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留学で共に育つ:アメリカでのボランティア挑戦と母への道

渡辺 和恵

Ready baby abroad両親学級担当講師

編集部から紹介:ご主人の留学への帯同を機に、思いもかけず学校や病院での挑戦を経験され、帰国後もオンラインでの両親学級を講義されている渡辺さんからのご寄稿です!何がきっかけになるかわかりませんね、ぜひ、ご一読ください!(編集部:土肥)

自己紹介

初めまして、渡辺和恵と申します。第12号のReady baby abroad代表の小島里穂さんと共に、海外で妊娠・出産・育児をされる方の両親学級を担当しています。私は大学を卒業後、総合病院に助産師として勤務していました。現在は退職し、12歳、9歳、4歳、1歳の2男2女の子育てをする専業主婦です。



帯同者としての投稿

ガジェットでは海外で学び活躍をされている方々の経験が紹介されています。私自身は夫の留学に帯同した身であり、帰国後も専業主婦として家庭中心の生活を送っています。ですが、私は帯同を機に、思い切って挑戦し、アメリカでの不妊治療、妊娠、出産も含め、思いがけず沢山の素敵な経験を得ることが出来ました。大変な事もありましたが、家族にもこんなストーリーがあるのだなと知って頂けたら嬉しいです。

娘のクラスにて


海外生活の始まり


2017年の夏から2020年の夏まで、アメリカイリノイ州シカゴに滞在しました。夫は新天地Northwestern Universityでの研究生活が始まり、当時5歳と3歳だった娘は現地の小学校と保育園に通いはじめました。


現地のコミュニティに入り楽しそうに過ごす家族をよそに、私は危機感と孤独を感じていました。日本でも専業主婦、シカゴに来ても専業主婦。何もしなければ殆ど家にいることになります。手続きが終われば、買い物くらいしか英語を話す機会がありません。沢山の刺激を受けながら英語を上達させる事が出来る!と勝手に思っていた私は、マズいと思いました。



まずは、大学の帯同者対象のESLクラスに通い始めました。週1回では上達しないので、長女の小学校と、次女の保育園でのボランティア活動をさせてもらいました。



小学校では、娘のクラス担任のアシスタントをしました。親の都合でアメリカに来た娘。最初はアシスタントを口実に、娘を安心させたいという思いでしたが、想像以上に楽しく、娘と一緒に学校生活を満喫することが出来ました。


授業の資料や先生が生徒に渡すご褒美カードの作成のほかに、授業中にスペルが分からない子にヒントを教えたり、子供たちを誘導や、使用機材の設定など、授業がスムーズに進められる様、色んなお手伝いをしました。


インターナショナルスクールだったため、クラスの半数ほどの子供達は英語が母国語ではなく、また学年がKindergarten(日本で言う年長)だったこともあり、子供たちが英語を覚えていく過程を一緒に過ごすことが出来、英語学習の基礎を学ぶことが出来ました。



半年後には、週3回以上はクラスに通い、子供たちの名前も全部覚えました。ハロウィンやクリスマス、遠足の同伴などの大きなイベントのお手伝いから、ケンカの仲裁や、時にはイモムシが蝶になるまでのお世話まで、私自身も生徒の様な気持ちで、子供達と一緒に楽しく過ごしました。


クラスのハロウィンパーティーでは、ボランティア保護者と一緒に飾りつけをしました

次女の保育園では、お散歩の付き添いなどの他、先生にお願いすれば、かなり自由をもらえたので、月に1度日本の紙芝居を英語で読んだり、折り紙教室をしたり、色んな挑戦をさせてもらいました。日本総領事館で紙芝居を借りて自宅で何度も読む練習をしましたし、折り紙教室の準備では進め方のシュミレーションもしました。


事前準備は英語の勉強になりましたし、子ども達との関わりは本当に楽しかったです。私は娘たちのおかげで英語を学ぶ事ができ、視野を広げ、自分の居場所を見つけることが出来ました。ボランティアを通して、先生ともとても仲良くなれました。先生方から教えてもらった教育のアドバイスは、今の子育てにも活かされています。



 そんな中、私が助産師だとたまたま日本人の集まりで話したところ、1人のママが授乳指導の依頼をしてくれました。長らく専業主婦であった私にとって、専門職として誰かの支援が出来たことは本当に嬉しかったです。ママつながりで、アジア系のママ達からも依頼を受け、思いがけず英語での授乳支援を経験出来ました。



慣れるまでは毎日緊張していました

大学附属病院での周産期ボランティア


学校ボランティアに慣れてきた頃、「病院ボランティア」にも挑戦してみることにしました。日本での助産師の経験から、私はアメリカの周産期医療に興味を持っていました。


実は渡米した早い時期から、募集を探したり、経験のある日本人に話を聞いたりしていましたが、英語が心配で行動に移せないでいました。当時、私は大学の帯同者対象ESL、帯同者の定期ミーティングに加え、地域のESLにも定期参加していました。良かれと予定を入れたものの、疲れ果てて家事が上手くこなせずいました。地域のESLは、新聞記事や詩を読んで討論するレッスンで、英語の壁から全くついていけていませんでした。


そんな時、夫から「ESLを増やすよりも、実践の場に出る方が英語を話せるようになると思う。やってみたらどうか?」と背中を押してもらい、ESLをやめ、病院ボランティアに挑戦することにしました。



夫の所属大学の付属病院は、500名以上のボランティアが活躍していました。ホームページの募集から、面接日を予約しました。面接では、英語に自信が無くても出来る部署を教えてもらいましたが、自分の興味を伝え、周産期ボランティアを希望しました。



そして、念願のNorthwestern University Prentice Women‘s Hospitalの周産期エリアに配属されることになりました。年間1万件以上の出産を扱う産婦人科病院。私は、出産後の患者さんの部屋の準備や、ナースのお手伝い、退院する患者さんのエスコートなどさせてもらうことになりました。



慣れるまでの苦労


意気揚々と出かけた初日。リーダーナースから、ボランティア専用のPHSを渡され、「何かあれば電話するわね」と言われたときの恐怖は今でも忘れられません。



「vaginal delivery(経腟分娩)/caesarean section(帝王切開)のママが入院するから、〇〇号室の準備をお願いね」「綿棒を持ってきて」「〇〇号室の患者さんが退院するから、エスコートをお願いね」「点滴架台が足りないから探してきて」などなど、どんどん電話がかかってきます。


最初は電話で何を言っているのか全く聞き取れず、直接聞きに行くことが多々ありました。あまりに動けないために、ため息をつかれることも。慣れるまでは辛かったことを思い出します。覚えることも沢山あり、分厚いメモとボールペンを肌身離さず持っていました。


電話がかかってこないように病棟内を歩き回り、ナースを見かけては「お手伝いすることはありませんか?」と聞きまわる日々。出入りする業者さんからは「君はフロアを何周歩くつもりなの??」と笑われたこともあったほどです。英語を使わない資料作成(入院資料をファイリングする)は唯一自信を持って行える仕事だったので、そこだけは完璧に、山の様なストックを作っていました。



 慣れてくると、ボランティアの私にそこまで難しい仕事はありません。半年経ったころには、入院準備や退院後の部屋の片づけなどは早くなり、清掃スタッフから「あなたはそこまでしなくてもいいから」と言われるほど出来ることが増えてきました。ナースからもKaz!と愛称で呼んでもらえるようになり、新しいボランティアスタッフの指導もするようになりました。ESLに通うよりずっと英語の勉強になったと思います。



 さらに余裕が出てくると、病院セキュリティ、ナースやコメディカルスタッフの働き方が見えてくるようになりました。沢山の事を吸収出来て楽しかったですし、アメリカで出産するママたちと関わり、サポート出来たことは自分の財産となっています。



一念発起して、不妊治療


私は排卵障害があり、長女、次女共に排卵誘発剤を使用して妊娠しました。幸い2人とも早期に妊娠することが出来ましたが、1人目の時は薬の副作用のため、1ヶ月入院しました。


3人目が欲しかった私は、2人目でお世話になったクリニックに相談しました。そこで「こちらでは積極的な治療はしませんよ。それが嫌なら、旦那さんが勤める大学病院に行ってください。簡単に妊娠なんて考えちゃだめだ!」といきなり怒られたのです。当時私は34歳。妊娠を諦める年齢ではありません。自分も助産師ですから、副作用も理解した上で治療を望んだのに。子どもを授かりたい思いを否定され、泣きながら帰宅しました。


渡米までの数か月間、大学病院で治療を受けましたが妊娠に至らず、中断して渡米しました。帰国してから再スタートしよう。担当の先生にもそう話していました。



しかし、ボランティアで出産後のママに関わるうちに、アメリカの周産期医療を自分も経験したい、ここで出産したいと思う様になりました。医療費が高額なことは、子供たちの受診で知っていましたが、夫が加入していた保険は、子供のワクチン接種をはじめ不妊治療もかなりカバーしていたたため、思い切っての婦人科オフィスのドアを叩きました。



日本での辛い記憶から不安でいっぱいでしたが、医師はとてもフレンドリーで優しく、丁寧にカウンセリングをしてもらいました。「あなたはまだ若い(当時35歳)、高いポテンシャルがありますよ」と言われ、必要な検査、これからの治療方針の説明を受け、すぐ内服での排卵誘発がスタートしました。難しい医療用語もありましたが、無料での電話医療通訳サービスがあり、しっかり理解して治療に臨むことが出来ました。



ボランティアを通してアメリカの周産期事情を学んだ私でしたが、今度は患者として不妊治療を受ける側です。治療中は頻繁にエコーで卵胞の大きさを計測します。担当するのは医師でなく、資格を持つスタッフで、オフィスに行くのはなんと朝6時。待合室には、出勤前の女性が何人も座っていました。エコー後はそのまま帰宅(出勤)可能。待ち時間も少なく非常にスムーズです。診察後はナースから「次はいつ来てください」「今日から新しい薬を飲んでください」といったメールが送られてきて、その通りにするだけです。


不妊治療で仕事を休んだり、遅刻早退をしなくてもよいシステムに驚きました。新鮮で前向きな気持ちだったのが功を奏したのでしょうか、1回の治療で副作用もなく妊娠することが出来ました。



妊婦健診


 イリノイ州法では、医療機関は患者に通訳サービスを提供することが義務付けられています。希望すると妊婦健診全般にわたって通訳の方が直接もしくは電話などでの通訳サービスを受けることが出来ます。通訳の方は、アメリカンジョークも正確に通訳して下さり、医師とのコミュニケーションはとても良好でした。


体重管理も全く厳しくなく、私は安心して食べて順調に体重増加。興味があり現地の無料の両親学級を探して申し込み、英語で両親学級を受ける事も出来ました。1つ1つの出来事が自分の経験を豊かにしてくれていると思うと、とても嬉しく、殆どストレスなく妊娠生活を送ることが出来ました。


ミシガン湖が望める特別室!

そして、第3子にして初めて計画出産(出産する日を決めて誘発分娩を行う)、無痛分娩を行いました。コロナ前だったため、家族も分娩室に入ることが出来、夫や娘たちが見守る中で息子を出産しました。


私はベッドで横になりながら本を読み、娘たちはナースからアイスキャンディをもらってご機嫌で「崖の上のポニョ」のDVD鑑賞。時々夫の研究室に遊びに行きながら時間を過ごし、いよいよ生まれるというときは、私の足元側から食い入るように赤ちゃんが生まれる様子を見ていました。日本ではこのような経験は殆どできません。出血もあるので、子供たちにとって怖い経験になるのではないかと心配もしましたが、娘たちは大興奮でした。


生まれたばかりの息子のバイタルサイン測定をナースと一緒にさせてもらい、「将来はナースになりたい!」と嬉々としてナースと話す場面も。出産後は、ボランティアをしていたフロアへ移動。リーダーナースの計らいで、ミシガン湖が望める素敵な個室へ。ボランティアをしていて良かった!家族全員が見守る中、温かい雰囲気の中で出産出来たこと、アメリカでの出産・入院生活を送れたことは人生のご褒美だと思っています。



産後、夫の協力とボランティア復帰


産後、夫は初めて育児休暇を取りました。日本の多くの勤務医は、パートナーが専業主婦(夫)前提の勤務形態となっているそうです。実際日本では、夫は土日も日当直や出張で不在の事が多く、私は文字通りワンオペ育児をしていました。


アメリカでは土日の仕事は無く、家族で過ごす時間がとても多くなっていました。育児休暇を取ることで、夫は自分が家事育児をするのが当たり前という感覚に変わっていったみたいです。帰国後の今では買い物や洗濯の技術が私よりも上手になっています。



また留学中はタイムマネジメントも自分で行えるため、夫は週に一度、日中の数時間自宅に滞在できるようにしてくれました。お陰で私は生後数か月の息子を夫に預け、病院ボランティアに復帰することも出来ました。産後、家に籠りがちだった私にとって、ボランティア再開は本当に嬉しかったです。



 その後、後にReady baby abroadの代表となる小島さんから「シカゴで出産する日本人に対して両親学級を開催したい」という話を聞き、講義を担当させてもらうことになりました。アメリカでの経験のおかげで、自分の出産経験の紹介や、日米の違いを織り交ぜた講義をすることが出来、私自身もレベルアップすることが出来ました。これがご縁で、帰国後もオンライン講座を担当させてもらうことになり、本当に感謝しています。

 


最後 まとめ


 今回、私は帯同者として執筆する機会を頂きました。渡米までは、普通の主婦として家庭中心の生活を送ってきました。留学する当人と違い、私の様な帯同者は、社会的立場や役割、生活が大きく変わるという事はありません。何もしなければ家庭中心の生活を無難に過ごし、帰国していたと思います。ですがアメリカで思い切って挑戦したことで、チャンスがどんどん増え行動の幅も広がりました。そして沢山の学びと経験というご褒美を得ることが出来ました。


帰国後は、思いがけず4人目を授かりますます忙しくなっていますが、生き方の幅も広がり、とても充実した日々を送っています。アメリカに行って良かった。心からそう思っています。この経験をもとに、これからも挑戦する気持ちを持ち続けたいと思っています。

著者略歴


渡辺和恵。慶応義塾大学看護医療学部卒業。助産師として総合病院に勤務していたが、現在は二男二女を育てる専業主婦。夫の研究留学に帯同し、シカゴで様々なボランティア活動に挑戦。帰国後はReady baby abroad代表の小島里穂さんと共に、海外在住日本人妊婦に向けて両親学級のオンラインサービスを提供中。


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