国際開発のすゝめ シリーズ1 グローバル社会課題をいかに克服するか
株式会社Darajapan
角田 弥央
“現地住民によるエンパワーメント”の実現を目指し、タンザニアで現在孤軍奮闘している角田弥央です。現在に至るまでには、私の幼少期からの経験、それぞれの時代に置かれた環境、そして、多くの出逢いが強く影響しています。その経験や背景をお伝えしながら、様々な社会課題が蔓延るアフリカの現状と、現在進行形のグローバルな社会課題への取り組みについて、3回連載に亘り、お伝えしていきます。
第2回は、大学時代6年間を振り返り、現在の活動の原体験からグローバルな活動に目覚めた経緯と、留学経験や自分の内なる変化について綴りたいと思います。これまでの経緯は第1回を参照ください。
理想と現実の狭間
様々な苦難を乗り越えて入学した薬科大学。入学してから気付いたのは、更なる「孤独」との闘いでした。人生の再スタートとなるはずだった大学生活は、私の期待をよそに高校生活の延長でした。入学時からクラス別となり、毎日朝から夕方まで講義を受けました。好きな科目を専攻できるわけではなく、必修科目がほとんど。講義後は、科目毎に実験・実習があり、定期試験は10科目以上あるのが当たり前。本試験では、合格点に満たないと長期休暇中に再試験を受けることになり、1ヵ月前から全てのサークルや部活動が停止になる程、薬学生は勉学に勤しまなくてはなりませんでした。入学前から覚悟していたとはいえ、華のある大学生活とは程遠く、探求心を持って学ぶという理想とは程遠い現実に、「どうにか“新しい経験”をしなければ」と焦りを感じていました。
バックパッカーで海外に目覚める
大学生活初めての長期休暇に、日々のうっ積から「外の世界を見てみたい」と強く思った私は、バックパッカーとして赴くまま東南アジアへ渡りました。
紹介頼りにインドネシアのスラウェシ島に滞在。東京以外で生活したことのない私には、空港に着いた瞬間から帰国するまでカルチャーショックの連続でした。とてもお店とは言えない掘っ立て小屋が複数並んでいる街並み。裸足の子供達が大勢でひたすら駆けずり回っていたり、仕事中のお兄さんが昼間から伝統音楽に合わせて歌って陽気に踊っていたりと。自分がインターネットや新聞で得た知識とはかけ離れた世界観に心底驚き、同時に今まで感じたことのない心が満たされる日々を送っていました。
最終日、真っ暗な建物の中、意気投合した同世代の女性と一緒に携帯で映画を観ていた際、ふと「なぜこの島に住んでいるの?」と拙い英語で聞いてみました。彼女は迷うことなく「家族を養うため、夢を叶えるために、出稼ぎに来ているのよ」と笑顔で答えてくれました。
お世辞にも裕福とは言えない環境であっても毎日楽しく懸命に生きている姿を目の当たりにしてハッとさせられました。当たり前にように毎日満員電車に揺られながら大学へ通い、理想と現実の狭間でついムスッとした顔をして学生生活を送っていた自分が急に恥ずかしくなりました。やりたいことがあっても生まれた環境によって実現できない人達がいる現実を実感した瞬間でした。この出会いと経験こそが、現在のビジョンの礎となっています。
独学とバイトで実を取る~トビタツ序章(課外活動編)
この旅を境に「誰かに貢献できる人生」を歩みたいと考えるようになり、まずは英語を習得することから始めました。大学に入学するまでは、合格するための手段にすぎなかった英語を本腰を入れて勉強するのは、この時が初めてでした。本業を疎かにすることなく、語学学習に加えて貧困地域の開発学を並行して独学しました。
そのうち、現場へ足を運びたいという思いに駆られるようになり、長期休暇の度に東南アジア諸国連合(ASEAN)の薬局や保健センターを見学するようになりました。しかし、短期滞在では学びに限界があることを感じ、長期留学を志しましたが、本業を疎かにせず十分な準備と時間を確保することは困難でした。
そこで、卒業前に唯一時間が取れる大学5年時に短期留学する決意をしました。といってもそもそも資金がなかったので、まずはスーパーの試食配りから始め、家庭教師や居酒屋などあらゆるアルバイトをして留学資金を用意しました。外国人とのコミュニケーションの練習を兼ねて、ホテルのレセプションもしました。様々な職種を経験したことは、その後の人生を豊かにしてくれました。
世界の薬学生を繋ぐ~トビタツ序章(学外活動編)
大学生活で最も熱意を持って取り組んだ活動は、大学4年時に務めた一般社団法人日本薬学生連盟の交換留学委員長でした。先輩が、海外志向の私を薬学生の国際交流活動へ誘ってくれ、リーダーに推薦してくれたことが転帰となりました。主な活動として、他国からの薬学生を国内5地域で受け入れ、日本の薬学界を知ってもらう様々な留学プログラムを提供しました。
具体的には、病院・薬局・漢方施設などの見学、薬局・研究室での実習、日本と他国の薬剤師の職能や医療制度を比較するワークショップのほか、観光案内やホームステイを通して各国の文化を体感するイベントなどの企画運営をしました。交換留学委員長として各地のリーダーとスタッフ合わせて80名以上を統括し、全世界から薬学生を受け入れるための選考プロセスとプログラムの考案から手続きまで、運営に明け暮れる日々でした。
今すぐにでも海外留学したい私が、まさか先に留学生を受け入れる立場になるとは思いませんでしたが、おかげで国内留学をした気分になれ、留学の仕組みや両者の立場を理解したことにより、留学への想いは一層強くなりました。
そして、特に感慨深い経験となったのは、海外との交流機会に恵まれていなかった北海道地域に初めて留学プログラムを開設したことでした。地域の声をしっかり拾い上げ、形にして還元した経験を通じ、実現したい未来を共に描き、理想的な将来像を導くリーダーになることこそが自分の役割であり、同時に自らのモチベーションにもなり得ることに気付いたのです。短い期間でしたが、世界中の人々と繋がり、寝る間を惜しんで仲間と奮闘した経験が、現在の組織運営に活かされています。
突発性難聴になって気付いたこと
日々の勉強や実習に追われる傍ら、課外活動や学外活動に勤しんでいたため、多忙ながらも順風満帆な学生生活を過ごしていたわけですが、アクシデントは突然に。ある朝、目覚めると突然右耳が聞こえず、一日中雲がかかっているようでした。思い当たる節がないため、耳鼻科を受診して聴力検査を受けるも診断が確定せず、大病院の紹介状を渡され直ぐに大病院へ。精査の結果、突発性難聴と診断されました。
担当医から「21歳で聴力がここまで落ちるのは珍しいので、今日から入院して治療に専念してください」とのこと。シリアスな結果を聞くも不思議と焦らず、「まぁ治るだろう」と能天気に翌日から入院。治療は、通常の点滴によるステロイド投与療法だけでなく、鼓膜への局所投与療法も併用することに。
休む暇もなく常に動き回っていた生活から一転、入院中は本を読んだり、お見舞いに来た友人と他愛もない会話をしたり、通常の生活へ戻ることに焦らず、治らないことへの不安をよそに明るく過ごしていました。
治療に日々奮闘した甲斐もあって、完璧とは言えないものの担当医が驚くほど回復しました。なぜここまで回復できたのかはわかりませんが、入院中も常に明るく振る舞い、平常心でいることを心がけ、「これから一生耳が不自由な生活になるかもしれない」という不安に打ち勝とうとメンタルコントロールを心がけていました。自分の可能性を信じること―不自由さの中でどんな困難が降りかかったとしても自らを信じ続ける強さが、突発性難聴を患ったことで身についたと思います。
海外へトビタツ!
学業の傍ら、バイトに勤しむも資金面での不安が拭えず、留学までの残り時間が差し迫っていたため、奨学金を申請することにしました。いろいろと探索した結果、文部科学省と民間事業の連携で生まれた「トビタテ!留学JAPAN」留学支援プログラムへ辿り着きました。導かれるように早速申請し、書類選考・グループ面接を経て無事に合格しました。トビタテ!留学JAPANでは、自分のやりたいことが明確であれば独自の留学計画を創り、留学国も自由に組み合わせることを受け入れてくれる、自主性を重視した留学支援制度でした。
当時の私の研究内容と関心テーマがリンクしているインターンシップ先があったことから、エジプトとイギリスの2ヵ国を選択しました。
当時所属していた分子製剤学研究室では「国内外で製造されているイブプロフェン製剤の評価と比較」という研究テーマに取り組み、中でも新興国で当たり前のように流通している偽造医薬品(以下、偽薬)について強い関心を持ちながら調査していました。というのも偽薬を識別する新たな手段としてハンディラマン分光器が日本で開発され医薬品規格に用いられていたのですが、当時は世界的に見てもかなり特殊であったため、海外の製剤比較評価での有用性を知りたいと思っていました。エジプト留学は、新興国における後発医薬品の知見を深める絶好の機会と捉え、迷いなくトビタチました。
エジプトの製薬会社では、朝から晩まで後発医薬品開発プロセスに携わるインターンシップに参画しました。偽薬流行国として直面する社会課題を解決すべく、製剤評価や麻薬検査に対する積極性と技術の高さには目を見張るものがありました。偽薬は、悪名高いビジネスとして主に中東やアフリカで広がっており、服用によって別の病気に罹患したり死に至るリスクがあります。他にも、所属した部署では、イスラムの教えであるハラルに関する製剤開発を行うなど、異なる文化に根差した医薬品開発を目の当たりにすることができ、貴重な体験となりました。
製薬会社の後は、薬局でのインターンシップを行い、自然治癒療法の実態について学ぶことができました。日本では国民保険への加入が義務付けられているのですぐに病院を受診することができますが、新興国では病院を受診できるのはごく限られた人だけです。そのため、国民の健康意識は想像以上に高く、病気の予防への意識が高い人が多いと感じました。また、ちょうど日本の漢方にあたる薬草が医薬品と同じくらい使われていて、薬草療法に関する知見が豊富でした。古代文明から蓄積されてきたエビデンスに基づく医学療法が存在するなど、もともと医薬品を使わない治療法に興味のあった私にとって(第1回参照)原点に立ち返えるよい機会になりました。
さらに機会に恵まれてイギリスへ移動し、ハートフォードシャー大学の交換留学プログラムで英国薬剤師免許を取得するためのコースを受講しました。
世界中の薬剤師のステップアップのためのコースで、私は授業についていくだけで精一杯でした。イギリスの保険制度や医療体制は世界的に注目されていることから、参加者の熱量は高く、「ユニバースヘルスカバレッジ(UHC)についてどのようにソーシャルセクターが関わっていくか」「医薬品の経済合理性という観点からどのように市場価格と折り合いを付けていくか」など、高いレベルの実践的なテーマについて徹底的に議論する毎日でした。
授業の傍ら、ポスター発表やエッセイの執筆を並行し、英国式で「Evidence Based Medicine」の重要性を叩きこまれ、自分がいかに甘えた世界観で医療を語っていたかを思い知らされました。この恵まれた機会に感謝しつつ、刺激の多い環境で学べる悦びを感じると同時に、薬学だけを深く掘り下げていくことに初めて違和感を覚えた瞬間でもありました。
東京でアフリカの面白さを知る
留学から無事に戻り、培った経験を活かす機会を求めていたところ、国際交流イベントに参加する機会が突如舞い込んできました。トーキョー会議(Tokyo Kaigi Conference)は、グローバルな視野と多様なバックグラウンドを持つ人々がアイデアを持ち寄り、日本の国際化にともなう社会的問題について議論する場として毎年開催されています。学生生活で薬学分野の友人に限定されていた私にとって、多角的な分野と多国籍な文化に触れることができる機会は非常に斬新かつ新鮮なものとなりました。
会議では、機械工学博士、物理学者、国際ビジネスや経済学を専攻する留学生らと日本の社会課題について討論しました。特に印象的だったのは、母国でトップレベルの学力を持ち、日本政府からの奨学金で修士課程に来ているアフリカ人留学生らとの議論でした。これまでのアフリカに対する私のイメージは「貧しい」「大自然に溢れている」「国際協力機関が多い」とざっくりしたものでしたが、彼らとのコミュニケーションを通じて、いつの間にか「おもしろい!」に変わっていました。さらに、知り合ったタンザニア人女性が現在のビジネスパートナーになるなど、まさにアフリカとの運命的な出逢いの場となったのです。
卒業旅行がアフリカへの序章
学生生活の締めくくりは、最後の難関である卒業試験と薬剤師の国家試験になります。通常は6年生の1年間を試験対策に費やすのですが、私はむしろ将来のために有効活用することにしました。これまでの知見を活かすためにビジネススキルを身に着けたいと考え、オフショア開発を展開しているIT企業や案件化調査の企業でインターンシップをしました。幸いなことに、インターン生としてアフリカに関われる案件に携わることもでき、私が進むべき方向性が定まっていきました。
もちろん勉強も疎かにせず卒業試験と国家試験も無事に終え、長い学生生活が終わりました。
学生最後の長期休暇は、待ち望んでいたアフリカでのインターンシップをすることにしました。国際会議で知り合ったタンザニア人女性を通じて国営貿易会社で働けることになり、衛生環境調査員の補佐役を務めることになりました。
タンザニアの日常を目の当たりにしたことで、私の薬学の知識が活かせるフィールドがあることに気付くことができただけではなく、明るくてジョークが飛びかうポジティブな国民性、森や海の豊かさや大自然に触れ、一瞬でタンザニアの虜になってしまい、現在に至ります。
振り返ると、大学6年間でヨーロッパ・アジア・アフリカ地域を中心に実に35ヵ国を訪れました。多くの出逢いから「視野を広げて物事を捉える考え方」を学び、「世界のどこでどのような貢献が私にできるか」を探し続け、「しっかりコミットすることこそが大切である」と気付かせてもらいました。そして、各地の医療施設を訪問し、大きな経済格差がある新興国の様々な社会課題を体感したことから、「環境衛生の改善と予防医療こそが私のミッションである」と考えるようになりました。迷い多き学生生活でしたが、大学時代の学内・課外活動のすべてが実を結び、アフリカでの取り組みに繋がりました。
次回は、現在取り組んでいる事業が「アフリカ諸国のどんな社会課題にアプローチしているのか」「これからのグローバルな時代にどんな視点や活動が必要になるのか」お伝えしたいと思います。お楽しみに!
著者略歴
角田 弥央 株式会社Darajapan代表取締役/TANZHON Ltd.共同創業者
明治薬科大学在籍中、アジア・アフリカ・ヨーロッパ計35か国の病院・薬局・製薬会社を視察・訪問し、医療システム・薬剤師の職能について調査。海外と日本における後発医薬品の製剤比較を研究。英国University of Hertfordshire にて、英国薬剤師免許取得コース(OSPAP)に参画。エジプト製薬会社Amoun Companyの製造・品質管理部門にて、後発医薬品の製剤開発に従事。Roshdy farmacyと連携し、偽薬の市場調査と教育プログラムを企画。その後、タンザニア国営貿易会社にて、中国との港湾インフラプロジェクトにおける衛生環境調査に従事。国家資格薬剤師免許取得後、株式会社ネオキャリア海外事業部にて外国人雇用支援、法人営業に携わる。現在は独立し、タンザニアのビジネスパートナーと共に森林伐採削減×衛生環境改善のためのバイオマス事業、を立ち上げ、現在シード。
キャリアパスに興味がある方はnoteへhttps://note.com/uja_career/n/n788d932fa8dc