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概日リズムを崩すカリフォルニア留学生活

更新日:8月15日

静岡県立大学

佐藤友紀

アメリカのUC Irvineに留学された佐藤友紀さんの留学体験記です。留学先の決定から、留学中の出来事、そして帰国後の現在の状況までを、とても分かりやすく紹介していただきました。留学中、ご自身の所属する研究室のPIの急逝という悲しい出来事を乗り越え、研究者としてキャリアアップされた佐藤さんの貴重な体験記を、ぜひご覧ください。(UJA編集部 赤木紀之)

1. 留学のきっかけ


私は静岡県立大学食品栄養科学部の中でも、管理栄養士養成課程の学科を卒業しました。そのため主なバックグラウンドは栄養学で卒業研究から一貫して分子栄養学やエネルギー代謝学の研究を行っていました。それら研究の過程で、2000年前半に新たに生まれた概念である「時間栄養学」について、栄養学を研究するに当たって必ず理解する必要があると考え深く興味を持ちました。


博士課程では主に肝臓での糖質・脂質代謝についての研究を行っていましたが、別テーマとして運動時の骨格筋でのエネルギー代謝についても研究を行っていました。


2015年のオランダ-アムステルダムで開催されたCell symposium-Exercise metabolismに参加した際に、留学先のボスであるPaolo Sassone-Corsi博士と初めて出会いました。学会テーマの名の通り、Exerciseについてのデータを示す演者が大多数の中、Paoloは何一つExerciseについては触れずに時間生物学の概念について発表しており、私にとっては一際記憶に残るプレゼンテーションでした。


帰国後に講演の質問に加えて、ポスドクを雇っているかをメールで尋ねました。Paoloラボへはこれまでに多くの日本人が留学しており、Paoloが日本人に好意的であったためすぐにメールが返ってきて、「いつでもインタビューに来てほしい」との連絡でした。幸運なことに2016年にはアメリカ-サンディエゴで開催されたExperimental Biologyに参加を予定していたため、そのタイミングで西海岸を南北に走るアムトラックに単身乗ってIrvineに向かいました。


Experimental Biologyでもポスター発表がありましたが、比ではないほどインタビュー当日は緊張して生きた心地のしないハードな1日でした。私がインタビューに行ったタイミングでも日本人のポスドクが3名在籍しており(村上真理先生-大阪大学、木内謙一郎先生-慶應義塾大学、佐藤章吾先生-Texas A&M University)、その点が心強かったです。


Paolo Sassone-Corsi Labメンバー(2019年) 下段、左から二番目が筆者

Paoloはイタリア人のためヨーロッパ圏のポスドクも多く、イタリア、フランス、スペイン、イギリス、スウェーデンからもメンバーが集まり加えて、アメリカ、日本とあって研究室は多国籍でした。インタビューを一通り終え、留学が可能となった最後の決め手は自身のサラリーを確保できるか否かでした。当時博士後期課程で学振研究員に採用されていたため、サラリーを自身で用意できる旨を伝え、その瞬間にいつでもラボに参加してくれとの返答となり解散になりました。


帰りに再びIrvine駅からアムトラックに乗ろうとした際にVending machineでクレジットカードが使えず、帯同してくれた村上先生も試してダメで、結局ロサンゼルス国際空港まで送ってもらいました。申し訳なく思った半面、直でターミナルに行けたことやPaoloラボの裏話も聞くことが出来てラッキーとも思った出来事でした。大学間での手続きやVISA取得に半年かかり、2017年1月より留学生活が開始になりました。



2. Paoloを捕まえろ


留学期間である2017年1月から2021年2月の間にまともにPaoloと話せたのは一体何回くらいだったか…。まずPaoloラボでは割と抽象的なポイントから研究が開始され、それをどのように研究者が発展させるか、完全放任主義のラボでした。自身で発展させる能力がなければ研究者としてやっていけないという点でその通りかと思いました。

Center for Epigenetics & Metabolism building Summer BBQ Paoloはサッカーが好きなのでBBQのたびにサッカーをしました。

Paoloは学会などに呼ばれまくっていたため365日のうち、半分もラボにいたかどうか…。そうすると、ある程度データがたまった際にPaoloを捕まえてdiscussionしたいわけですが、それはラボのポスドク全員に言えることで、なかなかPaoloがいても先客がおりdiscussionが出来きません。


加えて、私の英語力がネイティブに劣るため、どうしてもPaolo争奪戦で遅れを取ってしまうことも多く、自分の未熟さを痛感した一例でした。留学に慣れてくるとその点も改善され始めますが、いかんせんPaoloが忙しすぎて(サッカーにも行ってしまう)、コミュニケーションが少なくなってしまったのが留学での最大の課題でした。



3. ラボメンバーとの実験作業と雑談


自身のテーマとは別に、私はラボのメンバーからマウスの実験で頼りにしてもらえる機会が多くありました。理由は解剖や注射などマウスのハンドリングに慣れていたためです。一緒に解剖作業などを行う際、日本語だと手を動かしながらでも対応できますが、英語となるとかなり難しくなります。特に話題がドラマや歴史の話になるともうついていけません。そもそも知らないことなのです。


アメリカ人、イギリス人と3人で解剖作業した際には互いの国の歴史の話になり、イギリスは歴史が豊富な国であるがアメリカはつい最近まで焼野原で歴史なんてあったものではない、という発言から戦いに勃発し、それについてTomoは意見あるかい?と聞かれても困る一方でした。「好きな女優」、「好きなバーガーチェーン」などの簡単なものなら対応できましたたが、やはり深堀するのは難しく、好きな女優について「プラダを着た悪魔」で印象の強い「Anne Hathaway」と答えた先はあまり話を広げられませんでした。それはセンスいい!と褒められたのは覚えています。他に記憶に残っている会話は「子供二人が女の子で男の子を欲しいとしたらもう一人チャレンジするか?」といったことをイギリス人と議論しました。答えは両者ともNoで3人目も女の子であった場合完全に居場所を失うからという意見も一致しました。


私の場合はマウスのハンドリングといった日本で動物実験を行っている研究者にとっては当たり前のスキルでしたが、頼ってもらえてたくさんのプロジェクトに携わらせてもらったこと、メンバーとの接点が増えたことはとても良かったです。何か一芸をもつ重要性を、身を持って知った時でした。


生物の概日時計は光が影響するため、光の影響を除外するため全日暗所で飼育しているマウス60匹を赤色ヘッドライトで照らして腹腔内注射を2週間続けた実験も行いましたが、論文の最重要データがキレイに得られたと同僚が大喜びしてくれたことは、私も嬉しく思いました(お礼に彼の気に入っているピザレストランに連れて行ってもらってご馳走になりました)。チームでの研究で喜びを分かち合える良い経験の1つでした。



4. 二つの困難-コロナとPaoloの急逝


最近留学した多くの方が直面した困難の1つにコロナの感染拡大があったと思います。筆者のラボでも4人以上は同時にラボ内に入室できないルールから、午前・午後の2部体制で研究生活をすることになりました。


生産性の面では下がったと言わざるを得なかったですが、良かった面もあります。それは、学会が対面開催からWeb上開催になったことでPaoloの時間に余裕ができたことです。Paolo自身がコロナ禍でのポスドクの状況を気に掛けてということもあり2週間に一度プロジェクトごとにミーティングができることになり、Paoloとのコミュニケーションがかなり増えました。Review paperもいくつか担当させてもらえ、実験は短時間でやれる範囲を行い、家では論文を書くという割と良いサイクルで仕事が出来ていました。


しかし、そんな生活を2-3ヵ月続けたタイミングで予期せぬことが起きました。Paoloが急逝してしまったのです。その日は午前担当で実験に行き100サンプルほどホモジナイズする作業をしていました。急に泣き出すラボメンバーがいて、実験中でしたがpast awayという語句が聞こえて良からぬことが起きてしまったのだなとは思っていました。するとラボマネージャーがそのタイミングでラボにいたメンバーを呼び集めて告げたのがPaolo was past awayでした。Paolo??、ん、昨日もミーティングしたけど…。


バスケチーム 週に1回集まって活動

青天の霹靂という状態に生まれて初めて見舞われました。頭がぼーっとして何考えて良いか分からない状態でした。その頭でたどり着いたのは、不謹慎かもしれないですが、今処理しているサンプルは途中で投げ出せないからせめて全部終わらせて凍結しないと、と思いホモジネートを続けました。ラボにホモジネートのモーター音が響き渡り、もしかしたらあいつは薄情な奴だと思われていたかもしれません。


PaoloラボはPaoloをボスとして、他のメンバーは全員ポスドクであったためラボの存続をどうするか、現状ラボで出来ることは何かを話し合いました。結論から言うとラボは2年後には必ずClose、今あるデータだけでまとめられるものまとめろというのがDepartmentからのお達しでした。そのため急遽全員が就職活動を余儀なくされました。


Angels Stadium-大谷翔平選手 この打席でホームランを打ちました

私はもともと、自分は運が良い人間と感じており、以前より博士号を取得した研究室の助教ポジションがちょうど空くためどうかということを幸運にも打診されていました。Paoloからはあと2-3年で大きな成果になるからそれまで継続して残って欲しいと言われていたのでちょうど迷っている最中でしたが、この出来事により日本に帰国する意思を固めました。


残った期間はデータまとめと論文執筆でしたが、どうしても足りないデータが出てくるため、実験しにも行きましたが、他ラボのPIから「なんで今更実験しているの?」と聞かれたメンバーがいると知った時はかなり寂しい気持ちになりました。でもそれがアメリカなんだろうなという合点がいく部分もあり、様々な側面を見ることもできました。


5. アメリカの生活


ここでは研究を離れて生活のことについて触れます。研究生活以外では大学にあるジムで体を動かすことが多かったです。特に学部生のバスケットグループに入れてもらい毎週バスケが出来たのは、なかなか結果が出ない研究生活において良い気分転換になりました。

Staples center-LA ClippersとWashington Wizardsの 試合前(八村塁選手が当時Wizardsに在籍)

また、当時は日本でも大人気の大谷翔平選手がエンジェルスに在籍していたため、ホームランを打った試合も観戦できました。バスケですと、LAにはレイカーズとクリッパーズの2チームがありますがレイカーズの試合はチケットの値段が高額なため、クリッパーズとウィザースの試合をStaple centerで同僚と観戦しました。ここでも日本人選手の活躍を見ることができ、八村塁選手が当時はウィザースに在籍していました。NBAファイナルのシーズンは研究の合間にレストランで観戦もしました。


その他に高校時代にアイスホッケーをしていた同僚もいたため、アイスホッケーの試合も観戦するなど、日本とは異なるスポーツ観戦の雰囲気を味わうことが出来ました。スーパーマーケット一つでも様々な特色があり日本にはない体験ができる場所に留学できるのはとても幸せなことだと感じます。Costcoは売っている商品のラインナップは違うものの、アメリカも日本も内装は同じため、日本でCostcoに行くと少しアメリカを思い出します。



Staples center (Los Angels)のShaquille O’Neal像

6. 現在の研究生活


現在は、静岡県立大学食品栄養科学部 栄養化学研究室の助教として勤務しており、主には実験作業の毎日です。アメリカで散々、時間生物学の実験のために、夜中にラボに行くなどの生活をしていたため、現在は自身の概日リズムを崩さないような生活を心掛けています(時間生物学者が自身の概日リズムをめちゃくちゃにするのはよく聞く話です)。


時間生物学の研究からは片足を洗い(一度だけ日本で夜中も含む4時間おきにマウスを徹夜で解剖してかなり懲り気味、細胞の実験はたまにやります)、リン脂質と生体機能についての研究を行っています。アメリカでの留学生活、現在の研究どちらでも、興味を持っていただけることありましたら、ぜひ対面でもお話出来れば嬉しい限りです。

著者略歴 佐藤 友紀(さとう ともき) e-mail: tsato1 [at] u-shizuoka-ken.ac.jp

静岡県立大学・食品栄養科学部卒(2013年)、静岡県立大学大学院・食品栄養科学専攻博士課程修了(2018年)、学術振興会特別研究員DC1(2015-2018)、University of California Irvine, Junior specialist (2017-2019)、University of California Irvine, Assistant specialist(2019-2021)、日本学術振興会海外特別研究員(2018-2020)、静岡県立大学食品栄養科学部 助教(2021-現在)


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