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日本子䌚瀟からアメリカ本瀟ぞ

むルミナ株匏䌚瀟元Thermo Fisher Scientific USA

花岡 秀暹


UJA Gazetteでは、留孊生・研究者のキャリアの倚様性にフォヌカスした新連茉『海倖就職のすゝめ』をスタヌトしたした蚘事や転職にた぀わる疑問に぀いおは、著者ぞ盎接質問できる特蚭サむトにお受け付けおおりたす。ご䞀読の䞊、ぜひご掻甚ください。

UJA Operating Committee・アむデア郚・財務郚
森岡 和仁

こんにちは。花岡ず申したす。日本の倧孊などで博士研究員をしおから産業界に転じ、2015幎から2018幎たで米䌁業のサンフランシスコオフィスで働く機䌚に恵たれたした。圓時のオフィスにいる日本人は、実質私1人しかおらず、こんなにいい環境があるのだから、日本人研究者にもっず産業界に来お欲しい、アメリカで働く仲間が増えお欲しい、ず垞に感じおいたした。今回、UJA Gazetteの玙面をお借りし、『海倖就職のすゝめ』第1匟ずしお、海倖就職の実際などをお䌝えできればず思いたす。研究経隓のある方は、囜境を越えお就職しやすいず思いたす。皆様のキャリアパスを考える䞊でご参考になるずころがあれば幞いです。


海倖の䌁業で働くこずになった経緯


私の堎合、たず日本の産業界で働くこずになり、その埌、海倖ぞ出るずいう経緯をたどりたした。博士研究員をしながら5幎ほど経ったずきに、「博士研究員ずいう同じ立堎を繰り返すこずはそろそろやめよう。次のポゞションは、アカデミアなら垞勀、テニュアトラック。たたは、産業界でのポゞションを探そう」ず決めたこずがきっかけでした。そのような心境に至った理由は、1幎霢が30歳近くなり、産業界ぞ出るにはタむムリミットが近づき぀぀あるなず刀断したこず、2家族が増えお幞せな意味で自由床が䞋がったこず、3講矩が持おないなど垞勀でないず入れない䞖界が倚々あるず感じたこず、などがありたす。


結果ずしお、アカデミア、内資、倖資、1幎匱の転職掻動を経お、圓時のアプラむドバむオシステムズゞャパンに入瀟したした。ちなみに、産業界のポゞションは、転職゚ヌゞェント2瀟JACずリクルヌトに登録しお探したした。JACは厳遞した少数の案件を玹介しおくれ、リクルヌトは自分で遞ぶ必芁はあるけれど、倚くの案件情報を提䟛しおくれ、タむプが異なりたす。今回の執筆にあたり、「基瀎研究の䞖界を離れるこずに抵抗感のようなものはなかったか、感じたならばどのように解決したか」ずいう問いをいただきたした。改めお考えおみるず、「抵抗感はなかった。䞀抹の寂しさはあった」が圓時の感情だず思いたす。私にずっお研究ずいうのは、音楜や芞術ず同様に文化掻動の1぀で、本質的には奜奇心に動機づけられた遊びを瀟䌚に支揎しおもらっお行う掻動ず捉えおいたした。その意味では、「もっず遊んでいたいけれどその堎を離れなくおはいけない」、そんな心境でしょうか。䞀方で、産業界での仕事がどのように䞖界が広がっおいき、どんな経隓を積めるのか、楜しみでもありたした。


こうしお倖資系䌁業の日本子䌚瀟でのキャリアをスタヌトさせたのですが、数幎の経隓を経お、「アメリカ本瀟で仕事をしたい」ず匷く思うようになりたした。子䌚瀟での業務は、基本的に「出おきた補品をどう売るか」であり、「こういう補品を䜜るべき」ずいう開発の䞊流に関わりたいず感じたからです。たた、幎に数回、アメリカ本瀟に出匵しお、働き方の自由さにも惹かれたした。皆、ずおも楜しそうに映りたした。「実珟可胜性は䜎いけれど、い぀かアメリカで働きたい」その埌数幎間、ポゞション獲りにいそしむこずになりたす。


移籍掻動ずビザ

同僚達ずのピクニックランチ。圌らに面接されたした。

勀務先には定期異動のような仕組みはありたせんでした。良くも悪くも䌚瀟は倉化のトリガヌを匟いおはくれないので、「自分で機䌚を捕たえなさい」ずいう文化が根底にある気がしたす。私も3幎ほど䞊叞ずの面談、日本支瀟長ず雑談する機䌚など、垞に「アメリカで働きたい」ず発信しおいたした。が、「それはいいね。サポヌトするよ」ずは蚀っおくれるのですが、そこたででした。「来季からこのポゞションでどうだ」ず声をかけおくれる、そんな淡い期埅を抱いおいたのですが、実際にはそのようなこずは起きたせんでした。加えお、本瀟出匵の際に芪しくなった同僚たちにも垞に、「いいポゞションがあれば移りたい」ず発信しおいたずころ、結果的にはそれが実を結びたした。以前、仕事で絡んだ盞手が、「今床、自分のチヌムで人を採るけれど、興味あるか」ず声を掛けおくれたのです。


たずは、出匵の際に話す機䌚があり、ポゞションの説明ず応募する意思があるか聞かれたした。もちろん埅遇がひどいものでなければ、こちらずしおは行きたい意思は明確です。職務経歎曞などを出し、3ヵ月ほど埌に再枡米しお面接を受けたした。驚いたのは、面接盞手が未来の䞊叞やその䞊叞に加えお、未来の同僚たちだったこずです。「私もただ入瀟2週間だから䌚瀟のこずほずんどわからないわ」ず蚀われたずきにはずっこけたした。もっずもその埌のアメリカ勀務を通じお、同僚による面接は、そこたで特殊なものではないず理解したした。やはり呚囲ずの盞性も倧事な専攻芁玠なのでしょう。ただ、私自身が日本で自分のチヌムに新芏採甚されたずきには、管理職以倖は遞考に関䞎しおいなかったので新鮮でした。


銖尟よく面接で及第点を埗お合栌連絡をもらい、日本法人の退職手続きやアメリカでの就劎ビザ取埗などに動きたした。通垞、研究者が留孊などで枡米する際には亀換留孊生のJ-1ビザ、あるいは専門職のH-1Bビザが適応されるず思いたすが、私の堎合は、䌁業内転勀者ビザず呌ばれるL-1ビザでした。ある皋床の芏暡の倚囜籍䌁業には、「L-1ブランケット」ずいう圢で勀務実瞟がある䞀定数の人間を日米間で動かす枠を持っおいたす。日本䌁業が駐圚員ずいう圢で瀟員をアメリカに赎任させるずきにもよく䜿われるビザです。なお、䌁業がスポンサヌずしお身分保障しおいる圢になるので、転職は認められない、副収入を埗おはいけない副業ができない、などの制玄が課せられたす。


そしお、契玄内には含たれおいたせんでしたが、アメリカ氞䜏暩、いわゆるグリヌンカヌド取埗のサポヌトも受けられたした。私の堎合は䞊叞に盞談し、郚門長の承認を埗お進めるこずができたした。最初はそのような仕組みを知らず、同僚ずの雑談の䞭でそういう亀枉ができるず教えおもらいたした。しかし、私は氞䜏暩を取埗しそこなっおいたす。ずいうのも、1幎アメリカで勀務しお申請する暩利が発生したのですが、氞䜏暩の必芁性を匷く感じおいなかった、そしお、個人の芁求を匷く出しおよいのかわからなかったので、䞊叞をせっ぀くこずもなく、2幎目の終わりに申請を始めたした。結果的に移民局のプロセスが1幎かかり、3幎が過ぎ、たさに他瀟ぞ転職を決めお䞊叞に報告する数日前に認可の連絡を受けたした。その時点では、すでに次の䌚瀟の雇甚契玄に眲名しお、垰囜の手筈を敎え぀぀ありたしたので、ビザからの切り換えはできず、氞䜏暩取埗は取埗目前に幻ずなりたした。私の次にアメリカぞ来た人には、1幎経ったらすぐ申請できるよう早めに根回しをするよう匷く勧めたした。自由に転職できる立堎になっおいた方が、䜕かず有利なこずは間違いありたせん。


なお、アメリカ囜内での転職掻動においおは、転職系SNS「LinkedIn」に最新のCVを茉せおおく、プロフィヌルをこために曎新しおおくず゚ヌゞェントからの連絡が入るようになりたす。同僚には別のSNS「Glassdoor」でその䌚瀟の評刀や職皮の絊䞎レンゞを芋おおいた方がいいよ、ず勧められたした。私も同感です。


䌁業勀務埅遇の日米の違い

家の近所で芋た倕日。ワヌクラむフバランスは最高でした。

仕事に関しおいうず、正盎アメリカの方が楜でした。業務が现分化されお各自の責任範囲がより明確になっおいる、出瀟時間が柔軟、お客様ずの立堎が察等に近い、などの芁玠があるのですが、総じお日本ず比范しおストレスが少なく仕事ができたす。良く蚀えば「楜倩的」、悪く蚀えば「いい加枛」な文化の䞭で、䞍満や悩みを抱え蟌むのがアホらしく思えおきたす。たた、子䟛の孊校行事などで昌出瀟や午埌早退が自然に行われおいたした今はコロナで圚宅党盛ですが。垰宅も毎日18時には家で家族ず倕食ずいう生掻だったので、自由な時間も倚く取れたした。いわゆるワヌクラむフバランスは、日本勀務時代ず比范しお圧倒的に良いものでした。


絊䞎は日本ず比范しお高くなりたす。同じ職皮の人ならば、2-3割増える感芚でした。前述のGlassdoorでも芋れるのですが、補品の開発をずりたずめるプロダクトマネヌゞャ職で、幎収$120,000 - $150,000皋床でしょうか。ただ、サンフランシスコ近郊ですずIT系の職がこの䞖の春を謳歌しおいるので高絊取りには入りたせん。「VerilyGoogle系ラむフサむ゚ンス䌁業のプロマネは、$180,000からのオファヌだぞ」のような話を同僚ずしおたした。たた、生掻コストが高いので、可凊分所埗の割合も日本ず比范しお高いものではありたせん。築40幎の2LDKで毎月の家賃が$3,000匷ずいうのが盞堎でしたので  ただ、物䟡の高い環境アメリカで生掻するず同じ幎収の5%を蓄えるにしおも、それを物䟡の安い環境日本に移すず賌買力は高たりたす。たた、海倖で働くずその人の幎棒が海倖基準になるので、以降の職探しの䞊で絊䞎亀枉を日本基準ず比范しお高めから始めるこずができるようになりたす。海倖での䌁業就職を実利的な面からお勧めできる理由の1぀です。


たた、額面絊䞎に加えお成果に応じたRSUずいう䌚瀟の株取埗暩利の提䟛䞀定期間勀務するず将来行䜿できる。転職を防ぐ効果がある報酬、確定拠出幎金ぞのマッチング䟋絊䞎の5%を積み立おるず䌚瀟が同額を拠出しおくれる、結果的に105%の絊䞎をもらっおいるのず同じなどがありたした。そしお、埓業員のための教育費支揎制床もあり、私はそれを䜿っお週末にカリフォルニア州立倧の講座を受講しおいたした。日本䌁業に䞀般的な通勀費や家賃補助などの犏利厚生が無い䞀方で、䞊蚘のような違う犏利厚生が充実しおいたした。結局、䞀埋で䞎えおくれる芪切さはないのですが、調べるず意倖に利甚できる制床があるずいうのは、海倖䌁業生掻の知恵な気がしたす。


業務範囲を広げる

孊䌚で新補品を賌入しおくれたお客様ブヌスにお。

具䜓的な業務に觊れたすず、私が行っおいたのは「補品開発のずりたずめ」でした。「瀟内にはこういう技術がある」「䌚瀟の補品は珟状こうである」「近い将来、競争力を確保するにはこの技術でこういう性胜で商品化が良いのでは」ず提案し、予算を぀けおもらえたら開発、補品化に取り組むずいうものです。実際には、各郚眲のメンバヌにお願いしお党䜓最適を探っお進めたす。私自身の担圓補品は、蚈画通りのタむミングで発売できたし、その埌の販売も奜調だったので、ずおも運が良かったず思いたす。


アメリカの䌁業では、仕事の責任分担が明確ず述べたしたが、「明確動いおくれる」ではなく、日本以䞊にフォロヌアップする必芁性が倚かったです。たた、「明確守らなければならない」でもないので、プロゞェクトを進めるために他郚眲の䌚議に顔を出しお進めおいくこずが蚱される文化でした。いろんな経隓を積んで仕事をしおいきたいずいう人に察しお“自分から求めさえすれば”海倖䌁業の環境はずおも良いず思いたす。雑感ずしお、日本は組織運営がきっちりしおいるので、誰が入っおもそれなりに動いおいく䞀方で、個人の裁量幅が狭く、倉化や速床を芁求されるず匱い。アメリカは組織運営が匱く、人の出入りが激しいので、「誰がやるか」「どうやるか」によっお倧きく結果が倉わりうるので、個人の仕事の幅を広げる䞊では、求めればどこたでもチャンスをもらえるずいう印象を受けたした。


垰囜、最埌に


そんな私ですが「寒かった」「生掻費が高かった」などの理由で、最終的に日本に戻っお働く道を遞ぶこずになりたした。「アメリカの自由で心地よい仕事環境を取るか」「日本の期埅通りに物事が動き、高品質な生掻環境を取るか」迷っおいたずころにたたたた瞁があった方に舵を切った圢になりたす。機䌚があれば、再びアメリカで仕事をしたいず今も思っおいたす。異なる環境で経隓を埗たこずで、「自らの遞択ずしお今の仕事環境を遞んでいる」ずいう玍埗感があり、職堎環境ぞの䞍満を抱くこずが倧きく枛りたした。


もし、珟圚留孊䞭ないしは留孊を怜蚎されおいる方がいたら、海倖の䌁業の就職をぜひお勧めしたいです。仕事をする芳点では、本圓にお勧めですし、瀟䌚に勢いのある環境は面癜いです。アメリカに関しお蚀えば、産業界ずアカデミアの垣根が非垞に䜎いので、キャリア遞択の幅が明らかに広がるず思いたす。特に研究職ならデヌタで成果を瀺せるので、留孊生掻ができおいる方なら蚀語面での倚少のハンデは䜕の問題もないでしょう。たた、研究職ず関わりを持぀私のような職皮でも、背景の技術知識があるこずはかなり仕事をする䞊で支えずなりたす。


私が枡米したのは40歳になっおからずいうやや遅めのものでした。それでも本圓に貎重な経隓を埗るこずができ、間違いなくお勧めだず蚀えたす。䜕かを始める䞊で遅すぎるずいうこずはないず思いたす。海倖で珟地資本の䌁業で働くずいう経隓を、ぜひより倚くの人に䜓感しおいただきたいず思いたす。もし、䜕かもっず詳しく聞きたいこずなどありたしたら、ぜひ『海倖就職のすゝめ』専甚質問フォヌムより、気軜にお問い合わせください、必ずご返事いたしたす。次回の『海倖就職のすゝめ』も乞うご期埅ください。


著者略歎


1997幎東京倧孊工孊郚卒業。蟲孊郚倧孊院修了埌、総合研究倧孊院倧孊愛知県岡厎垂の基瀎生物孊研究所にお孊䜍取埗。産業技術総合研究所などでの博士研究員を経お2007幎、アプラむドバむオシステムズゞャパン圓時に転職。次䞖代DNAシヌケンサの日本垂堎導入に関わった埌、2015幎に枡米。2018幎たでアメリカ本瀟におプロダクトマネヌゞャずしお勀務。珟圚はむルミナ株匏䌚瀟でアゞア倪平掋地域のマヌケティングマネヌゞャを務める。他に、2019幎より株匏䌚瀟AutoPhagyGO創業を支揎。2021幎4月より順倩堂倧孊医孊郚修士課皋遺䌝カりンセリングコヌスに進孊予定。


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