君の頑張りは僕らの励み
執筆者:
五十嵐 和彦(東北大学大学院医学系研究科生物化学分野)
留学先:
米国シカゴ大学
学者を目指す若者が留学後のキャリアを築いていく上でのアドバイスは何か? 私の留学(1991〜1993、米国シカゴ大学博士研究員)は20年以上前のことなので、帰国後の大学事情も現在とはだいぶ違っています。簡単に答えることはできない問題ですが、私の経験と見聞きしたことのなかから、いくつかポイントらしきものを、研究テーマの設定や人脈づくり、そして自省法を中心に紹介したいと思います。学問と誠実に向き合うことを前提に。
独立へ向けて研究テーマを育てる
海外留学を経て国内で直ぐに独立できるのはまだ少数で、多くの皆さんは助教からアカデミックキャリアを始めると思われます。参加した研究室のテーマの発展に貢献しながらどうやって自分のテーマを確立していくのか、普遍的な悩みと言えます。私の場合も、帰国して東北大学の助手(林典夫教授、当時)になって研究を続ける中で最も悩み努力したのは、自分の研究テーマをどう作っていくのか、ということでした。私自身は大学院では石浜明先生の下で大腸菌RNAポリメラーゼ、留学ではBernard Roizman先生の指導の下にヘルペスウイルス転写制御に取り組み、2つのラボでシステムの全体像を目指した研究(今風に表現すれば制御ネットワーク)を学び、それを自分の方向性と定め東北大学では赤血球関係の遺伝子発現に取り組むことになりました。学部生時代から林先生の赤芽球ヘム合成系酵素の研究をお手伝いし、細胞特異的な遺伝子発現には大きな関心を持っていましたので、講師だった山本雅之博士の指導の下にグロビンエンハンサーの作用因子に関する研究を始め、それなりの成果を出して数年、ふと立ち止まって考えると、自分のテーマは何か、よくわからない状況でした。
振り返ると大きな転機だったと思われるのは、当時大学院生と共に発見して解析していたグロビンエンハンサー結合転写因子のリコンビナントタンパク質が茶色い、という小さな知見でした。院生と不思議に思いながら、論文にもできないながらも少しずつ実験を続ける中で、これがヘムによる転写因子の制御という、独自性の高い研究テーマに育ってきました。このテーマは現在でも私たちの研究の柱です。他人と同じような研究にどうやって一工夫を入れるのか、組み合わせの良いスパイスをどうやって見つけるのか、そういったことを常に考えながら、様々なアイデアを検討して有望な可能性については地道に追求することが大事な点と思っています。流行に流されることなく自分らのデータや経験から生まれるアイデアを最大限に活用する、ということでしょうか。
ただし、目先のデータに縛られすぎると研究の発展性が損なわれる場合もあります。成果の80%は費やす努力の20%で得られる、ということは様々な所で言われることですが、自分のデータや経験だけで研究を進めると、多大な努力にも関わらず限定的な進展しか得られない袋小路、ということはしばしば起きます。私が対象としている遺伝子発現の研究は、この点で1つ利点があります。1つの因子を取りあげて研究すると、その因子が予想外な機能を有していることがしばしば明らかになります。このような時は、異分野に挑戦する機会かもしれません。その際、単なる横滑りにならないように気をつけながら、新しい機能を掘り下げることで、他所の領域で重要な発見を比較的短期間に行うことができ、それがさらに新しい視点となり、当初目的としていた生命現象の理解が格段に進むことがあります。自分の周辺の領域にも関心を持ち、自分の蛸壺から時々顔を出して研究を他の領域につなげる努力も、折々に大事になると感じています。
人脈を広げる
研究会や学会などを通じて、仲間を増やすことも重要です。ラボの外に仲間を持つことで、他所の研究に関する雑談や懇談の中から新しいアイデアが生まれ、共同研究が始まり、さらには研究費申請などの分担協力なども自然と始まるでしょう。君の頑張りは僕らの励み、何事にも同好の士はあらまほしきものなれ、です。このような活動を通じてラボの外にメンターを見つけ、慕うことができれば理想的で、人生の折々に相談に乗ってもらえることでしょう。そのためには、研究会などの質疑で質問には丁寧に答える、適当にはぐらかさない、併せて、他の人の発表に対してその研究をさらに発展させるという観点から質問する、などなど、誠実に接して人のネットワークを広げて行くことが大事でしょうし、これ自体が学問の醍醐味です。
自分を省みる
米国でジュニアファカルティーに採用されると、メンターとして複数のシニアがつき、1年に数回面談をして、「学術」、「教育」、「サービス(グラント審査など)」の観点から様々なアドバイスやフィードバックを受けることになります。この時の資料として、ジュニアはCVと上の3項目などに関する自己評価をエッセイにまとめ提出する所も多いようです。
CVには、論文リストだけではなく、講義や実習の担当状況、論文審査や学会活動などの情報、各種委員会活動、などをまとめるとのことです。日本でも若手研究者に対してメンターをつける大学が増えていますが、体系だった指導はまだまだこれからと思われます。ですが、CVやエッセイのような資料を自己評価のために作成し、これを使って随時自分の活動状況を振り返ることはキャリア形成に役にたつと思われます。米国で教授をしている私の友人(日本人)は、Assistant Professorの時から情報満載の自分用CVを作ってきたそうです。私もこのアイデアを研究室に取り入れようと考えています。諭吉翁の言うところの「知徳事業の棚卸し」、です。
諭吉翁に学ぶ
福沢諭吉は「学問のすゝめ」で、今日の学者にも重要と思われる様々な助言を遺しています。例えば、(研究)計画については、「過ぐる十年の間には何を損し何を益したるや、現今は何らの商売をなしてその繁盛の有様は如何なるや、今は何品を仕入れて何れの時何れの処に売り捌く積もりなるや、来年も同様の商売にて慥かなる見込みあるべきや(省略)、一身の有様を明らかにして後日の方向を立つるものは知徳事業の棚卸しなり」と述べています。
また、学者の交流について、「顔色容貌の活発愉快なるは、人間交際において最も大切なるものなり」「恐れ憚るところなく、心事を丸出しにして颯々と応接すべし。故に交わりを広くするの要は多芸多能一色に偏せず、様々の方向に由って人に接するにあり。」とも述べています。
今も昔も、学者の悩みとその処方は同様なのかも知れません。
これから留学する皆さんへ
留学は、学位を取得した研究室と新しい研究室の特徴を組み合わせて自分の流儀を確立していく絶好の機会です。独創性はかけ算であると喝破した方がいましたが、このかけ算の要素を増やすこともできます。さらに、国際的なネットワークへ参入していくきっかけにもなります。医学が大きな進歩をとげつつある今の時代に参加して、ご活躍下さい。
2015/11/19
編集者より
執筆者紹介:
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編集後記:
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編集者:
坂本 直也