プロゴルファー 宮本 香怜
精神力7割と技術力3割のスポーツといわれるゴルフ。海外プロゴルファーを目指して大学留学し、茨の道を駆け抜け夢を実現した宮本さんの体験記をぜひご一読ください。(UJA編集部 森岡 和仁)
はじめに
読者の皆様、初めまして。ワシントン大学を卒業し、アメリカでプロゴルファーとして活動していた宮本香怜です。私がいつも良い刺激をいただいており、人としてもアスリートとしても尊敬しているプロサッカー選手の黒崎優香さんからバトンを受け取り、今回このような寄稿の機会を頂きました。私は高校2年次終了後から渡米したのですが、当時は、学生アスリートのための大学留学に関する情報がほとんど無くてとても苦労しました。私の記事を通して少しでも今後スポーツ留学を考えている方々のお役に立てればいいなと思います。
自己紹介
私は両親の影響で7歳の頃からゴルフを始めました。本格的に試合に参戦するようになったのは9歳の頃です。中学、高校と埼玉栄に進学しゴルフ部に所属していました。アメリカに行く契機となったのが、ジュニア時代の主戦場であった日本ジュニアゴルフ協会(JJGA)の決勝大会で優勝したことでした。
その結果、American Junior Golf Association (AJGA)の大会の一つであり、名プロゴルファーのアニカ・ソレンスタムが立ち上げた財団が主催するANNIKA Invitationalという招待試合に出場する権利を得ました。それまでアメリカでゴルフをした経験はありましたが、アメリカの試合に参加することは初めてでした。大会を通じてアメリカのゴルフ環境や雰囲気をとても気に入ったことはもちろんですが、何より英語で海外の選手となかなかコミュニケーションを取ることができなかったことがすごく悔しく、また両親も海外志向だったこともあり(「香怜 Karen」という名前も海外で通用するように付けられました)、両親に背中を押してもらって留学を決意しました。
思い立ったら即行動、大会中に知り合った日本人の方から頂いた、アメリカの大学への進学を考えているならば出来るだけ早くアメリカへ来た方がいいよ、というアドバイスに従い、高校卒業前に渡米することには全く躊躇がありませんでした。もちろん中学から毎日通っていた母校でしたので、このような形で離れることになるとは思いもしませんでしたが、高校2年生が終わったタイミングで、フロリダ州にあるゴルフアカデミーに入り、そこと提携している高校に編入しました。転校初日に英語のレベルテストがあり、ソワソワしながら教室に向かったことは今でもよく覚えています。埼玉栄での単位がたくさん認められたこともあり、2016年5月に無事にアメリカの高校を卒業することができました。
スポーツに関するアメリカの教育システムの特徴として、早く決まる学生選手であれば高校2年生の時点で入学する大学が決まっており、私も同じくこの頃にワシントン大学の監督から直接オファーを頂き大学進学を決めていました。
しかし、進学にあたりインターナショナルの学生にはTOEFLという英語能力テストが義務付けられていたため高校卒業後に一旦帰国し、ワシントン大学から提示されていた合格点を目指し猛勉強を始めました。
アメリカでのゴルフ漬けの日々から日本での英語漬けの毎日に変わり、同じ英語であってもコミュニケーションとスキルでは求められているものが違うことを痛感しました。設定されていた合格基準がネイティブレベルであったため到達することは容易でなく、特にTOEFLのスピーキングテストではパソコンのマイクに向かってうまく話さなければならないのですが、うまく音を拾ってもらえずかなり苦戦しました。
試行錯誤の末、オーストラリアやイギリス留学用の英語能力試験であるIELTSというテストでも可能なことが判明し、求められるスキルが若干異なるので変更しました。
IELTSではテスト結果をウェブサイトで確認します。ゴルフでも毎回緊張する私ですから入試などの結果発表は極度の緊張状態になってなかなか結果を見ることができず、それをもどかしく感じた父が代わりに確認してくれました。
私の入学時期は2017年1月だったので今回のテストが正念場だったのですが、今でも忘れない12月の初め、母とテレビでゴルフトーナメントを観戦していると父が突然拍手をし始めたのです。ちょうどジュニア時代から一緒に戦ってきた同級生がパットを沈めたところだったので、てっきりそれに対して拍手しているのかと思ったのですが、父が「かれん、クリアしたよ!」と言ってきました。その瞬間、今まで溜まっていたストレスと期限内にパス出来なかったらどうしようという不安から一気に解放されて涙が出ました。それぐらいこのテストに苦戦していたことを改めて実感でき、予定通りに先へ進めることになり本当に嬉しかったです。その時間はすでにアメリカの夜中だったのですが、何よりも心配してくれた大学の監督にまずは留守電メッセージで結果を伝えようと思い、電話をかけてしまいました。もちろん寝ていると思ったのですが監督は電話に出てくれ、「Karenが来るのをみんな楽しみにしているよ」ととても喜んでくれました。そして、2017年1月から無事にワシントン大学に入学し、私のアメリカでの大学生活が始まりました。
ワシントン大学での3年半
アメリカの大学は8月、9月入学が一般的ですが(何学期制かによります)、新学期の始めに入学することも実は可能です。私は英語試験の都合から本来入学する時期よりも1学期遅れての入学となりました。
アメリカの大学を卒業すると「アメリカ留学楽しかった?」とまず聞かれます。私の場合、もちろん楽しいこともたくさんありましたが、「楽しかった」と言う言葉よりも「大変だった」と言う言葉が先に出てくるのが本音です。
アメリカで学生アスリートのことを ”Student-Athlete” と呼ぶのですが、 ”Student” が “Athlete” より先に来るのは学業が1番優先であり、その次にスポーツと言う解釈だからです。ですので、文武両道が当たり前で、学業の成績が悪いと試合には出場できません。
授業も課題も初めての学問を全て英語で学ぶことが大変だったのはもちろんなのですが、シーズン中の学業とゴルフの両立が何よりも大変でした。
1年生の頃はまだ単位取得が比較的容易なクラスを取れていましたし、全てのことが新しいことばかりで、とても新鮮な気持ちのまま何に対しても挑戦者という気持ちで取り組んでいました。試合でも伸び伸びとプレーすることができ、チームの中では勝敗の命運を握る最終番手でティーオフすることも多々ありました(概してチームの中でスコアの成績が最も良い選手が最後にスタートします)。思えば1年生の半年間は大学生活の中で1番楽しい時期だったので、あっという間に過ぎた気がします。
常に挑戦者という気持ちのまま勢いそのままに夏休みの個人戦でも結果を残すことができ、アメリカ国内でアマチュアの1番を決める US Women’s Amateur ではベスト16でフィニッシュできました。その頃の自分は、チームメイト達と切磋琢磨して試合で戦うことを心から楽しんでいました。
しかし、この勢いは長く続かず、大学2年生後半から3年生にかけてどん底を経験することになりました。生活に順応した2年生の頃にはスコアの浮き沈みが激しくもチームメイトと力を合わせ、全米の大学ゴルフの1位を決める NCAA の National Championship へ地区大会からチームを導くことが出来ました。
ただ、3年生にもなると卒業を見据えて学業での負担が増え続け、求められるレベルも高くなり、それに合わせてゴルフの調子も絶不調になりました。私のチームには幸いなことにメンタルコーチが帯同していたので、外国人が抱える文武両道の悩みについて何度も足を運んで話を聞いてもらいました。また、同じ境遇で悩みを共感できる、今では家族のような存在のチームメイト達に相談したり両親に相談したりと、とにかく少しでも早く良くなるように努力し、出来ることは全てやってみました。
しかし、ゴルフはメンタルのスポーツのですので一度狂った歯車を元に戻すことは非常に難しく、学業面ではなんとか回復するも、ゴルフでは完全に自信を無くしてしまいました。ひどい時には試合会場入りしてから球を打つのが怖くなってしまい、明日とんでもないスコアになったらどうしようとネガティブな思考のサイクルに陥り、先々のことを考えても仕方がないのに失敗ばかり恐れていました。
案の定、結果は依然振るわず、チームに貢献出来ない悔しさや現状から抜け出せない歯痒さ、ずっとこの状況が続くのかという不安で押しつぶされそうになり、試合後にはたまらず両親に泣きながら電話をかけてしまうような状況でした。今思えば感情的になって八つ当たりもたくさんしましたし聞きたくないようなこともたくさん言ってしまったので、私を暖かく送り出してくれた両親には申し訳ない気持ちでいっぱいですし、どれだけ悪態をついても常に味方でいてくれて、言葉を選びながら励まし全てを受け止めてくれたことには本当に感謝しても仕切れないです。
このように自身の葛藤は心をボロボロにするだけに留まらず、監督から危惧されるほど目に見えて体重が減っていき、持病の腰痛が再発するなど身体にも変調を来たしてしまい、体調面の管理も全く行き届かずアスリートとして本当に最悪な時期を過ごしました。
そんなどん底の3年生がようやく終わった夏休みに一時帰国しました。あまりにも不甲斐ない状況ですがアメリカでは改善策が見つからず、しかし大学最後の1年間をこのまま過ごしたくはない、そのためには現場を一度離れ慣れしたんだ母国で落ち着いて考える必要がありました。
幸いにもツアープロを目指すために大学1年生から取り組んできたゴルフスイングの改造がうまく機能し始めてきたため希望を捨てず、でもプロという長期的な目標ではなく、まずは残りの時間をいかに充実させて過ごし、どのような形で卒業を迎えるかという目の前にある目標の達成だけに集中することにしました。
当時は、とにかく後悔しないように大学を卒業したいという気持ちが強かったです。暗中模索でしたが、せっかく憧れのアメリカに留学したのに自分はどうしてずっとこのような気持ちでいるのだろう、二度とない機会なのだからもう一度1年生の時のような初心に戻ってみよう、そして外国人としてアメリカ人に一矢報いてやろうと良い意味で開き直ることができました。
同時に、最高学年として下級生の模範になろうと言う責任感も強く感じることができ、自らを奮い立たせてどん底から抜け出すモチベーションとなりました。そして、これまで自らに課してきた結果至上主義を改め、思い通りの結果にならなくても最高のチームメイトと共に最後の大学生活をとことん楽しもう、と事あるごとに Self-Talk するようになり、常に冷静を保つべく自身が納得できるまでとことん自分に言い聞かせることが習慣になりました。
マインドチェンジとメンタルコントロールが功を奏し、アメリカに戻り4年生として最初に迎えた試合では終始好調を保ち、個人優勝をすることが出来ました。
思えば入学前に両親と交わした目標の1つが、大学4年間のうちに個人で最低1勝することでした。ここまで本当に長い道のりでしたが無事に達成するに至り、どん底の時に何度もくじけそうになりましたが途中で諦めなくて本当に良かった、と心から素直に思うことができ、心身ともに努力してきた成果が出た最高の週でした。これまで両親にはいつも暗い報告の電話ばかりだったので、ようやく優勝した吉報をとどけることができ、少しでも恩返しが出来たことが何よりも本当に嬉しかったです。
それから最後のシーズンを迎えるまで常に順調でした。しかし、大学最後のシーズン直前にまたもや悲劇が起こりました。それは、2020年3月、新型コロナウイルスの影響により、大学競技全ての春シーズンがなくなってしまったのです。
最後に良い形で締めくくりたかったのですが、監督から家族の近くにいた方がいいから、母国に帰れるインターナショナルの子達は帰って欲しいと言われました。私は隔離が始まる直前に帰国することができましたが、そのままオンラインで授業は続いていたので、時差の関係で夜な夜な授業を受けていました。
ステイホームで大勢の人が途方に暮れている中で、(ワシントン大学では)学生アスリートの4年生が中心となって、このままシーズンを完結しないで卒業するのはフェアじゃない、と言う抗議活動がFacebook上で起こっていました。その甲斐あってかしばらくすると、1年生から4年生まで全ての学生アスリートにもう1年大学でプレーを許可する特例が NCAA から発表されました。
私は英語の関係で1学期遅れの入学となりましたが、同期と一緒に同じタイミングで卒業したかったので学業でも頑張り、夏休みは休まずサマースクールでたくさん単位を取ったおかげで、3年半でワシントン大学を卒業することが出来ました。
ですが、在学中の1番楽しみにしていた卒業式もコロナ禍で行われないまま、あっけなく私の学生生活は終わってしまいました。その後、日本でも試合がなく、このままでは終わりたくない気持ちから学生の特例を使い、ニューメキシコ州立大学で2021年1月から1学期だけ5年生の学生アスリートとしてプレーを継続し、アメリカにおける私の大学生活は全て終了しました。
アメリカ留学での学び
振り返ってみると決して思い通りのアメリカ留学ではありませんでしたが、いくら大変だとわかっていても、もし過去をやり直せるとしたらまた同じ道を選択すると思います。アメリカ留学の経験はその大変さを越えるぐらい私を人としても成長させてくれましたし、国境を超えてできたたくさんの友達や辛い経験も楽しかった経験も全て含めて私の財産です。
特に実感できる人としての成長は、物事を忍耐強く諦めずに最後まで成し遂げることができるようになったことです。もし、あの時のどん底を克服出来ていなかったら、日本にいたままアメリカに戻らなかったと思います。また、ゴルフがメンタルのスポーツであることを身をもって理解しました。
文武両道が辛かった時も、外国人の学生アスリートとして絶対にワシントン大学を卒業するという強い思いを持ち続け、幸いにもたくさんの友達、チューターの先生方に恵まれ、信念を貫いて無事に卒業することができました。そして、同時に時間の使い方とメリハリをつけて切り替える能力を身に着けることができました。
シーズン中はとにかく試合が多く、ほとんどが遠征なので試合会場への移動中の機内からテストを受けたり、試合会場から夜行便で大学に戻ってそのまま朝から授業ということも多々ありました。そのため、限られた時間でどのように課題をこなすかという効率の良いスケジュール管理や、勉強のことを一旦忘れて試合モードに切り替える能力もとても大切でした。また、全てを完璧にこなすことは不可能なので、いい意味で適当に抜けるところは抜くというメリハリも必要であることを学びました。このようにゴルフという競技、そして留学という経験を通じ、人として成長することができたと思います。
最後に
最後までご一読いただきありがとうございました。覚悟を持って一歩踏み出し、挑戦することができれば、必ず自分のためになる未来が待っていると私は信じています。私は留学生活中から本当にたくさんの方々に支えられ、ここまで来ることができました。これからも感謝の気持ちを常に忘れず、今度は私が今までの経験を使って困っている方を助ける存在になりたいと思っています。このように自分の過去をしっかり振り返る機会はなかなかないので、この度、執筆の機会をくださった UCSF の森岡和仁さん、バトンを繋いでくれた黒崎さん、編集してくださった UJA Gazette の皆様に感謝申し上げます。本当にありがとうございました。
著者略歴
宮本香怜。千葉県野田市出身。両親の影響で7歳からゴルフを始める。埼玉栄中学、高校に進学。高校2年生次終了後、2015年にフロリダ州、モンテバードアカデミーに転校。ゴルフアカデミーに入る。その間AJGAの試合で優勝2回。2016年5月 モンテバードアカデミー卒業。
2017年1月 ワシントン大学入学。ゴルフチームとして活動する。
2017年 US Women’s Amateur Championship 9位T。
2019年 WSU Cougar Cup 個人優勝。
2020年6月 ワシントン大学卒業。
2021年1月 ニューメキシコ州立大学にて半年間だけゴルフチームとして活躍する。
2021年10月 プロ転向。
Instagram: @karen_miyamoto1
Facebook: @karen122golf
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