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国境なき医師団の現場から〜キリバス共和国〜

国境なき医師団 産婦人科医

森田 恵子

世界を駆ける森田先生の次の舞台は、太平洋ど真ん中のキリバスです!ここで取り組まれたプラネタリーヘルスとは?気候変動や政治情勢で影響を受けるのは、いつも「立場の弱い人」と、遠く離れた小さな島国に想いを馳せて…是非、ご一読下さいませ(UJA編集部 土肥)
写真1:キリバスの首都タラワ島 ©MSF

みなさんこんにちは。国境なき医師団産婦人科医の森田恵子です。今回連載2回目ということで(前回は国境なき医師団参加に至るまで〜初回派遣先の南スーダンについて紹介いたしました)、私の国境なき医師団の2回目の派遣先である、キリバス共和国での活動についてお話ししたいと思います。



キリバス共和国とは


みなさんはキリバス共和国という国をご存じですか?お恥ずかしながら私は、国境なき医師団から派遣依頼が来るまでキリバス共和国の名前すら知りませんでした。英語では”Republic of Kiribati”、現地では”ti”を「ス」と発音するので、「キリバチ」ではなく「キリバス」と呼びます。


キリバスは太平洋の島国で、ちょうど赤道と日付変更線が交差するところにあります(日付変更線が大きく東に延びているところがありますが、そこがキリバスです)。現在、日本からはフィジーもしくはホノルルを経由して行くことができます。33の環礁からなる島国で、東西に約350万平方キロメートルに渡って点在しており、世界で最も早く日が昇る国の一つです。


写真2:きれいなキリバスの海 ©MSF

太平洋の島国というと、ハワイのような火山島を想像する方もいらっしゃると思いますが、キリバスはほとんどの島が珊瑚礁の一部が海の上に出ている細長い島が多く、私が滞在していた首都のタラワ島は最高地点で海抜が3メートルでした(写真1, 写真2)。


人口は約12万人(首都のあるタラワ島に約、5万人が在住)、98%がミクロネシア系、公用語は英語とキリバス語、ほとんどの人が敬虔なキリスト教徒の国です。人々はコプラの生産や漁業を行っていますが、国家経済は海外からの支援や入漁料収入に大きく依存しています。

写真3:旧日本軍の砲台跡 ©Hirotsugu Ikeda

歴史的にはイギリスの保護領でしたが、第二次世界大戦中に日本軍が占領し、米軍との激しい闘争が繰り広げられた地でもあります。現在でも日本軍の砲台跡などをみることができます(写真3)。曾祖父が日本人という人にもお会いしました。1979年にイギリスから独立しました。

 


プラネタリーヘルス


国境なき医師団と言えば、紛争地のような危険なところで活動するイメージが強く、なぜキリバスのような一見平和そうな国で国境なき医師団が活動をしているのか疑問に思われた方もいらっしゃると思います。


写真4:浸食により倒れる木 ©Hirotsugu Ikeda

今回私が参加した活動のテーマは「プラネタリーヘルス」です。「プラネタリーヘルス」とは、人々の活動と地球環境との相互作用に注目し、人間も地球も共に健康的な調和を目指す概念です。つまり、人間の活動により地球の環境が変化し、その地球環境の変化が私たちの健康に影響を及ぼしている、私たちが健康でいるためには地球環境をより良くしていくことが不可欠であるということです。


地球温暖化で海に沈む危険が高い国としてツバルという国を聞いたことがあるかしれませんが、キリバスもツバル同様、気候変動の影響を強く受けています。(写真4

キリバスの人々の生活


写真5:キリバスの家 ©MSF

首都のあるタラワ島では、屋根と壁のある家に住んでいる人たちもいますが、少し中心部を離れると、人々は写真のような、高床式の壁のない家で生活しています(写真5)。雨期と乾期はありますが、年間を通じて気温が30度前後と大きな変化はなく、多湿であるので、きっとこのような風通しのよい家が快適なのでしょう。


小さな島であり、水の確保が大きな問題となります。雨期には雨水を貯めて生活用水、飲料水として用いますが、雨水がなくなったときには、井戸水を水源として使用します。しかし、この井戸には海水が混入していることが多く、しょっぱくて飲めないので砂糖を入れて飲む、という話を聞きました。


写真6:海で水浴びをする人々 ©MSF

多くの家には上下水道はなく、洗濯等で使用した生活用水のみならず、トイレの排水もそのまま海に流します(一部下水管はあるようですが、機能していないようでした)。海沿いを散歩していると、海辺で用を足している人と遭遇することもしばしばありました。そのため、タラワ島近くの海の大腸菌濃度が日本の安全基準の1000倍だったという報告もあるそうです。


見た目は美しいですが、その海で人々は体を洗い、泳ぎ、漁をして生活をしています(写真6)。電気はタラワ島では発電所から供給されますが(よく停電しました)、離島では自家発電がなければ電気のない昔ながらの生活を送っているようでした。


写真7:島で唯一のゴミ収集場 ©MSF

国に産業が乏しく、食料品・生活用品のほとんどを輸入に頼っています。タラワ島の商店やスーパーマーケットには、オーストラリアやニュージーランド、フィジー、中国などから運ばれてきた食料品や日用品が並んでいます。


もともとはタロイモ、パンノキ、ココナッツ、海でとれる魚介類を食べて生活をしていたようですが、輸入のお米、インスタントヌードル、缶詰等の加工品が非常に便利なので、現在多くの人の主食はお米とインスタントヌードルです。

写真8:ゴミの中で生活する人々 ©MSF

島では一部の農場を除き農業はほぼされていないため、野菜も輸入が多く、それらは非常に高価であるので、一般の人が日常的に購入することは困難です。また、輸入品にともなうプラスチックごみの処分も大きな問題となります。島にはゴミの焼却場やリサイクルのシステムはなく、ゴミは定期的に回収されますが、一箇所の土地に集められるだけです(写真7)。車や大型機器もそのまま放置され、劣化していました。 島中の至る所にゴミがあり、ゴミの中で生活しているような人もいました(写真8)。多くの野良犬、野良猫、飼育している鳥、豚とともに生活をしている様子は、とても衛生環境がいいとは言えませんでした。



写真9:妊婦健診の様子 ©MSF

気候変動と健康問題

そんなキリバスで、気候変動がどのように人々の健康に悪影響を及ぼしているのか考えてみましょう。気候変動に伴う海面上昇で居住可能な陸地の面積が減っている一方で人口は増加しています。便利さを求めて首都のタラワ島に移住する人が増え、タラワ島では狭い土地に人々が密集して生活しています。日々出るゴミ、生活用水で汚染される水源は、下痢などの感染症蔓延の原因となります。異常気象により雨水の確保が難しくなると、さらに清潔な水へのアクセスが困難となります。


便利さを求めるライフスタイル、特に食生活の変化も、人々の健康に影響を及ぼしています。伝統的な食生活から、お米、インスタントヌードル、加工食品、ソーダなどの甘い飲み物を好んで摂取するようになったことにより、キリバスを含む太平洋の島々では、肥満・糖尿病・高血圧(非感染性疾患)が大きな問題となっています。その一方で子どもの栄養失調が増えています。「島」という制約のある空間で暮らす人々にとっては、栄養バランスのよい食事を摂取することを含め、健康的な生活を送る環境を維持することが難しくなっています。



写真10:お米とインスタントヌードルスープの病院食 ©MSF

実際の活動


国境なき医師団は、キリバスで最も大きい病院の産婦人科と小児科をサポートして、よりよい医療を提供できるように活動しています。産科に関して言えば、肥満妊婦が非常に多く、妊娠糖尿病の罹患率が高いです。キリバスでは妊婦のほぼ全員が病院か近くの診療所で出産し、ほとんどが妊婦健診を受けています。そのため、妊婦健診中に妊娠糖尿病の検査をし、早めに診断・治療を行えないか、現地の医療者とともによりよい方法を模索しました(写真9)。離島の診療所で異常がみつかったときには、早めにタラワ島へ移動してきてもらい、宿泊施設に滞在しながら治療・妊娠継続を行いました。

写真11:おおらかで明るい患者さん ©MSF

診療所と病院の連携は良好で、小さな島国ならではの良さを感じました。その一方で、緊急患者が発生したときに離島からの搬送が非常に困難であるという現実にも対峙しました。また国内でできる検査・治療が限られており、治療を断念するか、多大なる費用をかけて患者を他国の医療機関に紹介するか、難しい選択を迫られることもありました。(国内でできることが限られていることの他の例には、キリバス国内の学校で看護師・助産師にはなれるけれども、医師・薬剤師等その他の医療職になるには国外の大学で勉強しなければならないという事も、国の小ささを理解するよい例かと思います。)



写真12:産科病棟のスタッフと ©MSF

病院で提供する食事もお米とインスタントヌードルをまぜたスープが主で、病院食がこれでは健康的な食事を得ることは本当に困難だと感じました(写真10)。バランスの悪い食生活による慢性的な貧血患者も多かったです。



キリバスの人々が抱える問題を解決するには、根本的な生活環境から改善していく必要があり、とても大きな課題だと感じました。患者さん、病院のスタッフはみんな島国らしい人が多く、時間にルーズであったり、細かいことを気にしなかったり(血糖値のコントロールが悪くても気にしないでたくさん食べていたり)しましたが、みなさんとてもおおらかで明るい人々で、一緒に楽しく働くことができました(写真11, 写真12)。



キリバス派遣を終えて


近年日本で生活をしていても地球温暖化にともなう異常気象を実感することが増えてきました。しかしながら、私は実際にキリバスに赴くまで、気候変動が実生活に大きな影響を与えているという現実を理解していませんでした。気候変動や政治情勢等でいつも強く影響を受けるのは「立場の弱い人々」です。この記事を読んだみなさんが、日本から遠い小さな島国に想いを馳せて、少しでもできることに取り組んでいただけたら嬉しいなと思います。



著者略歴 森田 恵子(もりた けいこ) 国境なき医師団・産婦人科医。産婦人科専門医・指導医。周産期専門医(母体・胎児)。

2012年富山大学医学部医学科を卒業。富山大学附属病院で初期研修を終了後、東京都立広尾病院、富山大学附属病院で産婦人科医として勤務。2021年富山大学大学院医学薬学教育部 東西統合医学専攻博士課程を終了。2022年より国境なき医師団に産婦人科医として参加。南スーダン、キリバス、アフガニスタンで活動を行った。趣味は旅行、映画鑑賞。現在もっとも訪れたい場所はアラスカ。



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