研究のために選んだ道

新潟大学

照沼 美穂


はじめに

私がアメリカを離れたのは2013年、あっという間に7年が経ってしまいました。学生時代、当たり前のように歯科医師になるべく歯学の勉強に追われている中で、5年生の時にほんの少しだけ基礎研究に携わる時間があった時から私の将来のビジョンが変わったように思います。それほど得意でもなかった生化学(現・口腔細胞工学)を選んで大腸菌からのタンパク質精製や、モノクローナル抗体の作製などの手伝いをしている中で、実験の楽しさにハマってしまいました。当時歯科では研修医になることは必須ではなかったため、研修医をせずに大学院に入学し、4年間研究に打ち込んでみようと決意したことを今でも覚えています。所属研究室で見出された抑制性神経伝達物質GABAの受容体の一つであるGABAA受容体に結合するタンパク質の機能解明を研究テーマにいただいたことから神経科学の道に足を踏み入れ、そこから私の世界がまた大きく広がっていきました。幸運なことに、1年目には韓国の浦項理工科大学(POSTECH)に2ヶ月ほど研究留学して質量分析法によるタンパク質のリン酸化サイトの同定法を学び、4年目には英国UCL(University College London)のMRC Laboratory for Molecular Cell Biologyにて神経化学や神経薬理学を学ぶ機会を得ました。これらをきっかけに、大学院修了後にはポスドクとして海外に行くことを選び、ペンシルベニア大学のStephen Moss教授の元で研究を開始しました。大学院時代に海外留学のチャンスを2度もくださった大学院の研究指導者、平田雅人教授には大変感謝しています。


イギリスの照沼ラボのクリスマスランチ


ポスドク時代

Stephen Moss教授は、UCLの留学先のボスでした。私が3ヶ月の短期留学を終えた直後にペンシルベニア大学に移動しており、まだまだGABA受容体のことを勉強したいとの思いから、彼の元でポスドクをすることにしました。これまでのGABA受容体の生理学的機能の解明に焦点を当てた研究のほかにも、てんかんや脳梗塞などの疾患研究が加わったほか、神経細胞以外の脳細胞の研究も始め、毎日新たなことを学んだり発見することができる、とても充実した日々を過ごしていました。留学して3年目のころには日本の大学の助教のお話をいただきましたが、プロジェクトが順調に進んでいたこと、もう少し色々なことを学びたいとの気持ちからアメリカで研究を続けることにしました。そのころ、Steveがボストンのタフツ大学に移ることになり、気持ちも新たに付いていくことにしました。2008年の7月のことです。Steveのラボ出身の研究者の多くは、様々な国でPrincipal Investigator(PI:研究室主宰者) になっています。最近ではPIから某国の科学大臣(Minister of Science)になった人もいます。私よりも先に来ていたポスドクたちは次々とジョブマーケットに出ていたので、彼らの背中を見ながら、2010年ごろから少しずつ準備をしていました。アメリカのフェローシップやリサーチグラントを取れたことが、「もしかしたら独立できるかも?」という自信に少しずつ繋がっていったように思います。Nature誌やScience誌のウェブページで公募状況を調べてかなりの数をアプライしました。インタビューは日本、アメリカ、イギリス、そしてオーストリアの大学から呼ばれ、最終的には英国のレスター大学に行くことにしました。なぜイギリスの大学にアプライしたの?と不思議に思うかもしれませんが、UCLに短期留学したときにイギリスの文化がとても心地よく、本格的に暮らしてみたいなと思ったのが非常に大きかったです。また、アメリカ生活も長くなって来たので、ほかの国でチャレンジしてみたいと思ったのもあります。結局アメリカには、ペンシルベニア大学での3年、タフツ大学での5年と、合計8年間いました。


アメリカでは友人もたくさんでき、さまざまなことを教えてもらいました。また週末や夏休みなどにはトレッキングやキャンプに出かけるなど、オンとオフをうまく切り替えながら研究に打ち込むことができました。メイン州のアラガッシュ原生自然保護河川を4泊5日カヌーで下ったことや、モンタナ州のグレイシャー国立公園でトレッキング中に野生の熊に遭遇したことは良い思い出です。


レスター大学時代

2013年10月にレスターに引っ越しました。イギリスの労働ビザを取るためには国が定めた英語の試験に合格し、さらに貯金が一定額あることを銀行から証明書をもらって示さないといけません。アメリカのJ1ビザやH1Bビザなどは大学が書類を準備してくれて大使館に行くだけでしたので、それに比べるとかなり準備が大変でした。レスターはロンドンから北に電車で1時間のところにあります。最寄りの空港はバーミンガム空港やロンドンの空港です。ジョブインタビューで訪れたときにはアイルランドの航空会社であるエアリンガスを使い、ボストンからダブリン、ダブリンからバーミンガムという航路を使いました。もちろんヒースロー空港にも多くの飛行機が飛んでいます。引っ越しの時にはワシントンDCからヒースローに向かうルートを選びました。でも運悪くちょうど米国政府がシャットダウンを行い、博物館などは全て閉鎖してしまったため、いつもとは違った雰囲気のDCをただブラブラして過ごしました。ちょっと残念なアメリカでの最後の1日でした。


レスター大学ではLecturer in Neuroscienceというポジションで雇用され、研究室を立ち上げました。イギリスはAssistant Professor、Associate Professor、Professorという職位ではなく、Lecturer、Reader、Professorとなっているところが多いです。最近はアメリカ式に変更する大学も増えているようですが。給料は100%大学から出ていることから、その分研究だけでなく教育にもしっかりしないといけません。スタートアップはそれなりにもらえますが、ポスドクを雇用する費用はもらえないため、大学院生や学部学生と研究を進め、MRC(Medical Research Council:英国の医学系の研究グラントを担当する研究助成機関)、BBSRC(Biotechnology and Biological Science Research Council:英国のバイオテクノロジーや生物科学の研究グラントを担当する研究助成機関)、ERC(European Research Council:EU圏最大の研究助成機関)などの大型のグラントを獲得してポスドクを雇用することになります。この点がアメリカとは大きく違うと思います。また、動物実験を行うためには動物実験計画書を提出しますが、イギリスでは内務省が発行するProject Licenceを取得しないと書くことができません。そのため、王立獣医科大学(Royal Veterinary College)にて2日間のコースを受講し、筆記試験を受けてライセンスを取得しました。さらに実際に動物実験を行うためには全ての実験者がPersonal Licenceと呼ばれるライセンスを取得しなければいけません。このように、研究室の立ち上げだけでも大変なのに、実験を開始するためには様々なことが必要でした。研究室の立ち上げは半年ほどでなんとか形になりましたが、動物実験は、アメリカでやっていた実験内容が3R(Replacement(代替法)、Reduction(使用動物数の削減)、Refinement(実験方法の洗練・改善)という動物実験の原則)に引っかかるということでなかなか許可されず、許可が下りるのに1年以上かかってしまいました。そのため、簡単に開始できる実験から細々と行うという状態でした。イギリスの大学は学部が3年、修士課程は1年、そして博士課程は3年なので、学生の出入りが激しく、じっくりとプロジェクトを進めることができません。そのため、Figure 1Aを1人の学生が、次の学生がFigure 1Bを担当する、といった分担によって少しずつ研究が形になっていくような感じでした。


大学の教員となると、授業も担当しなければいけません。昔は授業料が無料だった国立大学も学費が年間100万円以上になり、学生からの要望も増えてきて、大学は学生にいかに満足してもらえるか、ということに重点を置いた措置を取っています。その取り組みの1つが、教員は高等教育学の学位を所持し、高等教育アカデミー(Higher Education Academy)という機関のフェローである、つまり教育のプロフェッショナルである、とアピールすることです。私自身も週に1回の高等教育学の講義を受講し、自分の講義や実習で教育職能開発を行った経験および成果を論文にして高等教育アカデミーに申請し、HEAのフェローになりました。同時期にレスター大学の高等教育学の修士号も取得しました。研究がしたくて大学のポジションを得たつもりでしたが、それ以外の様々な義務に追われ、毎日が忙しく過ぎ、なかなか思うように研究が進まないことが非常にストレスでした。そんな毎日のなかでも、秋篠宮家の長女・眞子さまがレスター大学に留学されたり、サッカーのプレミアリーグで弱小だったレスター・シティー(岡崎慎司選手が活躍されていました)が優勝したこと、ラグビーのワールドカップの日本戦を2試合ほど生で観戦できたことは一生の思い出です。


そして新潟へ

意気込んでイギリスに行ったものの、2016年 8月に11年間の海外生活を終わらせて日本に帰国しました。一番の理由がEU離脱が現実味を帯びてきて研究費獲得や大学の将来に対して不安を覚えたことです。同時期にラボをスタートした同僚2人も昨年、今年と次々にイギリスを去りました。新潟には着任前に2度ほど訪問していましたが、知り合いが何人もいたことが決め手の1つでした。また脳研究所があり、共同研究がしやすい環境だったのもプラスでした。11年ぶりの歯学部復帰でしたので、共用試験(CBT)など、私が学生の時にはなかった様々な変化があり、最初はとても戸惑いました。しかし歯学部唯一の女性教授であること、年齢が多くの教授より10歳くらい若いことからか(?)とても親切にしてもらっています。現在、准教授1名、助教2名、そして大学院生3名の小さな研究室ですが、やりたい研究ができていて、とても幸せです。もちろん担当講義は多いのですが、それ以上にスタッフがいて研究が日々進んでいくことに満足しています。


新潟に来てびっくりしたのが、夏は異常なほど湿度が高く、研究室内には自動排水の除湿機を設置しないと本やノートが波打ってしまいます。4度のショーケースが汗びっしょりになり、床が池のようになっていた時には驚きました。2年前に新しいラボスペースをもらい、一からラボを設計したのですが、これまでのさまざまな経験が生かされて、とても心地良い環境になりました。立ったままでも実験できるように実験台の高さを90 cmにしたのはアメリカやイギリスのラボのまねです。あとは順調に成果が出てくると良いのですが。


現在のラボの風景


おわりに

これまでの私自身の歴史を長々と書いてしまいましたが、みなさんも研究が好きでずっと続けたいと思う中で、難しい決断に迫られることが多々あると思います。私自身、より良い環境を求めてこれまでに何箇所も移動してきましたが、どれも私自身が選んで決めたことですので、後悔はありません。これからも、好奇心と探究心をもって研究に邁進していきたいと思います。読者のみなさんの中にこれから留学する方、すでに留学していて次のステップを模索されている方など、様々だと思います。私の経験が少しでも参考になりましたら幸いです。

2020年9月7日


筆者略歴

照沼 美穂。2000年九州大学歯学部卒業。2004年九州大学大学院歯学府博士課程修了。日本学術振興会特別研究員DC2、米国ペンシルベニア大学医学部神経科学部門ポスドク、米国タフツ大学医学部神経科学部門リサーチアソシエイト、英国レスター大学神経科学・心理学・行動学部講師を経て2016年より現職。連絡先:mterunuma@dent.niigata-u.ac.jp