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【COVID-19クライシス#21】中嶋 舞(アメリカ・マサチューセッツ工科大学)

更新日:2021年2月15日

執筆者:中嶋 舞

執筆日:2020年5月31日

国名:アメリカ

所属:マサチューセッツ工科大学

トピック:研究室運営、海外生活

doi: 10.34536/covid19-023


この原稿を執筆している2020年5月30日現在、私の住むマサチューセッツ州では9万6千以上のCOVID-19症例が報告され、そのうち6700人以上が亡くなっている。だが実は3月までは、日本の状況を心配しつつも、現在のパンデミックの状況など全く予測できずに通常の生活を送っていた。


全米ではじわじわと感染者が増えてきていたものの、MITの位置するケンブリッジ市では累計感染者数が数人で推移しており脅威は感じられなかった。ところが3月13日にMITは突如research ramp down=研究活動の縮小を申しつけた。ちょうど数時間前に、同市にあるハーバード大学のキャンパス閉鎖の第一報を聞き、皆で衝撃を受けている最中であった。その日の州の累計感染者数は123人、正直この数字でキャンパスを閉鎖する必要があるのか、オーバーリアクションではないかと驚きを隠せなかった。


兎に角その後は僅か1週間で、COVID-19関連の研究と「どうしても中断できない」研究以外は全てストップされ、マラリアを研究している私の所属ラボは全員が在宅勤務となった。週1回のラボミーティングを始め、全てのミーティングや授業はオンラインで行われた。私は、これを機に論文執筆に集中することにした。ほぼ毎日オンライン会議をしながら、メールと電話、チャットアプリを駆使してチームとコミュニケーションをとった。不便も多く、「対面し、気軽に話せる」ことのありがたさを痛感した。


仕事環境だけでなく生活も一変した。ロックダウンされた街からは人が消え、感染者数は爆発的に増加していった。4月に入ってからは州の一日の感染者数が2000人に達する日もあり、どこまで感染が拡大するのかと不安な日々を過ごした。外出もできず、窓の外から景色を眺める。すると新緑の美しい快晴の日にも関わらず人気は無く、無人のバスだけが走り続けている光景に言い知れぬ恐怖を覚えた。当然ながら子供の学校は休校となり、保育所も全て閉鎖され、我が家は6歳と1歳の子供たちを世話しながらの在宅勤務となった。


上の子の勉強を学校の代わりに教え、習い事の手伝いをし、その間に目の離せない乳児の世話をしながら在宅勤務をするのは夫婦が協力しても簡単ではない。空いた時間に仕事をするものの長時間集中するのはなかなか難しく、子供が寝た後から深夜くらいしかまとまった時間が取れない。同じような苦労をしている研究者は多いようで、さらにはそれが今後の業績に影響を与えることが懸念されるという記事もちらほら目にするようになった。ワシントンポスト系のある記事によると、ロックダウン下での男性研究者の論文投稿数が1.5倍に増える一方、女性研究者の論文投稿数が半減した分野があることも報告されている。殊に共働き家庭では、一般的にはどうしても女性の負担が大きくなりがちである。今回、女性研究者としてこの事実を問題提起しておきたい。


さて、ロックダウン開始から2か月半ほど経ち、やっと感染の拡大傾向が落ち着いてきた。そしてついに5月22日、MITで研究活動の再開=research ramp up に向けた指針を発表するtown hall meetingがオンラインで開催された。主旨は、まずphase 1として、これまでの研究活動の25%を再開し、支障なければphase 2で50%、phase 3で100%と段階的に活動を戻していくというものである。しかし、これを実行するまでにPIは大量の書類を提出しなければならない。まず、全てのラボスペースの地図に、social distanceを常時保つことのできる人員配置図を作成する。さらに、研究活動に戻るのは完全にvoluntaryなものであり、健康不安のあるメンバーはキャンパスに戻らず在宅勤務を続けられることを説明し、同意を得た上で一人ずつの勤務時間表を作成する。この表で、全員の研究時間の合計が通常勤務時間の25%を超えることがないか計算し、さらに通勤方法等も詳細に記載しなければならない。それらの書類を提出した上で、審査を受け、通過したラボのみが活動再開を許可される。


これだけでも相当に厳しいプロセスのように感じるが、極めつけはキャンパスに復帰する全員がスクリーニングとしてのPCR検査を受けさせられることである。検査結果はMITの関連機関であるBroad Instituteが24時間以内に出すことになっている。ちなみに、MIT関係者の累積感染者数は原稿執筆時点で74人であり、有病率は0.25%である。改めて、アメリカのリソースの豊富さに感心させられるエピソードだった。


以上がramp downからramp upへの経過である。5月31日現在、ラボに戻る日は未だ確定していないが、早急に状況が改善することを願っている。


最後に、パンデミックとアメリカ社会について述べたい。COVID-19の感染者数と死者数が爆発的に増える中、メディアは医療現場の過酷さや、命を落とした患者個人のエピソードを積極的に伝えていた。コロナ病棟の内部や患者氏名を報道しなかった日本とは対照的である。また、日本で患者と医療従事者に対する差別が報告される中、アメリカでは彼らを「COVID-19と戦うヒーロー」として扱っているのが印象的であった。実名を出した感染者は責められることなく、むしろ支援や寄付の対象となった。トム・ハンクスのように、COVID-19から回復した者はボランティアとして血漿の提供に駆け付ける。また、開発中のワクチンの治験には若者たちが我先にと志願する。ロックダウンで失業者が溢れる中、目立った暴動が起きなかったのは意外に感じられたが、こういったヒロイズムが未曾有の事態においてアメリカ人の連帯感を支えていたのではないだろうか。


夏を前に気温が上がり、徐々に街に人も戻ってきた。マスク姿で人と距離を開けるよう意識して歩いていると、これまで当然のように行っていた笑顔の挨拶やshort talkを恋しく思う。一刻も早く、世界がこの感染症から回復することを祈って。


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