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幸せの国デンマークでの研究生活

同志社大学 土屋 吉史

UJAでは様々な学会で「留学のすゝめ」というセッションを定期的に設けています。この記事の著者である土屋さんには、2023年 第96回日本生化学会大会でのシンポジウム「UJA留学のすゝめ2023 ~日本の科学技術を推進するネットワーク構築~」にてご講演頂きました。デンマークへ留学された土屋さんのご寄稿、ぜひご覧ください!(UJA編集部 赤木紀之)

はじめに


研究グループメンバー、左から3人目が筆者

読者の皆さんこんにちは。同志社大学の土屋吉史 (つちやよしふみ)と申します。2019年5月~2022年3月まで、私はポスドクとしてデンマークコペンハーゲン大学附属ビスぺビアウ病院のスポーツ医学研究所というところで研究活動を行ってきました(特別研究員PD、海外特別研究員)。

 研究の内容は、簡単に言うと、筋肉や腱、骨などで構成されるいわゆる“運動器”の機能をいかに健全に保つかという研究をしています。

 ここでは、これから研究留学を目指す方、特に研究留学を迷っている方に向けて私の研究留学体験をシェアしたいと思います。そして今後の皆様の人生が少しでも豊かなものになるよう私の経験を活かしていただければ嬉しいです。



経緯


研究留学先を選んだ理由は、ありきたりですが、研究内容でした。もともと博士課程進学を決めた時から国外の研究に興味があった私は、日本でポスドクとしてトレーニングを積みながら機会をうかがっていました。留学の決断は、特別研究員(PD)という国の予算で生活や研究を支給してくれる制度に採択されたときにしました。


私の頭の中は、採択=研究留学への切符 でしたので採択時には大変興奮したことを覚えています。実際には、日本での研究にケジメをつけたかったということもあり、その後2年間は日本でポスドクをしていたのですが。。。また、研究留学が現実味を帯び始めたことで「留学のすゝめ」を購入し、諸先輩方の研究留学体験記を読み漁っていました。ですので、今こうして当時とは逆の立場となり、感慨深いものだなーとしみじみしながらこの体験記を書いているところであります。


これは「留学のすゝめ」の効力だと思うのですが、私自身、日本にいる間、実験の合間に「留学のすゝめ」を読んでいて、「迷っているなら行った方がいい」というマインドに何度も背中を押されました。実際、研究留学への意思がさらに固くなった私は「留学のすゝめ」に忠実に倣い、自分の興味ある複数のラボ主宰者へメールし、最も自分にフィットするラボを選ぶことで留学を実現することができました。本書が私にとって起爆剤になったことは言うまでもありません。このUJA Gazette の私の記事が当時の私の様な研究者の背中を1mmでも後押しできることを願っています。



英語への過信


デンマークの母国語はデンマーク語です。しかし、老若男女問わずほとんどの方が英語で話しかけると嫌な顔をせず自然に英語に切り替えて喋ってくれます。ですので、スーパーなどの表記以外は、日常生活などで困ることは殆どありません。殆どないはずなのですが、私の場合、自分の英語能力を過信していて困ることがありました。


研究留学を意識してから、私はオンライン英会話を始め、講師とうまくコミュニケーションができるようになり研究内容であればより詳細な表現や説明ができるであろうと自信をもっていました。ところが、いざ研究留学が始まりコミュニケーションの場に立つと自分のこれまで培ってきた英語への自信がボロボロと崩れていきました。理由は簡単で、オンライン英会話では講師が一対一で日本人なまりの英語を集中して聞き取ってくれていたからです。


最初の頃は自信があった分ナーバスになっていましたが、同じく英語が苦手だったというイタリアと中国出身の同僚に救われ、徐々に適応していくことができました。これから研究留学を目指される方は、様々な国の方の英語に触れる機会をつくることや複数人の中でもコミュニケーションするスキルを身に付けることが重要だと思います。



家の近所にあるビーチで短い夏を謳歌する人たち

研究職のワークライフバランス 幸せの国と呼ばれるデンマークでは、研究者がどのように働いていたのかを紹介したいと思います。国民が抱いている社会全体の幸せの度合を国別にみていくと、デンマークは 1-3位の常連国です。幸福度の高さの正体はいったい何なのか? 研究職の一日の具体的な働き方とは? 日照時間・季節と働き方には関係がある? など、私がこれまで感じてきた日本の労働環境との違いを働き方という文化にて紹介していきたいと思います。


私の所属先の場合、多くの同僚の勤務時間は9時-15時半でした。中には17-18時くらいまで頑張るポスドクメンバー (私を含め) もいました。最初の夏は、15 時半になると秘書さんから「デンマークの夏は短いから、早く帰って公園でリラックスした方が良いよ」とアドバイスをもらいました。一方、冬には「15時半になると暗くなるから早く帰った方が良いよ」とアドバイスされ、結局一年を通じて皆15 時半には帰る文化が根付いていることを知りました。


また、日本人からすると、家族との絆が異常なほど強いと感じることもありました。私の同僚が自身の送別会を金曜日の夜に設定していたのですが、30 人程度いるはずのメンバーが6 人しか来ていませんでした。理由を聞いたら金曜日の夜はみな家族で過ごす時間を優先しているのだそうです。あまり周りの人には干渉しない国民性も相まって、日本ではあまり経験することのない出来事でした。


このように、家族と過ごす時間やプライベートの充実を大切にする価値観をもちながら、短時間労働で合理的な仕事を実現する北欧特有のスタイルは、長時間労働が染みついた私には衝撃的でした。実際に、研究所からは年間多くの論文が受理されており、卓越した体系的研究運営が実現していることを物語っていました。そしてこうした優れた研究運営の背景には、グループ間での流動的かつ活発な意見交換や実験の分業制が挙げられ、プライベートの充実が国民一人一人の自己肯定感を高め快活な意見交換を後押ししていると感じました。


さらに、諸外国の研究者との連携に長けており国外研究費にも当然のように挑戦し、同じ非英語圏の民族として学ぶことが多かったように思います。デンマークのワークライフバランスは家族や季節、個人の考えを尊重する国民性によって合理的に成り立っていることを体感しました。



コロナと出産


この研究留学中に、一生忘れることのない沢山のイベントを経験しました。最初の年は、コロナ感染症の影響です。留学してちょうど一年後くらい、コロナ感染症がアジアからじわじわとヨーロッパに伝わってきました。ミーティングや会話では必ずこの話題が出るようになり、病院全体が毎日そわそわしていたことを覚えています。皆さん同じ思いだったと思いますが、研究留学に来ているのに一日中家にいるもどかしさも経験しました。

ラボのボスと私と娘

また、人生の一大イベントとして、出産も経験しました。日本でも経験したことのないことでしたし、コロナ感染症の影響もとても怖かったので不安ばかり抱えていた記憶があります。日本語でも普段使うことのない、出産に関する単語を必死に覚えたり、日々変わりゆく病院のコロナ対策ルールをフォローしたりすることに必死でした。幸いなことに、娘も無事に産まれ、これが私の研究留学の一番の功績!?となりました。



終わりに


研究留学を決意した動機や自身のキャリアパスを通じて感じたことなど、これから研究留学を考えている方に参考となるよう情報共有させていただきました。私の経験から、日本とデンマークの良し悪しを自身の働き方に合わせて選択していただくことで、皆様のライフスタイルがより充実したものになるようお役に立てれば幸いです。



著者略歴 土屋 吉史(つちや よしふみ) 同志社大学・助教 2011年 山梨大学 教育人間科学部 スポーツ健康科学科卒業

2013年 山梨大学大学院 教育学研究科 教育学専攻 修士課程

2016年 立命館大学大学院 スポーツ健康科学研究科スポーツ健康科学専攻 博士課程 (特別研究員DC2)

2016年 長崎大学 医歯薬学研究科 原爆後障害医療研究所・特別研究員PD

2017年 長崎大学 医歯薬学研究科 筋骨格分子生物学研究グループ・特別研究員PD

2018年 熊本大学 発生医学研究所 筋発生再生分野・特別研究員PD

2019年 コペンハーゲン大学ビスペビアウ病院 スポーツ医学研究所・特別研究員PD/海外特別研究員 

2022年 同志社大学 スポーツ健康科学部にて現職

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