日本人初NFL選手への道なき挑戦

Leipzig Kings

IBM BIGBLUE

近江 克仁


日本人未踏の北米4大プロスポーツNFLへあくなき挑戦を続ける近江さんの奮闘記をぜひご一読ください。森岡 和仁 (UJA 編集部)

はじめに

私は2018年の大学卒業後、大手損保会社に入社し、社会人アメフトでは2年目で現チームの副将に抜擢されました。社会人Xリーグでは2019年シーズンのリーディングレシーバーとなり、トッププレーヤーとしての地位を確立しました。また、東海地方約700名の学生に向けた、アメフトの技術と未来についての講演など、幅広く活動しています。常にチームや組織を率いてきた、頼れる“ The Captain”として活動してきた経験を活かし、現在は、日本人初のNFLへ挑戦するため、海外でのトレーニングや選考会への参加などを通じて積極的に活動しています。


アメフトに没頭してしまった1人の男の物語を執筆致しましたのでぜひご覧頂きたいと思います。



目標


アメリカの4大プロスポーツの中で、日本人が未だに到達できていないリーグをご存知でしょうか。NFL(National Football League)です。NFLはアメリカのプロアメリカンフットボールリーグであり、アメリカで最も人気のあるプロスポーツの座を30年以上守リ続けています。アメリカ国内だけでも毎週1億人以上のファンがテレビの前やスタジアムでNFLに熱狂するなど、アメリカの国技です。


イチロー、松井秀喜、大谷翔平がMLBで活躍し、八村塁がNBAで活躍。また、NHLでも日本人選手がプレーする中、NFLは誰も行ったことがありません。私の目標は日本人初のNFL選手になることです。


また、NFL選手という目標を通して、成し遂げたいことが1つあります。経験・知識・挑戦を発信し、日本の競技普及と競技力向上に貢献し、未来の子供たちに夢を与え続けることです。そのために、私は、成功失敗かかわらず、挑戦し続ける姿をSNS、YouTubeを通して発信し続けています(ぜひ、そちらもご覧いただけましたら幸いです)。


小学5年生からアメリカンフットボールを始め、もちろん夢はNFL選手になることでした。しかし、歳を重ねるごとに、日本人未到達のNFLが遠い存在に感じ、NFL選手になるという大きな目標よりも目の前の日本一や他の日本人に負けないことを目標としていました。そんな私がもしNFLを身近に感じ続けていたら、今の私よりさらに技術や実力のある選手になっていたに違いありません。そのような経験から、SNSでの発信を通じ、私がハブとなって日本と世界を比較し、より世界、NFLを身近に感じてもらいたいと思い、発信を続けています。実際に、SNS上でも小学生や中学生かメッセージをいただくことが多く、NFL選手になることが目標です、と声をあげてくれている選手もいます。

(写真1 )中高大、そして日本代表主将へ

アメフトというスポーツに出会ったきっかけ


私は大阪市東成区にある普通の家庭で長男として生まれました。日本ではマイナースポーツであるアメリカンフットボールに幼い頃から触れていた理由は父親の影響があります。小学5年生までは水泳、サッカー、空手にも取り組んでいましたが、フットボールは身近なものでした。父親は立命館大学のアメフト部出身で、社会人でもプレーしていた経験があり、母親はピラティスのインストラクター且つフラッグフットボールの選手でもあります。生まれた時から家のテレビには常にアメフトの映像が流れており、私はいつもフラッグの練習に行っていたので、楕円(だえん)形のボールを投げることも捕ることも自然と慣れていました。


小学5年生の終わりごろ、父に連れられて小中学生のタッチフットボールチーム「千里ファイティング・ビー」の練習を見学に行きました。見学だけだと聞いていたはずが、突然全体の前で立たされ、監督が「今日から入る新人や。自己紹介しろ」と言われました。この日から私のアメフト人生が始まりました。父からは「アメフトをやってほしい」と言われたことはありませんが、自然とアメフトというスポーツが人生の一部になっていたのかもしれません。


中高大、そして日本代表主将へ「みんなが嫌がることを率先して、やる。」これは昔から自然と意識していた私の人生のマインドです。このメンタリティーの原点は、幼いころに見ていた石ノ森章太郎原作の特撮ドラマ「秘密戦隊ゴレンジャー」を見ていたことにより自然と身についたものだと思われます。ゴレンジャーの中でも大好きなキャラクターはアカレンジャー。普段はみんなを笑わせ、場を和ませるキャラクターではあるものの、戦うときは率先し誰よりも頼りがいのある男。そのようなアカレンジャーに憧れ、自然とその人物像を目指していました。一度幼稚園のころには、粉末を使って頭を赤く染めたこともありました。


そういう幼少期を経て、立命館宇治中学校・高等学校に入学し、主将に抜擢。選ばれた時は、驚きよりもチーム目標をどのように達成させるかを考えて行動していました。その後立命館大学に入学。200名を超える大学組織の中で声をあげるのは容易なことではありませんでした。しかし1年生の頃からスタメンで試合に出場していた私にとって、部員の人数や組織の規模は関係ありません。やるべきことは、「率先して、やる」のみでした。やらずに後悔することだけは嫌でした。


私が高校1年生のころ、19歳以下の日本代表選抜評価テストがありした。体格の違う高校生に、当時中学校を卒業したばかりの私が敵うわけがないと、勝負の前に諦めてしまいました。評価テストを受けないという選択をした私は、当日も普段の練習を行っていました。評価テスト後、同じ16歳の選手が2人受けていたと知り、激しく後悔しました。これが私の人生で一番後悔したことです。その経験もあり、大学時代は若くしてリーダーズに抜擢。大学2年生時には、日本一に貢献しました(写真1)。



コロナ禍の中挑んだアメリカの新リーグ


2020年1月に退職した後、ことは順調に進んでいました。2月には日本代表に招集され、練習を重ねる中で主将に任命。3月1日にテキサス・サンアントニオで行われたアメリカ代表(The Spring League代表)との対戦。敗れたものの、自らタッチダウンレシーブを記録するなど、米国選手相手のプレーに手応えを掴みました。その後、ロサンゼルスに渡り、CFLコンバインに向けてトレーニングを重ねていました。CFLとはカナディアンフットボールの略でアイスホッケーにつぎカナダで二番目に人気のスポーツです。


トロントで行われるコンバインのため、ロサンゼルスでトレーニング中、コロナが中国を襲い始めました。徐々に世界中に広がり、帰国せざるを得ない状況になりました。またCFLコンバインも中止。順調に進んでいた挑戦が、止まりました。危機的状況の中でも、「挑戦し続ける」「日本人選手の中でもずば抜けたい」という気持ちを持ち続け、どうにかアメリカの新リーグと契約することができ渡米しました。


The Spring Leagueと呼ばれる新リーグはテキサス州サンアントニオでリーグ戦が開催されました。この大会は全米放送も決まっており、私にとっては大きなチャンスでした。さらに、そのリーグにはアメリカの強豪大学出身の選手や、NFLキャンプに参加した選手など、自分のレベルを試す素晴らしい機会でした。しかし、結果はノーキャッチ。タッチダウンどころかキャッチするチャンスさえ与えてもらえませんでした。理由はコミュニケーション不足。言語の壁もありましたが、それ以上にアメリカ人に囲まれて練習をする初めての環境で自分らしさを出せず縮こまっていました。自分らしさを出せ始めたのは、チーム練習開始から2週間後。しかし、リーグはパンデミック発生により予定よりも早く終了。本場アメリカ人から多くのスキルを学びましたが、悔しさが残る挑戦となりました。



2021年新たな挑戦から得たビッグチャンス

悔しさが残った2020年でしたが、困難な状況の中挑戦したことが功を奏して各国から注目される存在となりました。その中でもアプローチを受けたのが、ドイツにあるライプツィヒキングスでした。キングスはEuropean League of Football(EFL)と呼ばれる2021年から新設されたヨーロッパリーグです。「挑戦し続ける」「日本人の中でもずば抜ける」ことをモットーにしていた私は一言返事で参加表明し、契約が決まりました。


北米以外でもっともレベルが高いと言われているのが、日本またはヨーロッパリーグです。日本と変わらないのであれば、日本でプレーしてもいいのではと思うかもしれませんが、根本的な違いがあります。それはフィジカルです。身長181cmの私が日本でプレーすると身長が高い選手の1人になりますが、ヨーロッパでプレーすると身長が低い選手の1人になります。これは、もし私が本場NFLへいった時と同じ状況になることです。そのフィジカル差と英語を共通言語とするチームに惹かれ、ヨーロッパでプレーする結論に至りました。


ヨーロッパでアメリカンフットボールをできたことは素晴らしいことでした。ライプツィヒキングスには10カ国以上違う国から選手が参加し、共通言語は英語。ダイバーシティーなチーム、そして戦後移民を多く受け入れてきたドイツで過ごす日々は、日本人の誰にも経験できないことだと思います。そこで、学んだ「多様性を受け入れる」ことは、帰国後チームに合流した後、各選手とコミュニケーションをとる際にチームをまとめる力の要素の1つになりました。またプロ選手としての生活も私のプロ意識をより一層高めました。ヨーロッパでの結果は、4試合出場2TDと怪我が多いシーズンながらも結果を残すことができ、目標としていたNFL国際選手枠コンバインに招待されることになりました。


写真2 NFLへの切符を掴み取る

NFLへの切符を掴み取る


ヨーロッパリーグ終了後、ロンドンで開催されるNFL国際選手枠に招待された私は、ロンドンにわたり、4日間のコンバインに参加しました。

選ばれたのは世界各国から44名の選手。中には、アメリカンフットボール経験者ではない選手も参加していました。


行われたテストは、身体測定と身体能力テスト。この44人の中から15人が選ばれて、1月末からNFLが企画する国際選手キャンプに参加することができます。


コンバインでは少なくとも私の強みであるクイックネスとポジションスキルはアピールでき、あとは結果を待つのみです。結果を信じ今できることをやるのみです。またその国際選手キャンプに参加することができれば、私のクイックネスがあればNFLのチームに必ず声がかかるはずです。自分を信じて、自分の強みを伸ばしていきます(写真2)。







Keep Challenging and Be Different


ここまで私の挑戦を書いてきましたが、これまでの人生から学んだことがあります。それは、「挑戦し続ける」ことです。ここでの「挑戦し続ける」とは、心地よい環境に止まらず、環境を変え続けるということです。安定した道を選ぶことが安全な道で楽に決断することができます。コロナの状況下、目標を達成するにおいて環境を変え続けることは必須条件です。

謝辞

ここまで行動し続けることができたのは、所属している日本のチームIBM BIGBLUEと株式会社アスポ様の協力があってのことです。また多くの人の協力があったからこそスポンサーを獲得することができました。まだ目標を達成したわけではありませんが、この場を借りて感謝の意を評したいと思います。ありがとうございます。そして、ここまでの挑戦を執筆する機会を与えてくださいましたUCSFの森岡和仁さん、紹介していただいたラクロスの中村弘一さん、本当にありがとうございます。 著者略歴

近江克仁。1995年大阪市生まれ。大学卒業後、大手損保会社に就職するもNFL挑戦のため退職。2020年アメリカンフットボール日本代表主将。2021年European League of FootballのLeipzig Kingsとプロ契約。日本では IBM BIGBLUE所属。株式会社アスポ勤務。 連絡先: yoshihitoomi [at] gmail.com  Instagram: @omiomi_y

Twitter: @yohmi02 

YouTube: OMI THE HOMIE