ヨーロッパへの研究留学 〜オランダでの博士課程〜

コーネル大学

本谷 友作


私は京都大学で工学の学士号と修士号を取得後、2018年にオランダのアムステルダム自由大学のJohn Kennisグループで物理学(生物物理専攻)の博士号を取得しました。現在はアメリカのコーネル大学でポスドクをしています。本稿では、4年間にわたるオランダでの博士課程の生活を、オランダ留学を決めた過程とともにご紹介したいと思います。私自身、海外での博士課程留学について情報を得るのに苦労しました。私の個人的な経験が、これから博士課程留学を考えている方の参考になればと思い、本稿を執筆させてもらいました。



オランダ行きが決まるまで


「博士号を取るのになぜオランダを選んだの?」とよく聞かれます。結論から言えば3つ理由があり、(1)海外で研究がしたかったこと、(2)博士課程で給料を得られること、(3)ボスやオランダのアムステルダムという街との相性がよいと思ったことです。


原子核工学を専攻していた大学3年生の時に科学者になろうと思い、大学4年生で研究室に配属されました。そのラボには海外からのお客さんが多かったのですが、私の当時の英会話力ときたら「How are you?」がなんとか言えるくらいの悲惨なものでした。科学者になるには日本国外の研究者ともやっていく必要があると強く感じ、彼らの考え方や研究文化を学ぶため、また自身の英語力を鍛えるために、修士号取得後の博士課程での留学を思い立ちました。当初、ポスドクとして海外に行くことも考えましたが、修士の後には研究対象を生命科学に変えようと思っていたことと、さらに経済的・精神的に博士課程の学費を払うのがキツかったこともあり博士課程での海外留学を決めました(ほとんどの先進国で理系の博士課程学生は給与を得られます)。


当時はなぜか研究留学といえばアメリカだと思い込んでいたため、まずはアメリカの大学院に応募しました。アメリカの博士課程の応募時期は年に1回、またGREなどの試験結果や学部時代の成績(GPA)が必要です。私はGPAが3.0を切る不真面目な学生だったこと、またGREも準備不足でひどいスコアで、アメリカの大学院8校に応募しましたが箸にも棒にも掛かりませんでした。もう1年しっかり準備して再挑戦してもよかったのですが、GPAの改善は望めず、またGREなど研究に直接関係のないところへの努力にモチベーションが湧かず、どうしようかと途方に暮れました。このころには学費などの借金が800万円ほどあって、修士での研究もうまくいっていない上に留学先も決まらず、先が見えない不安がとても大きかったのを覚えています。

オランダの週末の午後。晴れた日に昼から飲むビールが格別でした。

あるとき情報を集めるためにネットを見ていると、『Nature Careers』というサイトでヨーロッパでの博士課程学生の求人が多く出ていることを見つけ、ヨーロッパに応募してみようと思い立ちました。アメリカへの出願との大きな違いは、研究室単位の応募であること、また通年求人が出ていることです(注:ヨーロッパの中でもイギリスはシステムが異なると聞いたことがありますが、詳しくはわかりません)。研究室単位の応募ですので、採用はボスの一存で決まります。なので研究への熱意さえ伝えられれば、十分チャンスはあると思いました。そこに後の指導教官となるJohn Kennis先生が求人を出していて、非常におもしろい研究テーマで博士課程の学生を募集していました。さっそく必要書類の(CV)と推薦者2名の連絡先を準備して、Eメールで応募しました。CVに付けるカバーレターには特に時間をかけ、こちらの熱意が伝わるようにしました。


すぐにJohnから返信があり、何通かメールをやり取りしました。そんな中、同じ京都大学にいらっしゃっる中曽根祐介先生という方から突然電話がありました。中曽根先生と私はそれまで全く面識がなかったのですが、中曽根先生はアムステルダムへの留学経験がありJohnとお知り合いのようでした。どうやらJohnから中曽根先生に「日本人のこんな奴が応募してきた。同じ大学にいるようだからどんなやつか会ってみてくれ」といった連絡が行っていたようです。その数日後に中曽根先生の前でプレゼンをし、夜は飲みにつれて行っていただきました。すっかり意気投合し、Johnにもよいフィードバックを送ってくださったようでした。中曽根先生には感謝をしており、今でもよくしていただいています。


その後、JohnとSkypeで話し、好感触を得ました。Johnはスキンヘッドで見た目はイカついのですが、とても物腰がやわらかく、寛容的です。私のつたない英語を最後まで聞いてくれます。留学前にラボと街を直接見ておきたかったので、その旨を伝えると快諾してくれて、ラボツアーやセミナー、また他の先生方とも会う時間を作ってくれました。アムステルダムを訪問したのは11月で暗く寒い時期だったのですが、街の活発な雰囲気をとても気に入りました。4年間も住むので、街を気に入るかどうかは重要な要素だと思います。大学内の研究設備は素晴らしく、またグループメンバーもとてもフレンドリーで、そこで研究をしたいと思うようになりました。訪問の最後に正式にオファーをもらった時には二つ返事で受諾しました。その時のJohnの笑顔は今でも忘れられません。


実は同じ時期にドイツの研究グループにも同様に応募していて、面接を経てオファーをもらっていました。そちらも魅力的な環境だったのですが、最終的にはJohnの人柄とアムステルダムの街に惹かれてオランダ行きを決断しました。私は博士課程での研究室選びは指導教官との相性がとても重要だと思っているので、素晴らしい指導教官に出会えたのは幸運でした。


私の場合は求人サイト(『Nature Careers』の他に『Academic Positions』や『Science Careers』などもあります)から受け入れ先を見つけましたが、オランダの博士課程への応募には他にもいくつか方法があります。研究室のホームページやTwitterで求人を出している場合もありますし、周りで多かったのが、修士課程のうちにインターンシップなどでラボに半年ほど滞在し、そのまま同じラボまたは近いラボに博士課程の学生として採用されるというものです。採用する側も最低4年、計1500万円ほどの給料を保証しないといけないので、素性が知れている人を採用するのは安心感があるのだと思います。ちなみにオランダの修士課程では本腰を入れて研究をしないので、修士課程のうちに研究成果があれば多少のアドバンテージになります。私は修士課程の間に筆頭著者での論文は出せませんでしたが、共著論文が2本と国際学会での口頭発表が3件あったので、若干有利に働いたと思っています。


オランダの博士課程

博士号取得後のパーティーにて、恩師のJohn Kennis先生と。

採用後にビザの準備などを進め、2014年2月にアムステルダム生活を開始しました。オランダの2月には珍しい、快晴のすがすがしい日でした。その後は一息つく間もなくすぐに研究を開始しました。Johnはまずはゆっくり休めと言ってくれたのですが、早く研究がしたくてウズウズしていました。同僚はみんな親切で、装置の使い方などを丁寧に教えてくれましたし、プライベートでも「アムステルダム」を教えてくれました。4年間を通してオランダの博士課程生活を楽しめたのは、素晴らしい同僚の存在があってのものだったと思います。


日本では「終電で帰る」または「ラボに泊まる」という生活をしていた私も、オランダではそうはいきませんでした。ラボがある建物は午後10時に完全ロックされて外にも出られなくなるので、必然的に午後10時までに帰ることになります。そもそもほとんどの人が午後7時前には帰り、週末は働きません。おまけに年に合計2か月分ほどの有給があり、みんなしっかり消化します。郷に入っては郷に従えの考え方を採用し、私も平日は早く帰ってバーに飲みに行ったり、夏には長期休暇を取ってバイクでヨーロッパ一人旅をしたりしました。オランダスタイルでの生活を通して、休むことのメリットを実感しました。これはかなり大事なことで、しっかり休めるようになったことが、オランダ留学で得た一番のスキルかもしれません。


労働時間が短いオランダ人ですが、生産性はとても高いです。周りを見ても、いい論文を多く書く同僚がたくさんいました。私が感じたのは、横のつながりの大切さです。オランダ人のオープンな気質も関係しているのかもしれませんが、ラボ間の垣根が低く、装置の貸し借りや知識の共有を気軽に行えます。また1つのラボで全て完結するというよりも、各ラボがそれぞれの強みを持っていて、それを持ち寄って一緒にいい研究をするという考えが浸透しているように感じました。高い生産性にはいろんな要因があるでしょうが、この協力体制は一端を担っていると思います。一方でハードワークは苦手なようで、ここぞという時にハードワークができるのは日本人の大きな武器だと思っています。


オランダの博士課程では授業の履修義務はなく、一部のティーチングアシスタントの時間を除いてほぼすべての時間を研究にあてられます。オランダでは博士課程の期間は4年が標準で、私がいた生物物理の分野では、筆頭著者論文を4本以上準備できたら博士論文執筆のGoサインが出る場合が多いです。4年で終える必要はなく、ボスのグラントが許す限りは延長できますし、自分のタイミングで博士号を取ります。学位取得前に一旦企業に就職して働きながら博士論文を用意し、就職から数年後に博士号を取る人もいます。


博士号の審査員は国内外から5名ほどを指名するのが一般的で、私はドイツから2人、オランダ、フィンランドとチェコから1人ずつの5名に依頼しました。審査会は、候補者と審査員が正装に身をつつんだ伝統的な形式で執り行われます。審査会ではよっぽどのことをしない限りは合格する半ば形式的なものです。かつてベロベロに酔っぱらった候補者が審査会に現れたことがあったらしく、彼はめでたく不合格になったようですが、それは例外中の例外です。無事に審査会に通るとその場で博士号を授与されます。夜は友人や同僚、お世話になった先生方を招いて、レストランやバーを貸し切ってパーティを開きました。パーティは深夜0時くらいに終わりましたが、そのあとは特に仲のよかった同僚たち数人と朝まで外で飲み明かしました。


オランダでの生活

2014年ワールドカップでのパブリックビューイング。オランダとサッカーは切り離せません。

英語で日常生活が送れるというのはオランダ生活の大きな利点だと思います。非英語圏において、オランダは世界で一番英語が通じる国らしいです。私の体感的にはオランダ人はほぼ全員英語が話せるという印象です。大学内もそうでしたが、アムステルダムの街はとても国際的で、ヨーロッパを中心に世界中から人が集まっています。異なる文化的背景を持つ人達と話すのはとても刺激的でした。


またオランダには研究者はもちろん、様々な分野で活躍する日本人もたくさんいます。理系研究者だけでなく、文系の研究者、プロの芸術家やサッカー選手・コーチなどと話すことも多く、いろんな刺激をもらいました。また企業の駐在員の方も多く、オランダにいながら日本人のネットワークも大きく広がりました。在オランダの日本人というだけで一種の仲間意識が芽生え、日本にいたら知り合わなかったであろう方々とたくさん出会えたのは大きな財産です。


オランダはサッカー大国で、私のようなサッカー好きにはたまらない環境が整っています。アムステルダムだけでもアマチュアの町クラブが何十個とあり、各クラブがバー付きの立派なクラブハウスと4-8面ほどの芝のピッチを持っています。子供からシニアまでリーグが設定されていて、自分のレベルと都合に合わせてプレイできます。私はオランダ人チームと日本人チームの2つに所属していました。晴れた日曜日の午後にサッカーをプレイして、その後に「第3ハーフ」と称してビールを飲むのが至高のひと時でした。また、ヨーロッパの中央付近に位置し、大きな空港もあり、旅行には非常に便利な立地にあることもオランダのよいところでした。


おわりに


オランダへの博士課程留学を通じて、研究者としても人間としても大きく成長できたと感じています。英語で日常生活や研究生活が送れること、他のヨーロッパ諸国と比べて博士課程での給料が高めなこともあり、オランダは博士課程留学の穴場だと思います。


2021年5月3日


著者略歴


本谷友作(ほんたにゆうさく) 2018年アムステルダム自由大学理学部物理学科博士課程修了。2018年よりコーネル大学博士研究員。ヒューマンフロンティアサイエンスプログラム(HFSP)フェロー。 連絡先:yusaku.hontani@gmail.com