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医療の現場で多様性の重要性を学び、ヒトゲノム研究をするに至るまで

更新日:2021年4月3日

東京大学

鎌谷 洋一郎


みなさま初めまして、東京大学大学院新領域創成科学研究科でヒトゲノム解析をやっている鎌谷洋一郎と言います。具体的には、ヒトゲノム解析データにオミックスデータを統合したり、ゲノム解析結果の臨床応用を目指しています。この度UJA Gazette誌から寄稿のご依頼をいただきました。このご依頼は私にとって特別なものです。なぜならともに大変な辛酸を舐め、いや、大変楽しい大学院生活を送ったUCSFの森岡和仁先生のご依頼であるからでして・・・


私が港区白金台に聳え立つ東大医科研総合研究棟におわします中村祐輔先生をご訪問し、ヒトゲノム研究の世界に足を踏み入れたのは2005年のことだから、もう16年も前のことになります。私はそれまで、世の中に東大医科研なる研究施設があることを知らないくらい研究には興味がない研修医でした。千葉大学医学部では、今は亡き準硬式野球部に所属し、野を越え山を越え(誇張表現)ながらフィールドの白球を追いかけていました。医師免許を取得すると千葉大学病院で、現在は病院長でいらっしゃる横手幸太郎先生の薫陶をいただく幸運を得ました。先生の元で伸び伸びと成長した私は、2年目から外房の北の端っこ、銚子のやや南にある旭中央病院に回りました。旭中央病院では、2年間ほとんど病院敷地から出ることもなく、昼も夜もなく土日もない(こともある)生活を送りながら代え難い経験をさせていただきました。とりわけ、現在は東京女子医科大学八千代医療センターの准教授でいらっしゃる瀬戸洋平先生に臨床のイロハを叩き込んでいただきました。一方で旭中央はアメリカ型研修医教育を志向し、アメリカの臨床医を呼び寄せる気概のある病院でした。エビデンス・ベースト・メディシンが日本にも続々と上陸していた折だと思います。アメリカの医師の実践する医療のやり方からは、なんとなく統計学の哲学みたいなものが伝わってくるように思われて、私は憧れました。そうこうしつつ、こちらはありがちな話ですが、割と自堕落な生活をしていても軽症の糖尿病にとどまる人、それなりに気をつけていそうなのに重症化する人、そう言う違い、今から見ると多様性という状況に私は興味を持ちました。4年目の松戸市立病院では、さらに1年目研修医に指導するという立場になりつつ、なんとなく上記のような視点から客観的に眺めたりしていました。


このような4年間の研修医としての経験の結果として、私はヒトゲノムを用いた診療、今で言う精密医療とかゲノム医療とかいうものについて学びたいと思いました。それもコモンディジーズについてのものです。多様性を解釈して、統計学に基づき、患者さんに今よりも良いケアを行えるようになるために、ヒトゲノムが最も早く診療応用されていくだろうと思っていたのです。そして、ゲノム医療はたぶん私が大学院を卒業する頃には応用の道筋がつきはじめているだろうから、大学院でその本質について学んでおき、卒業後に私は現場で最適な実装について適切にアドバイスできる立場になりたい、というくらいに思っていたのです。アホですね。この未来予測は全くトンチンカンなものでした。コモンディジーズの精密医療は、未だ一本の道筋すら立っていません。しかし、この目的意識は今も持っていて、実際のところ、私には「オレがオレが」の意識がなくて(キャラ的な理由もありますが)、「他の人たちがやっていいから、それを早く患者さんに届けたい」というのが私の研究のモチベーションであり続けています。届けたいのは、世界の皆さんでもあり、日本国民の皆さんでもあり、家族のことでもあります。だから本気なのです。まあともかく、そんな若者の無鉄砲な心意気のもと、私はヒトゲノムを用いた病気の統計解析研究をやられているという中村祐輔先生をお尋ねしたのです。中村先生は、「やりたいことはなんなのか、やりたいことをやらねばならん。どんな患者さんを救いたいのか。それを頭に描きなさい。そして昼夜努力しなさい。」と、そんなふうなことをおっしゃる先生です。とてもシンプルなメッセージで、この目的であれば私の研究の目的も通っているように思いました。中村先生は、純粋な方です。それは今でもです。


そうして私は医科研にて大学院新領域創成科学研究科に入学しました(医科研自体には大学院機能はないのですが、そこに飛び込んだ私のような人間も博士号を取れるお得な制度です)。そして、私はバイオバンク・ジャパン(BBJ)のゲノムワイド関連研究(GWAS(genome wide association study))に携わる幸運を得て、全身性エリテマトーデス、B型肝炎、そして血液検査のGWASをやりました。GWASは、ヒトゲノム解読後に行われるようになった応用統計的な手法で、20世紀には遺伝学者の悪夢だと言われていた糖尿病を始め、いくつものコモンディジーズの遺伝的構造を明らかにしていったのですが、その波に私も乗せていただいたのです。ところでGWASとは何なのでしょうか。全ゲノムのSNP(single nucleotide polymorphism)と呼ばれるDNAの一塩基配列の多型から、病気などの形質と関連するSNPを探し出すものですが、SNPは必ずしも遺伝子上にはありません。希少遺伝性疾患の解析のように「この遺伝子が悪いのだ」と結論することはまれです。遺伝子がわかれば分子生物学者の方々にとって有用な情報になるでしょうが、そうではないわけです。GWASが出してくる統計量は美しくわかりやすい分布をとり、仮説検定とは何かを目で見て理解する最適な材料のように見えましたが、生物学的解釈が困難であるため、時に数あそびだと揶揄されることもありました。しかし、私の血液学的検査値のGWASは、その後、ENCODE研究関連のあるエピゲノム解析論文の一つの基準データとしていただき、それによると我々が発見した血液検査値関連バリアントは、K562細胞のストロング・エンハンサーに集積していることがわかりました。なるほど。GWASが意味しているのは、遺伝子コード領域の変異によりタンパク質が変化したり欠損したりするのではなく、この場合の血液細胞のように、その形質の主座となる細胞や組織における、エンハンサーなどの領域に起きた変異が遺伝子制御能に影響を与えるのですね。ゲノム解析を学んだ私ですが、生物学とつなぐためにはエピゲノムを理解することも不可欠であるとわかりました。


大学院卒業後は、医科研の教授でもいらした世界的遺伝学者マーク・ラスロップ教授を頼ってパリ・Centre d’Étude du Polymorphisme Humain(CEPH)、日本語で書けばヒト多型研究センター、に留学を申し込んでいました。日本のゲノム研究ではサンプルサイズの問題の突破が難しい、と感じていた私は、医療において有効なレベルの結果にするには共同研究によりサンプルサイズを増やすしかないと思いました。そこで、Markの元に集まってくる国際メタ解析に携わり、マイルストーンとなるGWASを行うことで満足していました。Markは多点連鎖解析という手法を開発し、LINKAGEという偉大なプログラムを書いた遺伝学者で、多くの単一遺伝子疾患の原因遺伝子解明に貢献していて、現在のヒトゲノム研究分野の基盤を築いた先生です。また、当時の共同研究者の中でもとりわけ、その後ボルドー大学の教授となられたStéphanie Debette先生とは今も共同研究を続ける中ですが、彼女のようなとても聡明な女性の研究者が、性別の区別なく能力だけを元に評価され、活躍するフランスや欧米の研究コミュニティを素晴らしいものと感じました。やはり多様性は重要です。


目を凝らしてみると、窓の向こうになんとかエッフェル塔が見えるパリの私のオフィス


この頃携わったマイルストーンGWASの中で、IGAPコンソーシアムにて行った晩期発症アルツハイマー病GWASは、22のアルツハイマー病関連座位を発見しましたが、その後Roadmap研究関連のエピゲノム解析論文でこのGWASは使用され、アルツハイマー病発症への免疫の関与を示唆する研究成果に貢献しています。最近はシングルセル解析でGWASのエンリッチメントはもはや常道となってきているようですが、以前からGWASのエンリッチメントはエピゲノム研究との相性は良かったのです。


フランスのゲノム研究の(当時の)総本山CNGは、パリ郊外のエブリーという街にあって、そこは2005年のパリの暴動の発信源になったような土地柄ですが、私はパリ市内の研究所に職を得ました。CNGで生成されたゲノムデータがCEPHに送られ、データベース管理されたのち、私が解析する、という手順です。パリはとても楽しい街です。通勤のために街を歩いていたら、そこが映画の舞台であり、かつ歴史の舞台でもあります。職場であるCEPHは、アンリIV世の頃に作られたと言うサンルイ病院の横にあり、その建物の荘厳さは一見の価値があります。一方、そこは映画アメリの舞台だったサンマルタン運河のほとりでもあります。また、ヨーロッパの大陸部に住むと言うことは、スイスにも、オーストリアにも、車でどこにでも行けることを、その頃は意味していました。学生の頃にも私はヨーロッパを電車でうろうろしましたが、自分の意思で車を動かしてウロウロするのはまた格別です。購入した中古のプジョー406で、フランスから各国へと抜けるには、高速道路を使ってまるで日本で県境を越えるかのように何気なく通過できます。しかし残念ながら、テロを機に国境管理は厳しくなり、そしてコロナによって国境は封鎖されたと聞いています。今は回復しているところもあるかもしれませんが、回復して人の往来が活発になれば、また新型コロナウイルスの感染が活発になるのでしょう。コロナウイルスは、欧州の理念への挑戦だったのかもしれません。恐ろしい病気です。


フランス・リールでのIGAPミーティングにて。マカロン食べ放題!


さて、そんなこんなでパリの生活はたのしく、また途中からはパスツール研究所で開催されているパリ日本人研究者会に加えていただいたり、大使館の在仏保険医療専門家ネットワークに呼んでいただいて、そのネットワークのご縁で日本語で診ていただける歯医者に行けるようになったりして、それなりに交流もしていたのですが、突如移動しなければならなくなります。モントリオールに移動したマーク・ラスロップ先生について行くかどうかの選択を迫られたのですが、帰国を選択し、理化学研究所統合生命医科学研究センターの久保充明先生にお世話になることにしました。BBJのゲノム解析を一手に引き受けていたところです。ここでは当時20万人に至るBBJ検体の全ゲノムSNPジェノタイプを生成するという野心的な計画が進んでおり、ありふれた疾患のゲノム解析において世界と勝負できるデータであると感じたのです。結果としてBBJのGWASは大きな成果となり、最近は海外のレビュー記事などでも、世界の大規模ゲノムデータの一つとしてBBJに言及いただけることも多くなってきました。このような動きの中にいられたことを誇りに思っています。


複雑形質ゲノム解析分野の仲間や学生と


その後は、京都大学ゲノム医学センターで、難病プラットフォームの立ち上げに関わらせていただくなどして難病のゲノムについても学ばせていただいていました。これは、患者さん診療への実装に近いところのお仕事をさせていただいたというところで、このような機会をいただけて大変感謝しているところです。そして現在は、出身大学院である東大新領域創成科学研究科に教授職を得ました。ゲノム研究成果のうち、がんと難病はすでに実社会での実践的段階に到達しています。しかし、コモンディジーズについてはまだまだです。引き続き、未来のヒトゲノムデータを用いた精密医療の実現に向けて取り組んでいきたいと思っています。その一方で、人間というものをどんどんデジタルデータ化し、機械学習などのフレームワークに取り組む試みにも関わっていきたいと思っています。


著者略歴

鎌谷 洋一郎。2002年千葉大学医学部卒、臨床研修を経て2009年東京大学新領域創成科学研究科博士程卒。2009年よりフランス・Fondation Jean Dausset - Centre d’Étude du Polymorphsime Humain(CEPH)の博士研究員、2012年より上級研究員。2013年より理化学研究所統合生命医科学研究センター上級研究員、2015年よりチームリーダー。2017年より京都大学大学院医学研究科准教授。2019年より東京大学大学院新領域創成科学研究科教授。教育の比重が高い職です。ヒトゲノムデータの解析を学びたい人は大学院入学をご検討ください!

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