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挑戦するから得られるもの

女子プロサッカー選手

黒﨑 優香


はじめに


UJA Gazetteの読者の皆さま、こんにちは。ノルウェー1部リーグArna-Bjørnar Toppfotbalに所属している黒﨑優香(くろさきゆうか)と申します。人としても尊敬ができ、競技は違いますが同じようにアメリカの大学を経由して、プロアイスホッケー選手になられた三浦優希君に、この度はバトンを繋げて頂きました。人生のターニングポイントとなったアメリカでの5年間の葛藤について書いていきたいと思います。留学を検討中の方や、新しいことにチャレンジしようと思う中踏み出せないでいる方への後押しとなれば嬉しいです。


自己紹介


まず初めに簡単に自己紹介をさせて頂きます。私は福岡県の北九州市出身で4学年上の兄がいます。兄が既に地元のサッカークラブに入っていたのがきっかけで、私も物心ついた頃からボールを追いかけていました。通った幼稚園のサッカークラブは4歳から入部することができ、4歳から12歳まで続けました。


この頃から私はサッカーに夢中になり、将来はサッカー選手になりたいという夢を持ち始めました。しかし12歳の私は、サッカーを続けるべきなのか、サッカーを辞めて他の部活に挑戦する方がいいのかという悩みにぶち当たりました。


理由は、北九州市は関東圏内に比べて女子チームが少なく、唯一あった女子チームも片道1時間半かけて通わないといけなかったからです。小学6年生ながら男女の体格差を感じるようになったのもあり、地区にある男子チームに入って続けることは私の選択肢にはありませんでした。


今となっては男子チームで挑戦していたらどうなっていただろうと思うこともあります。最終的には、やはりサッカーを続けたい気持ちの方が強く、1時間半かけて通うことを決めました。


NW北九州レディースは社会人チームもあり、ひと回り以上年上の先輩方と一緒に練習をしたり、試合に出場することができ、とても良い経験になりました。ここで礼儀や年上の先輩との関わり方を学べたことは後々の高校生活に活かす事ができました。

第24回全日本高等学校女子サッカー選手権大会優勝

人生で2回目の進路、高校について悩む時が来ましたが、私は中学を卒業後に県外へ行くことを決めていたので、すんなりと高校選びは決まりました。中学3年生の夏休みに練習見学に行き、直感でここだ!と感じた、静岡県の藤枝順心高等学校(以下順心)に進学しました。


順心での高校生活を振り返ると様々な思い出があります。ここでの3年間が私のサッカ一人生に大きな影響を与えたことは間違いありません。特に高校3年生の1月にあった全日本高等学校女子サッカー選手権大会で、9年ぶりに優勝したときのことは鮮明に覚えています。全国制覇を目指してやってきた3年間が報われたのと同時に、こんなにも私たちを応援してくれていた人たちがいた事を実感し、周りの方々に感謝の気持ちで一杯になりました。今でも素晴らしい仲間と一緒に、同じ目標に向かって頑張ったことを誇りに思っています。



語学学校での日々


海外生活を始めて今年で7年目になります。海外に長らく住まれている方はまだ7年と思うかもしれませんが、私にはあっという間の7年間で、月日の流れとご縁の不思議さを感じます。


まず、私はサッカーをしていなければ、海外には行っていなかったでしょう。なぜなら日本は素晴らしい国だからです。日本では、美味しいご飯も食べられて、交通の便もよくて、ほとんどが時間通り。何より安全な国です。そんな国から出る必要性はなかったはずです。


高校3年生の時に初めて大学見学に行ったアメリカ、あの時の衝撃は今でも忘れられません。英語も何もわからなくてGoogle翻訳を使って会話をしていたこと、大学スポーツなのに観客が満員だったこと、食事の量が日本の倍だったこと。あの時感じた『私もこの舞台でサッカーをしたい』という気持ちが、私を留学へと突き動かしました。

高校3年次にアメリカの大学見学

ケンタッキー大学でサッカーをする!と決めていたものの、全く英語を話すことができなかったので、高校を卒業後、ケンタッキー大学附属の語学学校に1年間通いました。


初日にクラス分けテストがあり、6つのクラスに分けられました。Grammar, Reading, Writing, Speaking, Listeningの授業があり、各クラス1時間から1時間半ほどだったと思います。


中学、高校で習った英語のスピードとは異なり、先生やクラスメイトの言っていることが何も分からず、黙り込んでしまう毎日でした。授業中に先生から当てられるのではないかとビクビクしながら過ごしていたのを覚えています。


日本では文法を中心に習い、スピーキングの練習というのはあまりしてきませんでした。だから、『人前で発言すること、失敗をすること』を、無意識に怖がっていたと思います。文法が間違っていても話し続ける他国の生徒と、文法ができても発言を躊躇してしまう日本人の私だと、先生にとって理解しやすいのは前者であることは間違いないですね。


ケンタッキー在住の方達とのインドアサッカー

そんな中でも、よくがんばったね。と多くの方が励ましてくれました。その度に私が思い出しては伝え続けたのはブレない目標、『Division1の大学でプレーすること』。


この目標があったから私は授業もサボらず、宿題も何時間かけてでも終わらせることができたのだと思います。学校から帰って宿題を始めたはずなのに、気づいたら日付が変わっていたことも多々ありました。


最初はHiやThank youしか言えなかった私が、1年後には少しずつ自分から話せるようになり、無事語学学校を卒業することができました。


これは私だけの力では成し遂げられなかったと思います。私をチームに呼んでくれたコーチ、チームへの所属前から私に声をかけてくれたチームメイト、ケンタッキー州に在住の日本人の方々、インドアサッカーに誘ってくれた皆様。この方々がいなければ、英語力ゼロだった私が語学学校を卒業して、ケンタッキー大学に入学することは不可能でした。



大学での日々


晴れて大学に入学しましたが、サッカーをまともに1年間以上していなかった私はかなりのブランクがありました。プレシーズンまで3ヶ月しかなく、毎日走り、ボールを蹴り、ひたすら自主トレーニングに励みました。シーズン開始後もコンディションは中々上がってきませんでしたが、試合に出させてもらっていたので、徐々に自信にはつながっていきました。そんな矢先に怪我をしてしまい、1シーズン目を満足した形で終えることはできませんでした。



大学生活は、思っていた以上に大変でした。『Student Athlete』 の私たちは部活動のみをこなしていれば良いわけではありません。授業の出席は当然で、遅刻にはペナルティを課されました。毎週決められたStudy Hallの時間に加え、家庭教師の人と勉強する時間もありました。


少しは英語が分かるようになってきましたが、語学学校のレベルとは桁違いでした。進むペースが速すぎて、授業のノートを取るのにも一苦労でした。それでも自然と頑張れたのは、同じ様に頑張っているアスリートが沢山いたからだと思います。他のスポーツのアスリートと切磋琢磨できる環境は本当に素晴らしいものでした。



大学2年次のシーズン終了後には、ケンタッキー大学からオクラホマ大学にtransferをすることを決めました。オクラホマ大学での2年間は、新たなコーチ陣の元でのサッカーをするという新しい挑戦でした。直感でこの監督の元でサッカーをしたいと思ったのがtransferを決めた理由でした。


順調にスタートした3年目でしたが、チームは終盤になるにつれて勝てなくなり、最終的には監督が解任されてしまいました。この監督の元でサッカーをしたいと思ってtransferしたのですが、試合に勝てないと監督が解任されてしまうのがアメリカの大学です。


そして数ヶ月後には新しい監督が決まり、1からまた始まるというその時に、新型コロナウイルスの感染が世界中に広がり、学校は閉鎖され、授業はオンラインに切り替わり、部活動も中断されました。私は、2020年3月から7月まで日本に一時帰国をしましたが、中学卒業して以来こんなにも長く実家にいたのは久しぶりでした。



日本とオクラホの時差は14時間です。毎日夜中の2時や3時に起きて、授業に参加しました。中々頭に入らず、次の日にもう一度ノートを取り直したこともありました。サッカーはチームで行うのは難しかったので毎日自主練で調整し、アメリカに戻りました。


シーズンが再開するか分からない中でしたが、30度以上の暑さの中を皆マスクをつけて練習を続けました。最終的には、2日に1回コロナの検査を行いながら、通常は20試合以上ですが、その半分以下の9試合でシーズンが行われました。大学4年目の集大成として、良い形で終わりたかったのですが、チームとしても全く勝てずにシーズンが終了しました。全てやり切ったというような達成感を得ることはできませんでしたが、私の大学4年間は本当に充実していたと思います。

ケンタッキー大学 2年次の試合でのゴールシーン
オクラホマ大学 3年次のチームメイト

最後に


私が海外に行って心から良かったと思うのは、『挑戦し続けるから得られるもの』に沢山気付けたことです。この7年間で私は、特に『人との出逢い』を大切にすることの重要さを改めて実感しました。多くの人たちが私の人生に大きな影響を与えてくれました。


人は環境に左右されます。少なくとも、私はそちら側の人間です。文化や価値観の違う人たちと共に過ごす中で、『多様性を受け入れること、正解は一つじゃないということ、いろんな考え方があっていいんだということ』など、海外に挑戦していなければ、きっと気付くことは出来ませんでした。言語やバックグラウンドが違っても、ベストフレンドと呼べる仲間に出逢えたことは、私にとって本当に大きな財産です。



私は人生で起こることには全て意味があると思っています。思い描いていた大学生活とは違いましたが、想像以上のものを得ることができました。


もし18歳の頃の私に進路のアドバイスをできるとしたら、自信を持ってアメリカ留学という選択は間違いではなかったよと伝えます。留学生活は、失敗の連続でした。ですが『失敗から学ぶ』この経験は本当に自分を成長させてくれます。


人生はアップ&ダウンの繰り返しです。良い時もあれば、悪い時もあります。新しい一歩を踏み出すには勇気も必要でしょう。でも失敗を恐れるばかりでは、自分の可能性を狭めるかもしれないし、本当の自分と向き合えるチャンスを失うかも知れません。有名な名言ですが、紙に『I can accept failure, everyone fails at something. But I can't accept not trying. -Michael Jordan』を書き、留学中は何度失敗しても自分なら大丈夫と言い聞かせました。


人生は一度きり、チャンスは自分で掴みに行くもの。私は、これからも挑戦し続けます。



謝辞


長くなりましたが、ご一読いただきありがとうございました。私自身の経験談ではありますが今後、留学を検討される方々への参考になれば幸いです。執筆の機会を与えてくださった森岡和仁さん、森岡さんをご紹介くださった三浦優希君、編集くださったUJA Gazetteの皆さまに感謝申し上げます。



筆者略歴

黒﨑 優香。福岡県北九州市出身。兄の影響で4歳からサッカーを始める。2016年1月、全日本高等学校女子サッカー選手権大会優勝。藤枝順心高等学校卒業後、アメリカに渡米し、1年間語学学校に通う。2017年8月、ケンタッキー大学入学。2019年1月、オクラホマ大学に転校。2021年1月、オーストリア1部リーグFC Wacker Innsbruckの契約。同年6月、オクラホマ大学卒業。8月、ノルウェー1部リーグArna-Bjørnar Toppfotbal に移籍。9月、YK Sports Agencyで本格的にサッカー留学したい学生のサポートを始める。


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