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マルタでの語学留学を通して得られたもの

更新日:2月6日

菊地夏鈴(福岡工業大学)


高校時代から英語学習や海外の文化に興味があった菊地さん。ご自身の大学入学後は新型コロナウイルス感染症拡大の影響で、なかなか海外に行くことができませんでした。それでも機会を伺いマルタへ語学留学されたときの様子や苦労が紹介されています。ぜひご覧ください!(UJA編集部 赤木紀之)

はじめに

私は英語を勉強することが好きでもともと外国に興味がありました。そのため、高校時代にカナダに2週間短期留学をしたり、シンガポールとマレーシアへ1週間行ったりしていました。そこで、いろいろな場所へ行き、たくさんの人と出会うことで想像もしていなかった世界を知り、様々な考え方や文化を体験しました。その時にさらに自分の知らないことを知って視野を広げていきたいと思いました。


大学に入学後、留学先探し

高校生の頃から、大学生になったら留学したいと漠然と考えていました。しかし、大学に入学したばかりの頃は新型コロナウイルスの世界的な流行や経済的な理由から実際に現地に行くのは一旦見送りました。その分、長期休みにオンライン留学をしたり、アルバイトを頑張ったりして留学費用を貯めていました。大学2年生になると新型コロナウイルスが落ち着き、貯金も貯まってきたのでインターネットで留学を支援しているエージェントを探しました。3~4社ほどオンラインで面談して、留学についての話を聞きました。カナダ、フィリピン、オーストラリア、マルタなどの候補地がありました。メリット・デメリットを比較したり経済的な面を考えたりし、最終的には直感でマルタに決めました。


いよいよマルタに留学

コミノ島

夏休みに入るとマルタへ出発しました。マルタに行くまでは自分の英語が伝わるのか、乗り換えに失敗してしまったり体調を崩してしまったりしたらどうしようなどといったたくさんの不安がありました。マルタへ行ったことがある人の話を事前に聞いて必要なものややっておいた方がいいことを聞いて準備をしました。実際にマルタに着いたときは知らない人、見たこともない景色に囲まれていてすぐ日本に帰りたいと思ってしまいました。初めて1人で海外に行って、楽しみなこともある反面不安なこともたくさんありました。


1. 語学学校での生活

マルタでは語学学校に通い、学校に併設されている寮で暮らしていました。月曜日から金曜日は授業があり土曜日と日曜日は休みで大学と同じようなスケジュールで生活をしていました。


授業といっても日本の大学のような講義形式ではなく、国籍の異なる10人くらいで、英語のレベルが同じクラスメイトがいて、みんなが自由に意見を言い出して、ディスカッションが始まるような形でした。日本だと授業中に発言をする人はあまりいないですがマルタではそれぞれが思い思いのことを発言するので圧倒されました。私は人前で発言をするのが苦手なタイプなので最初は戸惑っていました。文法の間違いや発音がおかしくて伝わらないことを恐れていましたが、周りのクラスメイトはそんなことは気にせずに意見を言っていたので、私もだんだんと失敗することを恐れずに発言できるようになりました。何か意見を言うと、先生や周りのクラスメイトは笑顔で肯定してくれていたので発言がしやすかったです。マルタでクラスメイトにはチリ、ブラジル、イタリア、フランス、コロンビア、ポーランドといった様々な国籍を持った人がいたので文化や考え方が多様性に満ちていて毎日刺激的で楽しかったです。


一方で日本との違いに驚いたこともありました。授業が始まる時間に行ってもクラスメイトはほとんどおらず15分後くらいにだんだんと人が集まってきたり、他にも授業を休む際に先生に「遊びに行ってきます」と言って休み、先生は「楽しんできてね」と送り出してくれていたりしていて日本では見られない光景だと思いました。日本を出る前にヨーロッパではコロナの影響でアジア人の差別があると聞いていて心配していましたが、そういう差別は一切なく現地の人はとてもフレンドリーで親切でした。


2. シェアハウスでの生活

午前中は学校で授業を受けて午後からはシェアハウスに戻って生活をしていました。私のルームメイトはコロンビア人とブラジル人の女の子でした。2人とも英語を流暢に話せるわけではなく、会話があまり成り立たないことがありました。お互い一生懸命に伝えることで理解をすることができました。この共同生活を通して生活習慣や文化の違いに衝撃を受けました。ルームメイトは夜な夜な遊びに行ったり、誰かがいたとしてもかまわずに部屋で大音量の音楽を流しながら歌ったりしていて、どうしたらいいのかわからないこともありました。文化の違いに直面し、戸惑うことも多かったです。


3. マルタでの観光

首都バレッタ

放課後や休日はマルタの観光をしました。観光した中で私が最も感激したのはマルタの首都バレッタです。バレッタは市街全体が世界遺産に登録されていて歴史に彩られている町です。バレッタでは目に入るもの全てが新鮮で、初めて景色をみて感動して涙がでてきました。バレッタはとても賑やかで演奏をしている人やビール片手に話かけてくれる人がいました。日本の観光地では穏やかな空気が流れている感じがありますが、マルタの観光地ではどこも賑やかな雰囲気に包まれていました。


マルタは綺麗な海が有名なので綺麗な海のある島にも行きました。そこへ行くには船とバスを使って行きました。異国の地でバスや船を利用するのは難しく地元の人に教えてもらいながら行きました。バスの中でスペイン人の女の子が話かけてくれ、そこで仲良くなったので一緒に周ることになりました。1人で行動していて誰かが声をかけてくれてもそこから一緒に行動することなんて今まではなかったので最初はためらってしまいました。コミノ島とゴゾ島では美しい海が一面に広がっていて、そこでも心が動かされました。



留学中に困ったこと

留学にはハプニングはつきものといわれるように私にもいくつかハプニングが起こりました。


1. 体調不良

マルタでは基本的にバスで移動をしていました。バスで移動をしているときにバスの運転が荒く車酔いと車内が暑く熱中症になりました。バスから降りたくても満員だったので降りることができなくて困っていると隣の人が気づいて運転手の方に伝えてくれ降りることができました。しかし降りたところは何もない田舎町で、携帯も全く繋がりませんでした。このまま死んじゃうかもと思ってしまうほど窮地に追い込まれていました。車が数台通っていたので助けを求めていたところに男性が車を止めてくれました。自分が置かれている状況を説明し、タクシー呼んでほしいとお願いしたらその男性は「いいから乗って」といい、私を車に乗せ、そのまま寮まで送ってくれました*。この方のようにマルタの人はみんなとてもいい人で陽気でフレンドリーでした。 *編集部注*海外で見知らぬ人の自動車に乗車する行為は非常に危険です。今回に限っては、たまたま良い人に救われたケースとして紹介しております。一般的には危険な行為ですので、くれぐれもご注意ください。

 

2. 飛行機の乗り換え

日本からマルタに行くにはドバイを経由します。ドバイ国際空港は世界最大の国際空港と言われているようにとても広く乗り換えが複雑で難しかったです。乗り換えをする時間に余裕がなく焦っていました。どうしたらいいのか分からない状況でパニックになっていましたが、空港にいる職員の方に尋ねることができ、無事に乗り換えをすることができました。


本帰国

帰国するにあたってPCR検査の陰性証明書が必要なため、現地でPCR検査ができる病院を探さなければいけませんでした。学校の先生や現地の人に聞いて病院を見つけることができました。予約をする必要があったので、メールで予約をして検査をすることができました。翌日までには陰性証明書をメールすると言われていたのですが、飛行機が出発するギリギリまでにメールが送られてこずに焦りました。結局、出発する直前に送られてきました。帰りの便でも乗り換えが不安でしたが行く時と同様に職員の方に聞いて乗り換えをすることができました。


留学で得たこと

今回の留学は英語力の向上や異文化を経験してみたい、外国の友達を作りたいなど様々な理由がありましたが、1番の理由は自分に自信を持ち、自分を知ることでした。今までは、私は自分に自信がなくて人と比べて落ち込んでしまうことが多かったです。しかし、学校に通って授業を受けたり町で出会った人と会話をしたりして思ったことはみんな人のことを気にせずに、自分の価値観を大切にしているということです。その時に、日本人は他者基準で物事を判断しすぎていると感じました。欧米の国では個々人の価値観がはっきりしていたことに比べ、日本は同調圧力が強いため、自分の考え方や価値基準をしっかり持っていなければ、流されてしまうと思いました。


このことを活かして、これからは周りと比べるのではなく、もっと自分に自信を持って自己主張ができるようになりたいです。他にも、外国から見た日本に対する良いイメージだけでなく若者女性の痩せ思考や、労働環境の悪さなどの問題点を教えてもらい日本にいるだけでは分からないことをたくさん知ることができました。今回は課題を見つけることができたので今後は改善できる力を身に着けていきたいと思います。


おわりに、謝辞


初めて1人で留学に行くことで、自分の思ったことがなかなか伝わらずにもどかしい思いをしたことや拙い英語でもたらい回されたことなど他にも色々大変な思いをしたけれど今振り返ってみると勇気を振り絞って行動してよかったと思います。やらなかったら絶対に後悔していたので、これからも自分がやりたいと思ったことは恐れずに挑戦を続けていきたいです。

今回の執筆にあたり、ご指導してくださった福岡工業大学工学部生命環境化学科教授赤木先生には大変お世話になりました。本当にありがとうございました。


著者略歴 菊地夏鈴(きくちかりん)。福岡工業大学在学中。


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