八木 良平
はじめに
「就活で有利になるらしいので博士号取ろうと思います」と知人や教え子から相談された場合、UJA Gazetteの読者の皆様ならどう返答されますか。日本では博士号は「足の裏の米粒」にたとえられ、取らないと気持ち悪いが、取っても食えないものとよく揶揄されます。実際、私の研究領域である重工・化学・金属分野の国内メーカーでは、博士号取得者の採用が積極的に行われているとは言い難く、たとえ博士号取得者が採用されても「修士課程修了後に入社した社員の4年目の給与」が初任給として設定されていることがほとんどです。したがって、国内において博士号取得が就活や入社後の出世競争に有利に働くことはあまり期待できません。
一方で、海外企業で就職を目指す場合には、博士号は大きくプラスに評価され、日本と状況が大きく異なります。また、博士号はキャリアアップのための手段としても強く機能します。このため、海外では、より高待遇で働くことを目的に企業を辞めて博士課程に進む学生も少なくありません。私も、海外で待遇の良い職を得て生活するための手段として博士号を取得しました。
本稿では、以上のような日本と海外の就職活動の違いや、海外就職に対して博士号の有無がどのように寄与するのか、私の経験を基に紹介します。海外就職を目指す方々だけではなく、国際競争力のある理系人材の獲得を目指す国内企業・大学の読者の方々にも参考にしていただければ幸いです。
海外企業と日本企業の就職活動の違い
日本企業の多くは、毎年一定数の新入社員を一括採用し、新人研修後に、各部署に配属させる方式を採っています。また、配置転換も多いため、就職面接では、候補者の有する専門性よりも、新しい環境への適応性や潜在能力が重視される傾向にあります。博士号取得者も例に漏れず、博士課程で培った専門性はそれほど重視されずに、修士課程修了後に入社した社員の4年目とほとんど変わらない待遇であることが多いです。入社直後から部下を指揮してプロジェクトを任されることなどは稀でしょう。
一方で、海外企業の多くは、事業の拡大や欠員などで新たに人員が必要な場合のみ、特定職種の新規採用募集をかけます。入社直後から、場合によっては部下を率いて、即戦力での活躍が期待されるため、就職面接では、候補者の実務経験や専門性、マネージメント能力がかなり重視されます。 海外大学の学生が、在学中のインターンシップに熱を入れるのも、就職に向けてこれらの経験とスキルを少しでも多く培う必要があるからです。高待遇の高度専門職に就きたい場合、高い専門性を持つという点で、博士号取得者は有利となります。さらに、最近では、研究開発部門でManager以上の職位に就くには、博士号の取得を必須要件としている企業も多く、企業の研究開発部門を目指す場合、博士号取得はメリットどころか必須となってきています。
このような新入社員の採用に対する考え方の違いは、選考フローの違いにも表れています。私が経験した限りでは、海外企業の選考は、書類選考、配属希望部署のDirectorおよび人事部担当者との面接によって行われ、日本のような一括採用でないためか、集団面接やグループディスカッションは行われませんでした。配属希望部署のDirectorは採用に関する大きな裁量権を持ち、新たな人員募集が必要となる場合に備えて、常に有望な人材を探しています。したがって、就職希望先のDirectorと事前に面識があれば選考において非常に有利であり、就職活動に向けた事前のネットワーキングが重要であると言えます。
海外企業就職に対する博士号取得のメリット
日本人が海外企業に就職するにあたって、最も重要なのは現地人との差別化です。海外企業が日本人を雇用する場合、労働ビザの手配や海外からの引越費用などの高額な費用を追加で支払う必要が出てきます。それでも、前述したように海外企業は専門性を重視し、また、博士号取得者はそれぞれ独自の研究遂行能力を持つため、日本人が現地人との競争に勝ち、採用されるチャンスが生まれます。また、国によっては、博士号を取得していると、労働ビザや永住権の取得のハードルも下がります。
私の海外企業就職までの経緯
私は21歳でオーストラリアの大学に交換留学をしたことをきっかけに、様々な文化や価値観と出会える海外で就職したいと考えるようになりました。また、当時専攻していたマテリアル工学に興味があったため、マテリアル工学分野の研究者もしくはエンジニアとして、世界で活躍しようと決意しました。留学中、企業で活躍する多くの博士号取得者と出会い、また、永住権や労働ビザ申請において博士号の有無が大きく影響することを知り、私も海外での理系就職に向けて、まず、博士号の取得を目指しました。
東京大学大学院で非鉄製錬・リサイクルの研究に打ち込む5年の間に、当時の指導教員のご厚意で、自身の研究だけでなく、国内外の研究会の運営や企業訪問への同行、研究室の後輩の指導など、マネージメントを学ぶ機会も多く与えて頂きました。特に、研究会の運営に携わることで、国内外の数多くの経営者や研究者と交流する機会を持てたのは、海外就職前の人脈形成において非常に有用でした。博士課程在籍中、米国ノースカロライナ州にある金属リサイクル企業で短期インターン (現場での実習、作業補助など)を行い、数々のリサイクル技術の操業方法を学ぶ機会を得ました。産業を通して得た経験は、後の海外非鉄企業における就職面接においても大きくプラスに働きました。
専門性と経験が評価され、博士課程修了までに、北米・欧州などの5つの海外企業・大学からオファーを頂くことができました。博士課程修了後、米国マサチューセッツ工科大学にポスドクとして採用され、米国滞在中に、欧州の非鉄リサイクル企業への内定が決まり、現在は研究開発部門のProject Managerとして働いています。
MIT勤務時代の筆者
振り返れば、私は研究分野と指導教官に恵まれました。非鉄製錬・リサイクル業は全世界に存在する巨大産業であり、原料の多様化に併せて、大学・企業において継続した研究が必要な分野です。粗く言い換えれば、食いっぱぐれのない研究分野です。この分野の若手研究者の数は少ないですが、それ故に、世界各地の企業からの需要があり、この研究分野は、海外企業への就職を目指す上で、理想的な分野です。また、博士課程在籍中に、多くの研究会の運営に携わる機会を頂いたのも海外企業への就職に有益でした。前述したように、博士号取得者は管理職として採用されるため、就職面接では、研究遂行能力だけでなく、管理能力やリーダーシップに関する多くの質問を受けました。その際に研究会の運営や後輩への指導能力についてアピールできたことが採用につながったと考えています。海外企業への就職を目指すには、良い研究分野や、研究以外にも多くの経験を積むことができる研究室、指導教官を選択することも重要と考えています。
2020年10月に欧州へ移住した筆者。コロナ禍での欧州移住で、周りに乗客が全くいない機内を体験しました。
おわりに
日本の大学・企業における金属工学分野の研究や技術は依然として世界的に高い競争力を持っています。この分野で学んだ理系人材のポテンシャルは高く、多くの海外企業が日本の理系人材に関心を持っています。海外企業では、高い専門性を持つ人材に対する役職および給与待遇が良いため、日本の理系人材、とくに、博士号取得者の海外企業就職は今後増加するであろうと私は予測しています。また、日本の企業においても、国際的競争力のある人材を確保するために、専門性重視の採用方式への移行が進められています。案外、「就活で有利になるらしいので博士号取ろうと思います」と日本で聞く日も近いのかもしれません。
著者略歴
八木 良平。2014 年大阪府立大学工学部マテリアル工学科卒業後、東京大学大学院工学系研究科へと進み、稀少金属レニウムの環境調和型リサイクル技術の開発に関する研究で2019年に博士号を取得。同年より米国マサチューセッツ工科大学 (MIT) の博士研究員を経て、2020年より欧州非鉄リサイクル企業にてProject Managerとして勤務。Twitter: https://twitter.com/Hachi_Re8