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留学後の独立を目指して〜アメリカでの独立はハイリスク・ハイリターン

執筆者:

小林 弘一(テキサスA&M大学医学部教授)

留学先:

イエール大学医学部(アメリカ)

日本人の若者の留学離れが顕著になって久しくなりました。キーストンやその他の国際学会で見る日本人学生はめっきり減り、若いアジア人学生がいたかと思うと、多くはアメリカの大学院生か中国の学生です。私の専門は免疫学というものですが、ハーバード大学の免疫学プログラムという、その分野で全米最高の大学院プログラムに私が関わっていた期間、日本から学生が応募してくることはありませんでした。そんな中で、すでに海外にポスドクとして留学しようとしている 読者の方々は、その高い志だけをもって勝ち組といえるのではないでしょうか。


海外でポスドクを終えた後の選択肢は少ないようですが、実際その通りです。自分の専門にとらわれなければ選択の余地は広いのですが、自分が経験から学んだものを生かして仕事をしようと思うと場所は限られてしまいます。しかし、血のにじむような努力をして勝ち得た海外留学とその成果、そして自分の専門を生かして更なる研究を発展させていきたいというのが人情でしょうし、日本や留学先の国が投資してくれたものに対するリターンという意味でも理にかなっているでしょう。


ポスドク終了後の就職先は大きくわけて、次の3つです。1)日本へ帰国して就職、2)現在留学中の国にて就職、3)その他の国に就職。3)のケースはアメリカからヨーロッパ、逆にヨーロッパからアメリカ等があります。1)、2)に比べると難易度は上がりますが、就職先の国のルールに精通していれば可能性があります。一昔前はシンガポールや中東の国といった、サイエンス復興に資金を大量に投入している国のケースもありました。筆者はアメリカで留学しそのままアメリカで独立したケースなので、それを主に述べてみたいと思います。


日本へ帰国して就職するケース
 

多くの場合がこのケースでしょう。元の研究室に帰ることが決まっている、いわゆるひもつき留学の場合、将来のことをそれほど心配することなく留学でき、そうでない人達からみるとうらやましい限りでしょう。元の研究室、大学としても気心知れた研究者がさらに経験を積んで帰ってくるので、安全な人事といえます。しかし科学者のトレーニング、各大学の活性化というと点からみると、元の大学に戻るというのは理想的ではありません。アメリカではまず考えられません。日本だからこそ成り立つといえるでしょう。
日本に帰国する事を念頭にいれているならば、コネは重要です。いい意味でも悪い意味でも、日本はコネ社会です。就職に限らず、いったいどういう人の結びつきが将来役に立つか分かりません。留学中は勿論ですが、留学前から人との結びつきを大事にしましょう。有名な大先生と知り合いになるのも大切かもしれませんが、後輩や海外に後から留学してくる人達も積極的に面倒をみましょう。2〜3年くらいすると、うちの研究室に帰ってこないか、といった誘いがくるケースが多いと思います。逆に4〜6年も経ったシニアポスドクにはその業績にあうポジションがなかなかないこともあり、実力で就職先を探すことになることが多いようです。


アメリカのアカデミアで独立するケース
 

アメリカで独立する際のメリットはいろいろあります。なんといっても1ポスドクから一国一城の研究者=PIとなれるのは大きな魅力です。誰を採用しようが、何を研究しようが、どのグラントにアプライしようが、すべて自分の思うままです。大学はスタートアップパッケージの予算を組んでいて、300,000〜1,000,000ドルくらいがつくでしょう。多くの場合はどう使おうが、制約がつきません。いったんアシスタントプロフェサーとなってしまえば、一人前に他のフルプロフェッサーと同じ様に扱われます。


一方でデメリットも多くあります。一番大きいのはポジションが安定していないことでしょう。アメリカの多くの他の職業と同様、ポジションをとったらそれで安泰ということはなく、維持することが容易ではありません。日本とは反対ですね。アメリカではノーベル賞級の人でも、タイトルに見合った仕事をしていないと、特にグラントをとれていないと、ポジションを維持できないことがあります。日本では地位が上がれば上がるほど(大御所になればなるほど)、競争から解放される傾向がありますが、アメリカではスタートしたばかりの新米教授と大ベテランの教授が同じ土俵で競争させられます。若い研究者にとってはいいことですが、生活への不安をほぼ一生かかえながら研究していくのは大変なことです。
 

アシスタントプロフェッサーの場合、3〜5年くらいで(大学によって異なり、7年という場合もあります)アソーシエイトプロフェッサーへの昇進が審査されます。審査に通ると、多くの大学でテニュアが与えられます。この場合、生活はかなり安定するといっていいでしょう。一方フルプロフェッサーになるまでテニュアが与えられない大学も(イエール大学等のアイビーリーグに多い)あります。またフルプロフェッサーになっても、自分の給料の一部をグラントでカバーしている場合(多くの医学部、私立大学のケース)は、グラントがとれなくかった時点で大学を辞めないといけない場合もあります。この場合はテニュアがあるといっても、有名無実です。いずれにしろ、研究者としてアカデミアで生きている以上、一生グラントをとる競争に勝ち続ける必要があり、そのプレッシャーたるや凄まじいものがあります。


アメリカで独立できるかどうかは、自分の業績でだいたい可能性が判断できます。筆者はハーバード大医学部附属病院であるダナーファーバー癌研究所と全米でもマンモス大学である州立のテキサスA&M大学という、まったく性格の異なる2つの大学で新人ファカルティのリクルートに関与しましたが、採用基準はだいたいどこも変わらないと思っていいでしょう。どこの大学でも50〜200くらいの応募が1つ、2つのポジションに殺到します。最初の書類選考で5〜10くらいまでしぼられます。発表論文を見るだけで、10〜20くらいまで大雑把にしぼることができます。その分野で複数の論文を筆頭筆者として発表していること(極端な例ですが、論文がNature1本のみというのは採用する側からすると不安です)、高インパクトファクターの雑誌、できればNature、Science、Cell等のトップジャーナルないしはその姉妹誌等に筆頭筆者として論文がある等が重要になってきます。また採用しようとしているデパートメントに研究内容があっているかどうか、現在いるファカルティーと共同研究が組めそうかどうか、これから伸ばしたい分野なのか等も重要です。これらは内部情報になるので、候補者にはなかなか分かりません。またグラントを取る能力があるのかも重視されます。ポスドクの場合はグラントを持っていることは期待されませんが、フェローシップは持っていた方が無難と言えます。さらに有力な候補はたいていNIHのK01、K99等の独立する過程をサポートするための フェローシップをもっています。


無事に書類選考が通ると、面接です。3〜10人くらいが面接によばれ、セミナー、主立ったファカルティとの一対一の面談、ファカルティとの夕食等、1日から2日かけて行われます。チョークトークと言って、セミナーとは別に将来の研究計画を話させる場合もあります。残念ながら、私が関わったリクルートでは日本人候補が面接まで残ったことがなかったのですが、セミナーは非常に重要です。日本は優秀な人材に恵まれ、医学生物学分野で素晴らしい研究成果を何十年にも渡って出し続けているにもかかわらず、何故かセミナーを英語で上手く出来る日本人はまれです。発音にアクセントが有る無しの問題だけではなく、プレゼンテーションの構成、インパクト、コミュニケーション等でも劣りがちです。アメリカ人候補でも上手い人もいれば下手な人も大勢います。素晴らしい研究履歴をもっている候補が、セミナーの不出来であっさりとリストからはずされるのを見たことが何回とあります。練習すれば、誰でもそれなりに上達することができるので、スライドの構成は練りに練り、トークの練習は人に見てもらった上で、しつこく繰り返しましょう。
 

アメリカでのポジションを獲得する方法を詳しく書くとそれだけで1冊の本になりそうですのでこのあたりで終わりにします。大学院を出て間もない若手の研究者が大活躍する事も珍しくなく、アメリカンドリームは未だ健在です。アメリカでの独立はハイリスク、ハイリターンですが、苦労もある分、やりがいもあると言えるでしょう。皆さんの御活躍を期待しています。

2015/11/19

​編集者より

​執筆者紹介:

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編集後記:

非常に共感する体験記とアドバイスです。米国での独立の良い点と、ダウンサイドを実例をあげながら伝えていただき、読んでいて何度も頷いてしまいました。米国での独立は、知らないと空恐ろしいものに見えますが、どの大学でもプロセスと主な選考基準は同じです。ですので、知ることで備えることができます。こうした独立への体験談が集まると、きっと全体像が見えてくると思います。貴重な体験談とアドバイス、有難うございます!

編集者:

Atsuo Sasaki

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