執筆者 :宮道和成
留学先 :米国Stanford大学
留学時期:2006年4月~2013年8月
身分 :ポスドク(当時)
doi : 10.34536/finding_our_way_008
私の場合は2006年に坂野仁先生 (東大・理・生物化学) の指導下で博士号を取得し、米国Stanford大学のLiqun Luoラボに留学しました。博士課程2年目の終わりも近づく新春に坂野先生から「国内で別のラボに行くのは許さん。留学するかここに残るか、どちらかにしなさい」と遠回りに強いられたこともあってアメリカ留学を決意することになりました。坂野先生は機会があるごとに、サンディエゴ留学時代、当時のボスと大喧嘩して“このラボから学ぶものは何も無い!”と啖呵を切って追い出された武勇伝、その後、利根川進先生と出会ってバーゼルに渡り、抗体遺伝子の再編成を巡って八面六臂の大活躍をする逸話を色鮮やかに語ってくれました(20回くらい聴きました)。そしてできるだけ柔軟性のある若いうちに留学するようにと強く後押ししてくださいました。ここでは留学先を選ぶに当って私の個人的な体験や戦略について思うところを幾つかお話したいと思います。
早く行くべし
いずれ留学するなら若い方が良いと思います。将来外国で独立して研究室を持ちたいと考えているなら、大学院から行くほうが断然良いですし、ポスドク留学についても「まずは日本で経験や業績を積んでから」「日本で人脈を築いてから」という考え方で日本のポスドク先を選ぶ人が私の周りにも多くいるのですが、戦略としてはお勧めできません。その理由は、i) 多くの欧米諸国においてポスドク枠で採用できるのは学位取得後4-5年まで、その後はボスの負担の重いresearch associate枠になるため採用されにくい、ii) 多くのポスドク用奨学金が学位取得後の年限を設けている、iii) 日本で行うプロジェクトが増えるほどにしがらみを断ち切るのは難しくなる、iv) 留学先でのプロジェクトのやり直しやラボ変更が効きにくくなる、v) 気力と体力が衰える。
なお、学術振興会の海外特別研究員に採用されなければ留学できないと思い詰めている人が私の周りにも多いのですが、これも基本的に間違いです。ポスドクは本来PIが金を出して雇うものであり、奨学金を持ってきてくれるに越したことはないものの、意欲と協調性があって面白い視点や技術が少々あるなら、日本からのポスドクを是非採りたい!と思っている米国や欧州のPIはたくさんいます。現地に行ってからアプライできる奨学金もありますし、留学先から海外特別研究員やHuman Frontier Science Programのフェローを狙っても良いわけで、まずは「博士号を取ったらさっさと留学するぞ」と決めることが肝要です。
経験・哲学・人脈を求むべし
私の場合、留学先を探すにあたって何を学ぶべきなのかを考えました。その結果、特定の技術や研究分野を学ぶために留学しても余り意味が無いと考えるようになりました。日進月歩に技術が進む現代にあっては、先端技術もすぐに陳腐化するためそれだけで安泰なわけでもなく、研究分野も変遷著しいため、ポスドク先で修めた分野がその後のキャリアを支えてくれる保証もありません。「ポスドク先で見つけた遺伝子で一生食っていける」古き良き時代はとっくに終わっています。特定の技術や分野を学ぶだけで良いなら日本で共同研究でも組んだほうが話が早いでしょう。
そんな中で留学の価値は、新しい環境で経験を積み、新しい研究哲学に触れ、外国に人脈を広げるところにあるでしょう。私の場合は、坂野先生の研究室ではマウスの遺伝学を用いて嗅覚受容体の発現制御と末梢嗅覚組織の発生を研究していたので、ポスドク先ではもっと脳内奥深く嗅覚中枢に行きたいという漠然とした考えがありました。また、脳の研究に分子遺伝学を大胆に適用するには当時のツールでは不十分で、新しいメソッド開発を活発にやっているところに行きたいという希望もありました。このように漠然と方針を決めたら、次はアプライ先のラボを考えることになります。
天命を待つべし
私の意見は、街と食事を選ぶべきだということです。自分の進むべき道を自分でデザインできるというのは誇大な妄想というべきで、実際の研究人生はもっと気まぐれな運命の掌の上を転がっているようなものですから、最低限の権利として、気分の良い街・美味しく食べられる食材 (の手に入る環境) を選ぶ権利を手放すべきではありません。因みに、Stanford大学のあるパロアルトは家賃が高騰している点を除くと、街と食事は申し分ありませんでした。ただし、天候が良いのはラボに篭って研究する人生には無用のパラメータでした。
分野・方針・地域が概ね決まったら、あとはメールをたくさん出すだけです。闇雲に出しても特に害はないので、少しでもピンとくるものがあれば取りあえず出しておけば良いと思います。無論、コラボ経験があったり、共通の知り合いがいたり、大学院の先生が紹介してくれたり、といったボーナスがあれば返信が帰ってくる確率は高まるでしょう。私の場合、不勉強な院生だっためアメリカのPIの名前や仕事をほとんど把握しておらず、取りあえず思いつく名前が片手に数えるほどしかありませんでした。そんな中で小賢しく考えて出したメールはほとんど無視されましたが、たまたま学部同期の小宮山君が大学院留学していた先のLiqun Luo先生に出したメールには返信がありインタビューに誘っていただきました。大学院後半からもう少し違う分野も含めて総説を読んだり勉強しておくと選択の幅が広がったのではないかと思います。
インタビューの形式はラボごとに少し違いがありますが、多くの場合、自分のこれまでの仕事を1時間程度のセミナー形式で話し、質疑応答。それから今度はラボメンバーと1:1のdiscussionを何人も行います。最後に、ディナーに連れて行ってもらえる (ここでも社交性や人柄を見られているかも知れません…) ところが多いようです。ポスドク候補を採用するかどうかは、セミナーの出来具合、質疑応答の的確さに加えて、ラボメンバーとの個別discussionの印象も重視される可能性があります。私の聞いた話では、ラボメンバーの一人でもNOと言ったら不採用という厳格なルールを設けているところもあるそうです。最近では外国からの候補者はスカイプ面接等で済ませるラボも多いようですが、ポスドク面接は学位審査と並んで博士課程の総仕上げであり、自立した研究者の第一歩なので、可能な限り挑戦して欲しいと思います。国際学会のついでに立ち寄るのがベストです。
若いボス or 大御所 で悩むべからず
よく留学仲間との飲み会で議論になるのが、留学するなら駆け出しの若いボスのところに行くのがよいのか、それとも分野の大御所を狙ったほうがよいのかということですが、これは飲み屋談義に向いた議題です。つまり正解が無いのです。若手は上手くrazing starを捕まえられれば二人三脚でラボの黎明期に立ち会うことができ、ラボ運営のイロハを実務的に学ぶことができ、しかもラボ内には競合相手が少ないので成果を寡占できます。しかし、ハズレを引くとポスドクとの距離感がつかめておらず、神経質な過干渉に悩まされ、立ち上げ期の雑用に追われ、ラボの各技術は未熟で、しかもせっかく出した成果はボスの次のテーマになるために取り上げられます。一方の大御所は安定感がありますが、その分ラボ内の競合が激しかったり、貢献が分散してしまったり、或いはほとんどボスと話をするチャンスがなかったりします (これは美点に数えても良いかもしれませんが)。
私の個人的な「狙い目」は、「そこそこ確立して中堅に入りつつあるPIで、新しい領域に踏み出そうとしている」あたりです。その領域の一番手としてラボ入りできれば、若手PIの躍動感と大御所の安定感の真ん中あたりが狙えるはずです。ただしこれは論文を追っていても見えてこない情報で (論文に出てくるのは何年も後なので)、何らかの内部情報を仕入れるか (先に留学している先輩などが役に立ちます)、或いは勘を張る必要があります。だいたいテニュア審査を終えたあたりで一段落感のあるPIは新路線を狙っているものなので、適当に振ってみると意外と当るものです。私自身は、ハエの画期的な遺伝学的モザイク法MARCMで一世を風靡したLiqun Luo先生が次はマウスで同じような遺伝学トリックをいろいろ考えているだろう…と予想していたのと、小宮山君から仕入れた裏情報を元に、当時まだマウスの論文が一本も無かった時代のLuoラボに行くことを決めました。今ではLuoラボの半数以上がマウスの研究者となり、分子遺伝学を駆使した神経回路の可視化と発生メカニズムの研究でリーディングラボの一つと見なされるまでに成長しています。この過程に寄り添い内部からじっくり観察できた (若干貢献もできた) のは私の留学体験の成果とするところです。
英語を案ずるより趣味と研究を愉しむべし
英語の失敗はたくさんありますが、私の代表的なものは、バーでチェイサーにwaterを頼んだらvodkaが出てきたとか、「掛け布団」の呼び名が分からず家具屋の床でパントマイムを演じる羽目になった (その結果、掛け布団用のカヴァーを買わされました) とか、笑い話が多いようです。留学前には英語力が当然心配になるのですが、実際に行ってみると問題は語学力(だけ)ではなく、むしろコミュニケーションの基盤となる共通の教養・趣味・興味・話題の欠如が深刻であることが分かります (特にラボパーティーなどのソーシャルイベントで困ります)。この点、ネコが好きだったり、ラーメン道に詳しかったり、料理が得意だったり、映画をよく見ていたり(ヱヴァの深い解釈を持っていたり)、何かしらの趣味を磨いていると多いに助けになるでしょう。そして何より、研究において信頼され、他のラボメンバーの模範となることが最大のコミュニケーション術といえるでしょう。愉悦に勝る勉励は無し。研究と趣味とを大いに愉しみましょう。
Liqun Luo先生 (左)と著者 (右)、2010年ころ
現在の所属:理研BDR比較コネクトミクス研究チーム
http://cco.riken.jp/index.html