留学は人生への投資? 〜シカゴで見つけた6つの適応力〜
執筆者:
久保田 智哉(シカゴ大学 生化学・分子生物学)
留学先:
シカゴ大学 生化学・分子生物学でポスドクをしております久保田智哉と申します。この度、知人にご紹介いただいたご縁で、全世界日本人研究者ネットワークと実験医学(羊土社)との共同企画『留学のすゝめ!』の留学体験記コンテンツへ寄稿させていただく機会をいただきました。一個人の主観的経験談にすぎませんが、何かの足しになればと思い、寄稿させていただきます。 社会的適応編 1.アメリカでの契約;銀行や公共料金の支払い領収書の意外な重要性 ご家族で渡米される方にとって、配偶者の方の在米中のステータスというのは、大事なものです。特にJ1 Visaの研究者で渡米すると配偶者の方はJ2のことが多いと思いますが、このJ2でのステータスというのは意外と頼りないものです。全てはソーシャルセキュリティーナンバー(SSN)が取得できないことに起因するのですが、その影響は大変大きい。例えば、シカゴ市だけなのかもしれませんが、J2 holderが運転免許証を取ろうとすると、「実際にアメリカ国内に居住している証明」として「J2 holder宛の郵便物や契約書の提示」を求められます。しかもダイレクトメールやOn-lineの領収書はダメで、多くの場合は公共料金の請求書や銀行口座の通知書類など、J2 holder個人宛のものでないとダメだと言われます。なので、住居の契約、銀行アカウントの開設などの際には、必ず夫婦連名で契約されることをオススメします。それらは、配偶者の方の社会的立場を証明するものになりえます。 2.予想外の出費 家族で渡米される場合、ポスドクの給料は、アメリカ生活の必要最低限レベルです。場合によっては足が出ることもあると思います。旅行などのレジャーは、持ち出しの可能性のほうが高いでしょう。それ以外の不可避な変動リスクは、「車」「健康」「住居」の3つです。車が故障した場合、病気・怪我で通院や入院が必要になった場合などはいくら保険があっても日本よりも割高です。あとは住居ですが、賃貸の場合、通常賃貸料は年々上がっていきます。この上げ幅は、通常概ね数%ですが、貸し手に委ねられているので、言い値である場合もあります。私の場合はアパートのオーナーが変わった際に月$150のアップを言われました。部屋によっては$400アップと言われた方もいたようです。 3.アメリカでの家族生活 私は、夫婦2人で渡米したのですが、在米中に息子ができました。2人だった時は、ポスドクの生活でやっていける程度に、旅行に行ったり、「安くて美味しい」店を探したり、スポーツ・音楽鑑賞に行ったりと、楽しみました。贅沢は出来ないですが、それなりの楽しみ方はあるものです。息子が生まれると、生活スタイルは一変しました。日本での子育ての経験がないので比較はできませんが、ここまでのアメリカでの息子との生活には大変満足しています。夫婦2人だった時のような遠出はしにくくなりますが、近場でも楽しみを見つけるようになりました。社会的には「子供に対して非常に優しい」という印象で、人種別け隔てなく、皆がフレンドリーに息子に話しかけてくれますし、レストランでも子供に対しての気遣いは感じます。公園の数・広さには、不自由はありません。動物園や博物館の中の子供用スペースも相当に広く、安全性にも気を使っている作りなので、安心して遊ばせています。Bossも含め、ラボの連中もパーティーの間中、可愛がってくれますし、「子供を連れて行っていいか」と迷う状況は今まで一度も経験していません。現時点での心配事は、食べ物と医療でしょうか。やはりこの辺りは「日本だったら簡単に手に入るのに」と思うことはあります。ただ、総じて「乳児・幼児の子供は育てやすい」環境なのかな、と感じています。 ラボ適応編 1.民族性の反映;それぞれの長所短所 私の所属しているラボのBossは南米人です。その影響でしょうか、ラボメンバーの構成員もかなり国際色豊かです。私の在籍期間の構成員は、チリ、ペルー、アメリカ、フランス、メキシコで、そこに私(日本人)が入り、後にスイス人、ブラジル人、中国人が入ってきました。その他、Visiting scholarとして、オーストリア、ベルギー、オーストラリアなどから研究をしにくる人たちがいました。彼らの仕事の仕方やdiscussionの時の姿勢は様々です。例えば、南米系はエキサイトしてくると、かなり攻撃口調に感じます。彼らは「自分の意見を自分で言い聞かせながら説明しようとしているだけだ」といいますが、もう少し冷静にdiscussionする方法もあるだろうに、などと私などは感じてしまいます。アメリカ人やヨーロッパ系は、こちらの言い分も肯定した上で、自分たちの意見もしっかり言う、という感じでdiscussionの仕方が上手だな、と感じることが多いです。また、ご想像の通り、というと南米系の方から怒られそうですが、南米系は時間を守るのが上手ではありません。彼らの5分は最大30分になりえます。しかし、彼らが一度集中をしだすとそれはものすごい集中力で仕事を進めます。こういう長所短所を見られたのは、非常に良い経験でした。今、所属しているラボは、そういった長所短所をお互いにカバーする形で有機的に稼働しているように感じます。 2.ボスとの会話;英語は本当にdirectな表現の言語?? アメリカ人の学生がBossと話している状況を見ると結構びっくりすることがあります。彼は、うちのラボの中で最もGentlemanですが、あるとき、Bossとの会話で足組みをしてdiscussionをしていました。その姿勢は、日本人としては横柄にも映りました。が、その会話の中身は、Bossの強いsuggestionに一部同意しながらも自分の主張も少し入れるといった印象でした。それくらい彼の英語は婉曲的でした。彼に聞いてみると、directに言いたいことは別にあっても、それはBossには言えないから婉曲的に言っているのだということです。今から思えばしごく当たり前のことですが、アメリカでの上下関係での敬意の表し方として、彼らは相当考えてBossと話しているようでした。私もBossと話すときには、もちろん考えてしゃべっていますが、この一件以来、自分の英語がどのように聞こえているか、かなり気を使うようになりました。というのも、下手くそな英語は状況によっては直接的すぎて失礼になると思います。「話す姿勢は丁寧、でもすごく直接的な英語でものをいう」日本人と、「話す姿勢はすごくカジュアル、でも気を使った婉曲的な英語でものをいう」アメリカ人、英語を第二外国語とするうちのBossには後者のほうがGentlemanだと感じていたと思います。 3.アメリカでのポスドク;Fellowshipをトライする過程で見えるもの 私の渡米の経緯は、「幸運」でした。現在のBossがあるprojectをする人間を探していて、ちょうどタイミングよくletterを送った私が運良く雇われることになりました。Bossも早めの合流とprojectの開始を希望していたので、当面の給料はBossがサポートをしてくれるという大変ラッキーな形でした。ただ、渡米後にFellowshipを取れるよう努力する、というのも雇用条件でした。運良く、ポスドクフェローシップがとれたので、現在まで在米できていますが、取れていなかったら短期間で離米することになっていたと思います。アメリカでのFellowshipを取るにあたっては、自分のCV作成やResearch proposalのためのPreliminary dataの必要量もさることながら、それ以外にCollege(大学)、Graduate School(大学院)での全教科平均のGrade Point Average(GPA)を提出したり、自分のキャリアゴールについて論述したり、また、Bossの方でもCVはもとより、今まで指導した人たちがどのようなPositionについているかまで書類を用意してもらわねばなりませんでした。無論、日本でも大口のGrantであればこういった審査もあるのでしょうが、経験のなかった私としては、貴重な経験でした。Fellowship採択のreviewにも私自身の評価以外にBossの評価もコメントされていて、Bossまで評価対象になっていることに少々驚いたのが事実です。論文を書くのとは違う労力ですが、良い経験でした。 以上、長くなりましたが、個人的経験談として書かせていただきました。今のBossからは研究以外にも色々と教わったような気がします。彼は贅沢もしませんし、研究が第一、バッハと映画とサッカーをこよなく愛する人です。「あんな風に自分の好きなことに邁進した人生を送れたら幸せだろうな」と感じさせられました。このことも含めて、私の場合は、ある程度の期間、アメリカでの生活にどっぷり浸かる気になってはじめて見えたことがありました。広い意味での「人生への投資」として、海外留学は人生に「幅」を生んでくれるものではないかな、と思います。
編集者より
執筆者紹介:
編集後記:
シカゴでの生活から,ラボでの会話の表現まで,とても実用的な内容を書いていただき,とても参考になります.特に,英語の婉曲表現の話は大事ですね.私もアメリカではもっとダイレクトにやりあうのを想像していたら,かなりGentleなイメージを受けました.英語が不得手な日本人は特に気を付けなければならないかもしれませんね.
編集者:
本間 耕平
留学は人生への投資? 〜シカゴで見つけた6つの適応力〜
執筆者:
久保田 智哉(シカゴ大学 生化学・分子生物学)
留学先:
シカゴ大学 生化学・分子生物学でポスドクをしております久保田智哉と申します。この度、知人にご紹介いただいたご縁で、全世界日本人研究者ネットワークと実験医学(羊土社)との共同企画『留学のすゝめ!』の留学体験記コンテンツへ寄稿させていただく機会をいただきました。一個人の主観的経験談にすぎませんが、何かの足しになればと思い、寄稿させていただきます。 社会的適応編 1.アメリカでの契約;銀行や公共料金の支払い領収書の意外な重要性 ご家族で渡米される方にとって、配偶者の方の在米中のステータスというのは、大事なものです。特にJ1 Visaの研究者で渡米すると配偶者の方はJ2のことが多いと思いますが、このJ2でのステータスというのは意外と頼りないものです。全てはソーシャルセキュリティーナンバー(SSN)が取得できないことに起因するのですが、その影響は大変大きい。例えば、シカゴ市だけなのかもしれませんが、J2 holderが運転免許証を取ろうとすると、「実際にアメリカ国内に居住している証明」として「J2 holder宛の郵便物や契約書の提示」を求められます。しかもダイレクトメールやOn-lineの領収書はダメで、多くの場合は公共料金の請求書や銀行口座の通知書類など、J2 holder個人宛のものでないとダメだと言われます。なので、住居の契約、銀行アカウントの開設などの際には、必ず夫婦連名で契約されることをオススメします。それらは、配偶者の方の社会的立場を証明するものになりえます。 2.予想外の出費 家族で渡米される場合、ポスドクの給料は、アメリカ生活の必要最低限レベルです。場合によっては足が出ることもあると思います。旅行などのレジャーは、持ち出しの可能性のほうが高いでしょう。それ以外の不可避な変動リスクは、「車」「健康」「住居」の3つです。車が故障した場合、病気・怪我で通院や入院が必要になった場合などはいくら保険があっても日本よりも割高です。あとは住居ですが、賃貸の場合、通常賃貸料は年々上がっていきます。この上げ幅は、通常概ね数%ですが、貸し手に委ねられているので、言い値である場合もあります。私の場合はアパートのオーナーが変わった際に月$150のアップを言われました。部屋によっては$400アップと言われた方もいたようです。 3.アメリカでの家族生活 私は、夫婦2人で渡米したのですが、在米中に息子ができました。2人だった時は、ポスドクの生活でやっていける程度に、旅行に行ったり、「安くて美味しい」店を探したり、スポーツ・音楽鑑賞に行ったりと、楽しみました。贅沢は出来ないですが、それなりの楽しみ方はあるものです。息子が生まれると、生活スタイルは一変しました。日本での子育ての経験がないので比較はできませんが、ここまでのアメリカでの息子との生活には大変満足しています。夫婦2人だった時のような遠出はしにくくなりますが、近場でも楽しみを見つけるようになりました。社会的には「子供に対して非常に優しい」という印象で、人種別け隔てなく、皆がフレンドリーに息子に話しかけてくれますし、レストランでも子供に対しての気遣いは感じます。公園の数・広さには、不自由はありません。動物園や博物館の中の子供用スペースも相当に広く、安全性にも気を使っている作りなので、安心して遊ばせています。Bossも含め、ラボの連中もパーティーの間中、可愛がってくれますし、「子供を連れて行っていいか」と迷う状況は今まで一度も経験していません。現時点での心配事は、食べ物と医療でしょうか。やはりこの辺りは「日本だったら簡単に手に入るのに」と思うことはあります。ただ、総じて「乳児・幼児の子供は育てやすい」環境なのかな、と感じています。 ラボ適応編 1.民族性の反映;それぞれの長所短所 私の所属しているラボのBossは南米人です。その影響でしょうか、ラボメンバーの構成員もかなり国際色豊かです。私の在籍期間の構成員は、チリ、ペルー、アメリカ、フランス、メキシコで、そこに私(日本人)が入り、後にスイス人、ブラジル人、中国人が入ってきました。その他、Visiting scholarとして、オーストリア、ベルギー、オーストラリアなどから研究をしにくる人たちがいました。彼らの仕事の仕方やdiscussionの時の姿勢は様々です。例えば、南米系はエキサイトしてくると、かなり攻撃口調に感じます。彼らは「自分の意見を自分で言い聞かせながら説明しようとしているだけだ」といいますが、もう少し冷静にdiscussionする方法もあるだろうに、などと私などは感じてしまいます。アメリカ人やヨーロッパ系は、こちらの言い分も肯定した上で、自分たちの意見もしっかり言う、という感じでdiscussionの仕方が上手だな、と感じることが多いです。また、ご想像の通り、というと南米系の方から怒られそうですが、南米系は時間を守るのが上手ではありません。彼らの5分は最大30分になりえます。しかし、彼らが一度集中をしだすとそれはものすごい集中力で仕事を進めます。こういう長所短所を見られたのは、非常に良い経験でした。今、所属しているラボは、そういった長所短所をお互いにカバーする形で有機的に稼働しているように感じます。 2.ボスとの会話;英語は本当にdirectな表現の言語?? アメリカ人の学生がBossと話している状況を見ると結構びっくりすることがあります。彼は、うちのラボの中で最もGentlemanですが、あるとき、Bossとの会話で足組みをしてdiscussionをしていました。その姿勢は、日本人としては横柄にも映りました。が、その会話の中身は、Bossの強いsuggestionに一部同意しながらも自分の主張も少し入れるといった印象でした。それくらい彼の英語は婉曲的でした。彼に聞いてみると、directに言いたいことは別にあっても、それはBossには言えないから婉曲的に言っているのだということです。今から思えばしごく当たり前のことですが、アメリカでの上下関係での敬意の表し方として、彼らは相当考えてBossと話しているようでした。私もBossと話すときには、もちろん考えてしゃべっていますが、この一件以来、自分の英語がどのように聞こえているか、かなり気を使うようになりました。というのも、下手くそな英語は状況によっては直接的すぎて失礼になると思います。「話す姿勢は丁寧、でもすごく直接的な英語でものをいう」日本人と、「話す姿勢はすごくカジュアル、でも気を使った婉曲的な英語でものをいう」アメリカ人、英語を第二外国語とするうちのBossには後者のほうがGentlemanだと感じていたと思います。 3.アメリカでのポスドク;Fellowshipをトライする過程で見えるもの 私の渡米の経緯は、「幸運」でした。現在のBossがあるprojectをする人間を探していて、ちょうどタイミングよくletterを送った私が運良く雇われることになりました。Bossも早めの合流とprojectの開始を希望していたので、当面の給料はBossがサポートをしてくれるという大変ラッキーな形でした。ただ、渡米後にFellowshipを取れるよう努力する、というのも雇用条件でした。運良く、ポスドクフェローシップがとれたので、現在まで在米できていますが、取れていなかったら短期間で離米することになっていたと思います。アメリカでのFellowshipを取るにあたっては、自分のCV作成やResearch proposalのためのPreliminary dataの必要量もさることながら、それ以外にCollege(大学)、Graduate School(大学院)での全教科平均のGrade Point Average(GPA)を提出したり、自分のキャリアゴールについて論述したり、また、Bossの方でもCVはもとより、今まで指導した人たちがどのようなPositionについているかまで書類を用意してもらわねばなりませんでした。無論、日本でも大口のGrantであればこういった審査もあるのでしょうが、経験のなかった私としては、貴重な経験でした。Fellowship採択のreviewにも私自身の評価以外にBossの評価もコメントされていて、Bossまで評価対象になっていることに少々驚いたのが事実です。論文を書くのとは違う労力ですが、良い経験でした。 以上、長くなりましたが、個人的経験談として書かせていただきました。今のBossからは研究以外にも色々と教わったような気がします。彼は贅沢もしませんし、研究が第一、バッハと映画とサッカーをこよなく愛する人です。「あんな風に自分の好きなことに邁進した人生を送れたら幸せだろうな」と感じさせられました。このことも含めて、私の場合は、ある程度の期間、アメリカでの生活にどっぷり浸かる気になってはじめて見えたことがありました。広い意味での「人生への投資」として、海外留学は人生に「幅」を生んでくれるものではないかな、と思います。
編集者より
執筆者紹介:
編集後記:
シカゴでの生活から,ラボでの会話の表現まで,とても実用的な内容を書いていただき,とても参考になります.特に,英語の婉曲表現の話は大事ですね.私もアメリカではもっとダイレクトにやりあうのを想像していたら,かなりGentleなイメージを受けました.英語が不得手な日本人は特に気を付けなければならないかもしれませんね.
編集者:
本間 耕平