫌いなど)で落とされることもあるだろうし、実は面接以前に(事前の業績などで)、もう結果はほとんど決まっているなどという例もある。


現在の職場の研究所内でも、毎年数十名の大学院入学者のために面接試験を実施している。私は、そこで学生を選ぶ立場になり、もちろんできる限りの客観性で持って公平に判断しようと努めるのであるが、私の直感は、“本当のところは、実験室でやってみないとわからない。どの学生も能力には大差はない。要は、この学生はこれからやりきるところまでゆくのか、現在はただ中途半端なところでまだ途上なのか?”と語りかけるのである。逆に公平であろうとするあまり、止むを得ず、“定員に限りがある限り、どうやってこの学生を落とすか”というような思考回路にむしろ陥ってしまうのである。いかに試験の結果というものが曖昧かついい加減であり、そうかと言って他にさほど改善のしようのないものであるかということを理解していただきたいのである。くれぐれも、試験の結果に楽観・悲観することなかれ。未来を決定づけるものは本来、一時の試験の点数のようなものではないということを強調しておきたい。ただし、長いスパンでそれなりの仕事をやりきった人だけが正当に評価されるように、評価する側もされる側も努力し続けるのみである。


(助言2)野心は持とう。野心を持って生きていられるうちだけが花。でも夢が崩れたときのことも考えて、その後の自分も大事にしよう。結果、成功も失敗も大した違いはないかもしれない。せめて明日の自分が昨日の自分よりもマシになるよう励むのみ。


(質問3)日本で博士号を取って、海外のポスドク先の研究室を探しています。次は、今までとは違う分野にチャレンジする方向で、受け入れ先を探したいのですが、何かアドバイスはありますか?


これまでのキャリアで、それなりに苦労してきた人なら、次に行くポジションではどうしようと考えるか?“いや、もう以前のようなことはまっぴらだ。“と考える人。いや、同じ苦労を繰り返したくないからこそ、過去の分野を継続してゆこうと思う人。いろいろ分かれるところかもしれない。私の好み・おすすめは、それらのハイブリッドである。傾向としては、若い人の方が新しいこと、未知のことを、あまりリスクを考えずやりたがる。単に年齢が若いというより、そういう人はおそらく心が若い。だから、10代の老人もいれば、80代の若者もいる。私ぐらいの中年なら、できれば心の若さを保ち続けたいが、いやいや、痛い思いもしてきたし、今でも十分痛い。単に隣の芝生が青かっただけで、飛び込んでひどいことになったということも。


博士からポスドクの遷移なら、“分野か手法のどちらか一方だけ変える”くらいならば受け入れられるかもしれない。今まで、“酵母のモデルでaging”をやってきたというなら、酵母の手法は変えないで、違う分野のことにチャレンジするとか、あるいはagingを違う手法で研究するかである。その両方をいっぺんに変えてしまうと、かなりショックなことがあるか、今のご時世、そもそも受け入れ先がイエスとはならないかもしれない。”違う分野・手法“と言っても、どれくらい違うかということも重要だ。また、自分では同じ分野や手法にこだわっているつもりでも、日々の技術の進歩や発見で、ある日ガラリと様変わりすることだってありうる。


即戦力として期待・要求されることはあくまで過去の自分の業績であり、そこに新しさが加わることで、初めてユニークなものになる。過去に確立された手法があるからこそ、新しく始めることへの信頼度も高まる。その一方で、研究分野・手法に、新しいこと、未知なるものを研究者本人がある程度感じなければ、原動力は生まれない。頭の悪い自分は、その原動力だけでとりあえずは研究者にはなった。しかし、まだまだ一寸先は闇でもある。古いことと新しいこと、そのグラデーションをうまく渡り歩くことが、研究の醍醐味では無いか?


(助言3)新しいことに“少しだけ”チャレンジしよう。古くからのことも続けよう。不易と流行。



【プロフィール】

北海道札幌市生まれの富山県富山市育ち。

1996年 静岡大学工学部応用化学科卒業。

1996年 名古屋大学大学院博士前期課程(理学部・無機化学)よりイタリア・フィレンツェ大学へ転学。

2000年 イタリア・フィレンツェ大学にてPhD取得。

2000年 スイス・バーゼルFMI (Friedrich Miescher Institute)

2000−2002年 長寿医療研究センター

2002−2010年 米国、St Jude Children’s Hospital

2010−2016年 米国、Research Institute at Nationwide Children's Hospital

2016−2018年 米国、Greehey Children’s Cancer Research Institute

2018年9月より現職。

現在は、病気(小児がん、痴呆症など)や分化における細胞分裂、細胞内オルガネラ、細胞核内構造における分子制御機構などに興味がある。


(2021年1月に撮ったラボの写真です。一番右が筆者。)


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