ダイバーシティ学習
脇 葵依
はじめに
「心のバリアフリーが実現する社会」を目指して作業療法士の傍ら、教育分野で独立し奮闘中の脇 葵依(わき あおい)です。
父が「あおいは生まれながらに病気をする子だったけど、誰よりも運と人に恵まれている」と、オーストラリアで国際保育士の資格取得中にかけてくれた言葉を今でも鮮明に覚えています。この父の言葉のように闘病を乗り越えた私の幼少期からの経験、それぞれの時代に置かれた環境、経験や背景。多くの出逢いが、私のキャリアに強く影響しています。
こちらでは様々な社会課題が蔓延る障がいがある子どもたちの教育の現状をお伝えしながら、現在進行形の支援教育を通した社会課題への取り組みについてお伝えします。留学の経験を生かした国際交流コミュニティづくりや、留学後の仕事への活かし方、パラレルキャリアのキャリアパスを考える上でご参考になるところがあれば幸いです。
「病気がある人生は理不尽だ」そのエネルギーを転換し医療職の道へ
生まれながらに血管性浮腫とアトピー性皮膚炎という病気がありました。呼吸困難の発作が突発的に起こるため常に自己注射を持ちながら持病に恐れながら家族と過ごしました。加えて皮膚炎はひどく小学生の時、同級生からは「触ったらうつるんじゃないか」と差別や偏見は当たり前でした。同じ給食を食べられず、みんなと一緒にプールにも入れず、いつしか「できること」を諦めていた幼少期。「こんな思いを病気の人にもうしてほしくない」と人生で修学旅行にも行ったことがない私が医療の道を選びました。
全ての反対を押し切って行ったカンボジアの孤児院ボランティア
高校を卒業後、熊本駅前看護リハビリテーション学院に入学した最初の夏。ほとんど旅行経験のない私が選んだのは「カンボジア」。テレビ上でよく見る発展途上国の子どもたちを自分の目で見てみたい!その思いで、留学資金を貯めるために唐揚げ屋さんとバーのアルバイトを掛け持ちし、周りの反対を押し切ってチケットを握りしめて行きました。

カンボジアの首都シェムリアップを訪れると、バスの降車を待ち受けて物乞いをする子どもが大勢いて心底驚きました。さらに中心部の孤児院を訪れると、貧困で両親と一緒に暮らせない子供達、家庭内暴力や性的暴力で受けた子供が多くいて、話を聞きながらただ抱きしめることしかできずに、止めどなく涙が溢れたたと当時に「全ての子どもたちに教育を届けたい」と思い、心が大きく揺さぶられました。
その時に何気なくカンボジアの子供たちに 「What is your dream?」と聞くと、ほとんどの子供が将来の夢を答えませんでした。生まれた環境や機会の格差でこんなにも子供たちの未来が変わることを目の当たりにしました。
そんな辛い経験をしながらも目の前にいる子どもたちは眩しいほどの輝きを放つ瞳、満面の笑みを浮かべて私たちにたくさんの愛と優しさを与えてくれました。最終日にそんな子どもたちから手紙をもらい(写真1)、この旅を境に「子どもたちに関わる人生を歩みたい」と考えて小児作業療法士として進む決断をしました。
障がいに対する治療の限界を感じて渡豪へ
4年の学校生活を終え福岡県聖マリア病院に入職。作業療法士として脳神経外科と小児科で勤務して2年目、病院という環境の中で子供達の生活背景や考え方、価値観を理解し、障がいをリハビリ(治療)することには限界があることを感じました。
私自身、子供の障がいに重点を置いていたことにハッと気づきました。留学を考える頃には周りの人はことわざを用いて置いて「3年は辛抱しろ」と言います。医療職としてまだスキルも浅はかで再就職も苦労するかもしれない。多くの人がこの留学に対して向かい風でした。「やりたいと思ったその時が1番のタイミング」と私は信じ、不安を抱きながらも一歩を踏み出しました。

さまざまな国も調べていくうちに“子どもには、自分を育てる力が備わっている”という「モンテッソーリ教育」に興味を抱き、その原点でもあるオーストラリアに留学を決めました。学生ビザを取得するために最初に保育士の短期大学CHARLTON BROWN Collegeに入学金200万円を振り込む時は自分の語学力が中学生レベルで止まっていることも忘れ、勇気と勢いで学生ビザを取得しました。
大学に行くための最低ラインの英語力取得のために、英語学校の入学テストを受けると一番下のエレメンタリークラスでした。授業は自分の自己紹介から始まり自国の文化なども話します。そして半年後大学進学までの英語力を身につけて無事に保育士の短期大学に入学しました(写真2)。
オーストラリアで人生最大の挫折と修行
地元の先生による大学の授業では、英語を話すのが驚くほど早く違う国の言葉を話しているのではないかと思うくらい専門用語ばかりでわかりませんでした。毎日一番前の席で机に齧り付くように先生の話を聞いて、放課後は分からない部分を聞くことの繰り返しでしたが、その姿勢が多くの先生から評価されて一番環境に恵まれている幼稚園の実習先と就職先を獲得しました。
「全ては英語力で決まるわけではない」ことを改めて実感

幼稚園の実習先では3歳の子供に「その発音違うよ」と教えてもらいながら共に成長しました(写真3)。
オーストラリアは移民国家でさまざまな人種が共生しており、お父さんが二人いる家庭や、宗教で豚肉を食べないなど、多くの子どもたちが違いを当たり前に同じ空間で過ごしていて、とても印象的でした。
3歳から宗教やジェンダー、先住民アボリジニなどの文化や社会性を学ぶプログラムが組み込まれています。また毎朝「show and tell」と言ってみんなの前で自分の好きなものについて伝える機会があります。自分の意見をもつこと、伝えることの重要性がそこにはありました。
毎日子供達と奮闘しながら学ぶ中でも、日本に興味をもつ子どもたちやその家族も多く、折り紙や絵本、日本の手遊びなど授業に取り入れてもらえたことはとても貴重な経験でした。
一番の挫折は、幼稚園の仕事を終えた帰り道にバス停の前で通りがかった若い人から、道端で急に生卵を投げつけられたことです。太ももには卵型の大きなアザができたほどでした。が、何より悲しかったのはアジア差別を受けたことです。異文化に理解のあるオーストラリアでもこのような行為があります。これは第二次世界大戦中、日本軍によるオーストラリアへの空襲などの歴史的背景も関連がありますが、受けていい行為ではありません。
オーストラリアは差別を守る法律もあるため、被害届を出しました。辛い経験でしたが、それを乗り越えて帰国後は日本に住む海外の人を守るためのコミュニティづくりをしようと思いました。そして「多様性」を学ぼうと、世界22カ国をめぐる旅に出ました。
世界中をめぐり帰国後地域に根付いたコミュニティづくり
2017年に帰国した直後、最初はLanguage exchangeという日本語と英語の言語交換会を10名程度で始めました。年間60回語学イベントや異文化体験ワークショップを行い、年間で延べ約1,000人が参加してくれました。夏休みなどの長期休暇にはハンディキャップのある子どもたちに英会話や芸術のワークショップを実施しました。

それから5年後の現在、長崎から世界30か国、200人以上のメンバーが参加する国際交流コミュニティに成長しました(写真4)。アジア差別を受けた経験をエネルギーへと転換させ「違いを認める世界を目指して」インクルーシブな社会を身近な場所から実現する手段として、国際交流や異文化体験などを今後も継続していきます。
「病気があるからどうせできない」その言葉で独立を決意
世界22カ国を巡り帰国後、訪問小児作業療法士として再び子どもたちと幼稚園や小学校、
自宅でリハビリを行う際に感じた彼ら自身の「どうせ自分にはできない。」「みんなには絶対分からないよ。」という言葉。私の幼少期と同じ言葉を口癖のように呟いていました。
ここで一人の男の子を紹介させてください。Aくん10歳、生まれながらに脳性麻痺という病気があり手足が思うように動かせず、車椅子で過ごしています。そんな彼が「お兄ちゃんは英語習っているのに僕はできないね。」とお母さんにいったのです。「治らない病気」を理由にやりたいことを、そして輝く未来を諦めてほしくない。私は子どもたちに「できる選択肢」を広げるために小学生の時に医療職の道を選んだことを思い出しました。
何が原因で続けられない?

その経験から、今年の5月に誰もが平等な教育を受けられるように「ダイバーシティ学習」という病気や障がいのある子どもへのオンライン英語教育を始めました(写真5)。障がいに合わせたオーダーメイドの英語学習です。英語を勉強することで、未来の選択肢を広げて欲しかったのです。 障がいがある子供たちは褒められた体験が少なく、自信がない子どもたちの言葉の裏側には興味はあるが学ぶ場所や人(指導者)がいない、という問題があります。
世界中から時には15時間の時差を超えて、オンラインで集まった講師と多様性やユーモア、違いについて一緒に学ぶことで、これからの生きる力や自分を信じる価値を考えるきっかけにつなげています。この授業が当たり前に普及することで、日本の教育が狭域でも変わるのではと、すごく意義のあるものだと確信しています。

今後はこの事業がもたらす自身の探究心を生かし、貧困家庭の子どもたちにも、子ども食堂や施設などで、自発性と、多様性を育む活動にも挑戦します。学びと交流ができる温かい居場所づくりになるように環境に、左右されないオンライン型体験授業へと成長します。置かれた環境(病気や貧困家庭など)を理由にやりたいことを、そして輝く未来を諦めてほしくない。ダイバーシティ学習を日本の片隅まで広めていきます(写真6)。どんな選択もどんな生き方も、価値があるものです。出会う人と教育で未来は変わると信じています。
おわりに
留学のチャンスが誰にもあるわけでないこと、やらなかったらやっておけば良かったと思ったであろう事を考えると、失敗以上の経験を与えてくれて、何よりこうしてひとに伝える勇気や喜びを与えてくれて自分の可能性を大きくしてもらったのが留学経験でした。
もしあなたがこれを見て少しでも興味を持ったら、ぜひ一緒に一歩を踏み出しましょう!目標や使命を持つ全ての人に与えられた今よりももっと輝く未来への切符です。
謝辞
本稿の執筆する貴重な機会を与えてくださった土肥栄祐さんやの皆さん、そしてどんな困難に遭遇しても前向きに支えてくれた家族や仲間に、心からの感謝をしています。
著者略歴

脇 葵依。ダイバーシティ学習代表。2013年作業療法士免許取得後、総合病院退職2015年渡豪。Charlton Brown college 卒業(国際保育士取得)。2017年帰国、(株)MAKES訪問小児作業療法士同時期に国際交流団体Nakama設立を経て2021年障がいに配慮した英語教育「ダイバーシティ学習」創設し医療・国際・教育3つの軸で活動中。
連絡先:aoiumi0202[at]gmail.com
Instagram:@aoi_diversitygaku
ダイバーシティ学習HP:https://nakama-nagasaki.com/diversity