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王道ではない留学の道

ハーバード大学

佐野 月咲


こんにちは。ハーバード大学学部4年生の佐野月咲(さのるなさ)と申します。大学では科学史を専攻し、東洋医学の歴史や日本の身体操法の歴史について研究する傍ら、アイスホッケー部に所属し、全米優勝と日本代表としてオリンピックに出場することを目指しています。本稿を通して、王道ではない、私のアスリートと学部生としての留学生活を多くの方に知っていただければ幸いです。


留学興味0だった高校生がハーバード大学へ


高校生前半の頃の私は、「海外」や「留学」というワードに微塵も興味を示さないような学生でした。海外での短期留学や仕事の経験がある両親の影響で、英語は好きで、「いつかは海外にいくのだろうな」とぼんやり思っていました。しかし、日本は居心地がよく、高校で募集のあった短期留学や国際交流の機会には一度も応募したことはありませんでした。そんな私に転機が訪れたのは高校2年生の1月でした。


私は、5歳からアイスホッケーをしています。地元のスケートリンクで小さい子供がアイスホッケーをしているのをたまたま見かけ、その珍しさに惹かれたのがきっかけでした。小中学校と地元でアイスホッケーを続け、高校生に入って都内の強豪女子クラブチームに所属することになりました。チームには日本代表やオリンピックに出場した選手も所属し、私も自然と年代別代表に入り、その後、フル代表に入り、オリンピックに出場するという目標を思い描くようになりました。


高校1年生の冬、16歳で初めてU 18日本代表に選ばれ、アメリカの世界選手権に出場する機会がありました。初めての国際舞台では、自信や刺激を受け、また強くなって翌年のU 18で活躍しようと誓います。当時はアメリカに行ってもアメリカという国や環境に憧れを持つわけではなく、「また代表としてこのような国際舞台に戻って来たい」と思うだけでした。国際大会に出たことで自分がオリンピックという夢にまた少し近づいた気がして、それがさらに私のモチベーションを上げました。


しかし、翌年のU18世界選手権への選考合宿後、世界選手権への出発直前に、私は代表から落とされてしまいます。その時のショックは後にも先にも経験したことのないほどに大きなものでした。自分が思い描いていた道の全てが絶たれたような気がして、どうしていいか全く分からなくなってしまったのです。同時に「こんな経験や思いは自分だけのものだから、絶対に無駄にはしない」という強い決意をしました。


「無駄にはしない」と決めたものの、次のステップをどう歩めばいいか分からなかった私に、代表落選から2週間も経たないある日、両親があるものを見せてくれました。それは、ハーバード大学のアイスホッケー部のビデオでした。「ハーバード大学のアイスホッケー ってものすごく強いらしいよ」と聞き、初めてハーバード大学を始めとするアイビーリーグ校が、アメリカやカナダのオリンピック選手を多く輩出するほど強豪であることを知りました。今までは学業一色だったハーバード大学のイメージがガラッと変わり、その瞬間に私は「ハーバード大学へ行く」と決意しました。これが全ての始まりだったと思います。


高校3年生の春休みにハーバード大学を訪問してとった記念写真

アスリートとして大学に入学する場合、多くの場合が、大学にスカウトされて入学するというものです。特に、北米で人気スポーツのアイスホッケーだと早くて中学3年生の歳からスカウトされる選手が出て来ます。私が高校3年生の春休みと夏休みに大学訪問し、ハーバード大学含めいくつかのアイビーリーグのアイスホッケーチームの監督と話した際も、私の入学年とその翌年は既にスカウトできる枠は埋まっていると伝えられました。しかし、そこで諦められるわけではなく、私は思わず、「もし、自力でハーバード大学に入学したらホッケーチームでプレーさせてもらえますか?」と英語で聞いていました。監督は「いいよ」と言ってくれたので、「絶対に自力でハーバード大学に入る」と決意しました。



読者の方の中には、留学するのに英語のテストを受けた方も多いのではないかと思います。学部では、TOEFLに加えて、SATというアメリカ版のセンター試験のようなテストも必要になります。また、英語で書く何本ものエッセイ、高校の成績、面接、などいくつもの超えるべきハードルがありました。


英語という科目自体は好きだったものの、海外で通用するような本格的な英語を勉強したことがなかった私は、それらのテストやエッセイを1年以内でクリアするというのに苦労しました。しかし、ハーバード大学に入学するという楽しみで仕方のない目標があったので、合格率の低さなど全く考えることなく、今思っても不思議なほど楽しく準備していました。TOEFLの点数は10ヶ月かけてやっと最初の点数から20点ほど上がり、最低ラインの100点を超えることができました。出願までにハーバード大学のアイスホッケーチームのコーチ達とも何度もメールでやりとりし、自分のアイスホッケーと学業の成績について毎回アップデートしていく中で、最終的には完全なるスカウトではないが、大学側に後押ししてくれるということもあり、ハーバードに無事出願、そして、一度保留という結果を経たものの合格することができました。


今考えてみると、あの時自分が抱え切れるかどうかわからなかった大きな挫折は、今の自分にとって不可欠な、意味のある出来事だったのだと思います。ハーバード大学で大変なことももちろんありますが、そういう時はいつも、ハーバードに入学したくて仕方がなかった1年間を思い出します。


科学史との出会い


大学院や研究室とは少し異なるとは思いますが、米国大学の学部に入学する生徒は自分が何を本格的に学びたいかまだ決めないまま入学する生徒が少なくありません。私もそのうちの一人でした。ハーバード大学では、リベラルアーツ大学と同じように、2年生の途中まで専攻を決める必要はありません。もちろん専攻を決定した後も変更することが可能です。私は高校生の時、自分は心理学、脳科学、教育などの分野を将来的には学ぶのではないかと思っていました。それと同時に、中学生の頃から針治療や漢方などの東洋医学にも興味があり、専攻はないにしてもそのようなトピックを扱う授業があれば嬉しいなと思っていました。科学史との出会いは、まさにそのぼんやりとした興味をさらに探究できるチャンスとの出会いでした。


1年生の後期、4つの受講するべきクラスのうち、最後のクラスがなかなか決まらず、履修登録の前日の夜にたまたま見つけた授業がありました。それが、ハーバード大学の栗山茂久教授による「Medicine and Body in East Asia and in Europe」という授業でした。東洋と西洋の医学について、起源からその歴史を辿り、最終的に「科学とは何か?」という問いについて深く考えさせられました。それまで私は東洋医学がどう科学的に証明できるだろうということばかり考えていたのが、過去に遡って歴史的視点で考えるという取り組み方もあるのか、と衝撃を受けました。これがきっかけで科学史という学問と出会い、科学史を専攻することになりました。


卒業論文では、日本人の体の動かし方や体に対する考え方がどのように変わっていったかについて古武術を通して研究します。古武術は、自身のアイスホッケーの動きに活かせるものがあるかもしれないと、コロナの影響で日本に帰国した約1年前から習い始めました。今まで何も疑問を持たずに行ってきたトレーニングから、1度離れた観点で自分の体について考えてみるというのは刺激的でした。個人的には、古武術と精神面が繋がっていて切り離して考えるのが難しい、そのため一般化しづらいというところに面白みや探究のやりがいを感じています。


大学生になって、少しずつですが、学んだことがまずは自分の動きや考え方に大いに影響してきていることを感じています。まだ始まったばかりだとは思いますが、この学びの延長線上が、誰かのためになる未来を目指して、まずは卒論に取りかかろうと思っています。学部を卒業した後の進路は未定です。プロアイスホッケー選手になること、大学院に行くこと、就職することなど、様々な選択肢を考えています。たくさんの先輩方のお話もお聞きしたいので、読者の皆様、いろいろと教えてくださればとても嬉しいです。


おわりに

ハーバード大学での試合の様子

私がハーバード大学に行った第一の目的は、「アイスホッケーでオリンピックに出場する選手になる」でした。ハーバード大学での経験はスポーツだけでなく学業面も刺激的で、日々心境の変化がつきものですが、この目標だけは変わりません。


しかし、大切なのはその先だと思っています。

ハーバード大学での良い経験も苦い経験も全て、特別な環境であるという自覚を常に持ち、これをより多くの人に還元していくことこそ自分が今後忘れてはいけないことの一つであると感じています。


私自身、アスリートとしても大学生としても「王道」ではなく少し変わった進路を決断した際、その道中である今も、周りの人の声や視線に足を止めそうになることがありました。しかし、その時々で成功しようが失敗しようが選んだ道こそが、自分にとって1番良い決断であり最終的な目標や夢に向かう通過点であると信じています。


本稿が、誰かにとって、自分だけの道を選び、歩む勇気や自信に少しでもなれば嬉しい限りです。私自身も、好きな言葉「道なき道を歩む」を道しるべに、感謝の気持ちと自信を持って進んでいきたいと思います。



謝辞


本稿を執筆する貴重な機会を与えてくださった森岡和仁さん、そしてUJA Gazetteの皆様に感謝申し上げます。



著者略歴


佐野 月咲。1998年東京都生まれ。2015年U18アイスホッケー女子日本代表。2017年筑波大学附属高等学校卒業。同年ハーバード大学学部入学。ハーバード大学アイスホッケー部に所属。科学史専攻。


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